「忘れられない」 第二章 すれ違い
「仁美さん!お帰りなさい。あら、後ろに居られるのは裕美さんね。有紀と言います、この度はご退院おめでとうございます」
頭を深く下げた裕美は声を絞り出すように、「ありがとうございます。母がお世話になりました。私のようなものにお気遣い頂き何の言葉もございません」
「裕美さん、そんなことを言うものではないですよ。誰でも病になるし、事故や事件だってかかわる事があるものよ。もう済んだんだし、しっかりとこれからは生きてゆくことが大切ね」
仁美は是非夕食を一緒にと誘ってくれた。まだ外で食べるほど勇気が出ないから部屋に来て欲しいと付け加えた。
「ええ、構いませんよ。嬉しいです。では6時になったら伺いますので」
「はい、待っていますから、手ぶらで来て下さいね。気遣いは無用で・・・お話したいことがたくさんあるの」
そう言って、仁美は戻っていった。そういえばこの頃井戸端会議で内川さんの家のことは話していない様子だった。興味が去ってしまったのだろうか、退院してきたというのに喜びを表さないのは少し冷たいと思えるのだが、それも世間なのだろうか。人間って温かいようで居て冷たいものだ。初めから冷たい人のほうが温かく感じられることがあるのは、本心で話すから受け取る側がそのことに気付いたときに、感謝の気持ちが出るからなのだろう。
時間になって少しオシャレして内川の部屋を訪ねた。
ドアーが開いた。
「こんばんわ。有紀です。お邪魔させていただきます」
有紀は昔明雄とのデートで着ようと買っておいたミニスカートのワンピースを今夜初めて着た。普通どおりにしていたら絶対にはけないサイズだったが、このところのシェイプアップでタイトながらはけるようになっていた。じっとその衣装を見て仁美が驚くように声を掛けてきた。
「有紀さんってとても素晴らしいスタイルをなさっているのね。羨ましいわ・・・ねえ、裕美。お母さんよりも2歳年上なのよ」裕美の顔を見た。にこっと笑って、
「お母さんは何もしないからそうなるのよ。有紀さんはきっと努力なさっておられるわよ、そうでしょう?」
「嬉しいわそんなふうに言って頂いて。ここ一月ほどジムに通ってシェイプアップに励んでいるのよ。昔のように戻りたいって何だか急に思いついてね。やってみるものね、これね30年も前に買ったものだけど、初めて着たのよ!はけちゃった」
「思い出のスカートなのね・・・早く見せられるといいわね」
「そうね、そうなのよ。言ってなかったけど電話は繋がらなかったの。現在使われていませんって・・・なってて」
「そうだったの、気にしないでね、悪いこと言っちゃったみたいだから」
「大丈夫よ、あなたには話していたものね。これからどうしようか考えているんだけど、とりあえず逢えた時のためにダイエットして昔のようになりたいって思ったのよ」
「へえ〜、強いのね有紀さんは。感心するわ。裕美、この人ね32年間も同じ人をずっと好きでいるのよ。必ず結ばれるって信じて・・・強いでしょう?」
裕美は母の言葉に頷いて有紀の方を見て、答える。
「有紀さんはその方といつお知り合いになられたのですか?」
「高校3年生の夏よ、18歳」
「どのぐらいお付き合いされていたんですか?」
「2年間よ、正式には。彼が海外転勤してから音信が途絶えたの」
「それからはずっとお一人でしたの?」
「そうよ、待ち続けたの。待っていて欲しいって言い残したから・・・」
「信じておられたんですね・・・ずっと」
「そうよ、バカでしょ、ハハハ・・・おばあちゃんになってしまった。あっという間だったような気がしているの」
「私は待てなかった・・・たった3年ぐらいなのに・・・信じられなくなって、何もかも捨てたくなってしまった・・・」
裕美は自分と相手の男性のことを話し始めた。
とりあえず退院を祝って乾杯し、テーブルに並べられたオードブルに手を運びながら話を続けた。
「話していい事だけ聞かせて、無理しなくて構わないからね。私に出来る事なんかそれほど無いと思うけど、裕美さんの事は他人ごとじゃないような気がしているの」
「有紀さん、ありがとうございます。母からお聞きしていた通りの優しい方ですね。安心しました。私は母に内緒で不倫をしておりました。父が家出をして男性不信になりかけたのですが、好きになった人は全く違う優しい方でした。奥様がいらっしゃる事を知りながら誘いに乗って、軽い気持で友達ならと交際し始めました」
「そうだったの・・・お父様の影響が残っていたのね。ちょっと年上の男性に魅力を感じた訳よね?」
「はい、その通りだと思います。よく解りますね。お話しやすいです。彼は一線を越えることはしませんでした。それは妻に対する裏切りになるからときっぱり話していました。一年が過ぎ二年目に入って、少し変化がありました。彼の中で私の存在が大きくなってきたのでしょう。初めて、もし離婚したら、一緒になってくれるかい?と聞かれたんです」
「それほどまでにあなたの事が好きになってきたんですね。一時の感情とは言え、女には嬉しいものでしょうね・・・」
「もちろん、ウソ!って私は言いましたが、その時の彼の表情がとても悲しく変わって・・・えっ?本当の気持なの、そう思ってしまいました。それが始まりだったんですね・・・破滅への・・・」
「なんだか解るわ・・・男の人ってその場の感情でウソをついてしまうからね。私も今考えると、待っていて欲しい・・・は、その場の感情か、私へのいたわりの気持で言ってしまったんじゃないのかな、そんなふうにも思えるのよ」
「そうですよね!同じです。しかし有紀さんは信じて待っておられた、わたしには到底出来ない30年と言う長い年月を、です」
「そうね、信じるしかなかったのよ。だって好きだったんですもの。彼以外の男性を見る事なんか出来なかったし、してこなかった。自分が一生結婚できなくても、夢を叶えることなく年老いていっても、答えを聞かない限り諦め切れなかっただけ・・・ある面弱い女だったのよ、私は・・・」
仁美は、有紀の考え方が理解できない。自分が打算的だからではない。そこまで素直にはいられない、そう感じるのだ。
二人の会話に仁美は口を挟んだ。
「有紀さん、裕美はねあなたと違って、妻子ある男性と知りながら恋をしたのよ。私には同じ立場だとは到底考えられないの。また娘を責める訳じゃないけど、有紀さんのように応援は決して出来なかったのよ。それはお解かりよね?」
「そうね、世間はそうよね。私も普通の女だったらきっと同じ事を言っていたでしょうね」
「どういう意味?普通じゃないっていうの?」
「そうなの、本気で惚れてしまったからなの。解る?結婚を前提にした恋愛は続かないのよ・・・違う?何故だか解るよね?」
「子供や生活に振り回されてしまう・・・という事でしょ?」
「それもあるわね。違うの、ゴールが見えているからなの」
「ゴール?見えない恋愛なんてあるの?結婚以外に何がゴールなの?」
作品名:「忘れられない」 第二章 すれ違い 作家名:てっしゅう