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てっしゅう
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「哀の川」 第三章 クリスマスナイト

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もう言葉は要らなくなった。熱いキスと体が折れんばかりの抱擁。押し寄せるバブル崩壊の足音など聞こえるはずが無かった。

ベランダから部屋に戻り、ベッドに倒れこんだ。しばらく抱き合っていたが、顔を離して麻子が「シャワー浴びたいから、放して」と言った。直樹は一緒に浴びるといって聞かなかった。

「ここのバスタブは小さいから二人は無理よ」
「大丈夫だよ。シャワーを浴びるだけだろう?行こうよ」
「仕方ない人ね・・・」
二人は一緒に服を脱ぎ浴室へ入った。トイレがくっついているのでなんだか変な感じがしたが、思っていたより湯船自体は細長く十分に二人が立っていられる大きさだった。

「僕が洗ってあげるからね」
「恥ずかしいから自分でするわ」
「いいから、って、後ろを向いて」
そう言って直樹は手でシャボンを作り、肩から背中、腰を優しくなでるように洗い始めた。麻子はじっとしていた。

「今度は前向いて」
「いや、自分でする」
「ダメ、してあげるから、早く・・・」
麻子がいやいや振り返る。しっかりと両手で隠していたが、直樹はそれを押し開いて、また肩から、胸、おなか、しゃがみこんで足を洗った。直樹にされるがままにしていた麻子は、そのやさしさに甘えられる自分が嬉しかった。夫に甘えられない分だけ直樹に甘えようとしていたのかも知れない。直樹に愛されているという悦びは時に、麻子には辛く感じることがあった。

バスから出て悦びの時間は長く二人を包んだ。麻子は直樹の若さをいやがおうにも感じられた。何度も求めてきたからである。朝の光が窓から差し込む。同時に目を覚ました二人は、再び続きのように求めあった。シャワーを浴びてガウンのままベランダから外の空気を吸った。ひんやりとしたが注ぐ太陽の光と吹きぬける風が気持ちよく肌に感じられた。

「寒くなるわよ、中に入らないと、直樹」
「キミもここにおいでよ!気持ちいいよ、ねえ麻子」
「うん、待って」
そう言ってガウンを羽織りベランダに出た。都会の日曜日の朝は静かだ。車の騒音もしない。なんだか時間が止まっているように感じられた。今の幸せな時間もこのまま止まって欲しいと二人は思った。

「もう、僕たちは離れられないよ。麻子と純一君の幸せを壊すようなことはしたくないけど、ずっとこのままで居たい、そう思うんだ」
「ありがとう、私もよ。直樹はまだ若いから本当の幸せがきっと見つかるわ。私なんかより若くて可愛い人、見つかるわよ!でも、それまでは私の事愛していて欲しい・・・それでいいのよ、それで・・・」
「今すぐには無理だけど、事業を起こして今より生活が豊かになったら、キミを迎えに行くよ。その時まで待っていて欲しい。どんなことがあっても、離れないで欲しい。約束してくれないか?そうするって」
「直樹!そこまで思っていてくれるの・・・何年後になるか知らないけどおばあちゃんになってもあなたの事忘れないし、待っているわよ。でも、直樹は自分のしたいことをきちんとやらなきゃダメよ。男だからね。私のことは二番目でいいから。あなたが忘れても、私は忘れないから、絶対に・・・」

麻子はもう夫との生活をいつやめてもいいと考えていた。今の状況で財産を分与したら、一生生活には困らない資産は残る。すぐにでも、と言い出したいが、直樹を甘やかすことになると自重した。自分が幸せにするのではなく、幸せに二人でなってゆきたいと夫とのことを省みて強く感じていた。

チェックアウトを済ませて二人はホテルから品川駅まで下り坂をゆっくりと歩いた。駅にはクリスマスイヴという事で人は多かった。日曜日なので地方からやって来た人達、地方に出てゆこうとしている人達で混んでいた。帰るには早いのでどうしようかと考えていたが、麻子が直樹の住まいを見たいと言い出した。

「ねえ、いいでしょ?汚いんだったら掃除してあげるから。行こう」
「ええ・・・それは、君のような人が来るような所じゃないよ。僕が恥をかくからイヤだなあ・・・」
「何を言ってるのよ、私は生まれてからずっと今のような生活をして来たんじゃないわよ。高田馬場だったわよね?切符二枚買うから、ね」
「仕方ないなあ、もう強引なんだから。ビックリしても知らないからね」
「はいはい、覚悟は出来ていますよ。そうだ!お掃除の道具ってあるの?雑巾とか住宅洗剤とか、ゴミ袋とか・・・」
「大丈夫だよ、普段からしているから」
「そうなの?感心ね。楽しみになってきた。どんな所か」

山手線の電車がホームに入ってきた。それほど混雑していなかったので、二人並んで席に座れた。荷物を膝の上に載せて、手をしっかりと繋いでいた。麻子は久しぶりに山手線に乗った。窓から移り行く風景を眺めながら、OLをしていた頃を思い出した。夫との出会いも通勤電車でのちょっとしたことがきっかけとなった。付き合うようになって結婚前はよくこうして手を繋いで電車で出かけていた。今は隣に直樹がいる。十数年前と窓から見る景色は変わっている。それ以上に麻子は気持ちが変わっている。自分が再び好きな人とこうして仲良く電車に乗るなんて、数ヶ月前までは考えられなかったことだったから。

電車は間もなく高田馬場駅に着いた。学生が多いこの町は今日は静かな駅になっていた。神田川沿いに立ち並ぶ幾つかのアパートの一つが直樹の住まいだった。
階段を上がって二階の一番奥がそこだった。鍵を開ける。電気をつける。午後からは陽が入らないので薄暗い。小さな玄関場ではあったが、靴が一つしか置かれてなく二人で入っても足場に困るような事はなかった。

「お邪魔します〜どなたかおられませんよね?」冗談を言った。麻子にはめずらしいことだった。直樹の普段からの口癖を奪った感じだ。
「何言ってるの?鍵あけて電気点けたじゃない」
「いいの、そんな事で怒らなくても。あなただってよく冗談は言うじゃない」
「そりゃそうだけど・・・まあ、上がってください」

麻子が懸念するような部屋ではなかった。ものがないといえばそれまでだが、片付いていて奥の窓際に置かれているベッドと小さな洋服ダンス以外は何もない二間の住まいだった。二人ともベッドにまずは腰掛けた。顔を見合わせて、キスをした。直樹が倒しにかかったので、それを制して口を離した。

「もうダメ、昼間でしょ?それよりお話しましょうよ。あなたのことたくさん知りたいから、ね?いいでしょ」
「まずは愛し合ってからにしたいよ」
「ダメって言ってるでしょ!たくさん話してから・・・ね、直樹?」
「解ったよ。じゃあ、飲み物入れるから座ってて」
「うん、ありがとう。しかし一人暮らしなのに良く片付いているわね。感心!ひょっとして誰か居るんじゃない?・・・ウソ、ゴメンね」
「もう!冗談ばっかり言って!麻子以外に誰が居るって言うの!」
「私は自信がないのよ・・・あなたに好きって言われれば、言われるほど、抱かれれば、抱かれるほど・・・年上だしこれから先おばあちゃんにすぐ変わって行く自分が・・・直樹が好きよ、大好き!でも時々不安なの」

台所から振り返った直樹の目には、麻子の悲しい顔が突き刺さった。