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桜の頃

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     −3−

約束の日は朝から晴れていた。
たぶん昼からは気温ももっと上がるだろう。

和実の部屋から引き出しや洋タンスを開け閉めする音が聞こえている。
母も娘の初デートを穏やかに見守るようにその部屋には近づくことは控えていた。

和実にとって一番の平穏は父親がこのことを知らないことだ。
・・父親が嫌いなわけではないが、この手の話には口出しが多いことは承知。
ただのクラスメイトもいつしかボーイフレンドに昇格してしまうのだ。

部屋の様子が静かになった頃、母がドアをノックした。
和実は普段の服装と変わらない感じでパソコンの動画サイトを眺めていた。
「お昼、何か食べる?」
「いらない。おなか空いてない。」
とくに緊張してのことではない。和実にとっては変わらない週末の様子。
そんな娘を見て母は扉を閉めた。

昼を過ぎた頃、部屋を出てきた。
「やっぱり何か食べる。」
和実は冷蔵庫の飲み物と昨日学校帰りに買った菓子パンを食べ始めた。
「ほかは?ヨーグルトがあるわよ。」
「ううん、いらない。」
飲み終えたカップを流し台に置くとまた部屋へと行ってしまった。

2時半頃、部屋から出てきた和実はカットソーのサマーセーターにスカートに着替えていた。
「行ってきます。」
「いってらっしゃい。」
その声に部屋から兄も顔を覗かせ「おっ!」と声を掛けた。

家を出て展望公園まではわずかな距離である。
どうのんびり歩いても約束の時間までには充分すぎた。
道路から坂を上がっていくと、横手から上がる階段から圭介が来るのが見えた。
和実は少し頭を下げて挨拶をした。
「早かったね。来てくれてありがとう。座る?」
圭介に促されるままに和実は今上がってきた坂が見下ろせるベンチに腰掛けた。
こちらの方角が景観的にも町が一望でき、特等席でもあった。
「こんにちは。」
「あれ?今日は『なにか』って怒らないの?」
「・・・。」
「ごめん。この前と雰囲気が違うから 僕の方が戸惑ってるよ。」
「・・電話ほんとに掛かってきたから、びっくりした。」
和実は遠くに視線を向けたまま 話をした。
「正直、緊張したよ。僕にとっては家の電話に電話することなんて ほとんどないからね。」
「私も。」
「どこかお茶でも飲みに行く?」
「ん・・もう少しここがいいかな。風も気持ちいいし、何もない時に来ることあまりないから。」
圭介はベンチの端に腰を下ろした。

「そっ。ああこれ。これを渡さないと僕はまた嘘つきになる。」
そう言いながら、ポケットから小さな包みを出した。
「そのまま渡すって言ったら、俺の可愛い作品を剥き出しにするのか!っていうものだから。ちょっと大げさになっちゃうけど、
これ、どうぞ。」
手渡された包みは小さかったが重みを感じた。
「開けてみて。」
和実は几帳面に留テープを剥がし、手のひらに出してみた。
3センチほどの《ネズミ》のストラップ。
「かわいい。」
「どう?貰ってもらえるくらいかな。」
「貰っていいの?」
「いいよ。あっ・・代わりに今度は携帯の方、知りたいな。ダメ?」
和実はバッグから携帯電話を取り出した。
「これ付けて似合ってたら教える、ね。」
と何も付いていない携帯電話の穴にストラップを通した。
「どう?」
圭介は答えを待った。
「うーん、悪くない・・でしょ?」
和実は圭介に笑顔を見せた。

結局、ふたりはベンチに座ったまま一時間ほど過ごした。
話は、ストラップの製作者である圭介の友人の事がほとんどで 《モグラ》と《ネズミ》の作りの違いとか、製作の苦労話。
お互いのことなど話題に出なかったが、かえってそれが意識を和らげ、話ができた。 

そんな時だった。
圭介の携帯電話の着信を知らせるサイン。
「どうぞ。」
そう和実に言われ、圭介は携帯電話の履歴を見てふっと息をついた。
「そろそろ帰るね。誰かに会うかもしれないし。」
と席を立つ和実の携帯電話を取り上げ圭介は番号を打ち込んだ。
「登録するかは、君の指一本。僕はまた会いたいと思ってる。」
圭介は携帯電話を和実に返した。
「・・登録と連絡は別。」
和実は携帯電話の[OK]を押して閉じた。
「ありがとう。」
今度の約束は和実の意思に委ねられたことでふたりの短いデートは終わった。

作品名:桜の頃 作家名:甜茶