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ラルツァの魔女はあなたのために

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「そうですわ、ダウフレードさま。ひと言お嬢さまをお褒めになられてはいかがですか?」
「おれは女の服なんてよくわからないんでね。だから全部任せたんだ。おかげでちゃんとこいつも年相応に見えるようになった。礼を言うよ、ありがとう」
 ダウフィに連れられて、レピは用意の馬車に乗り込んだ。
 慣れない状況と見当もつかない夜会への不安のせいで、なんだか気持ちがふわふわとして落ち着かない。けれども、そこにはほんの少しだけ浮き立つ心が混じっている。
「……いきなりこんな格好させたんだから、少しくらい褒めてくれたっていいのに」
「なんだ? 何か言ったか?」
「なんでもない!」
「まさか本当に褒めないからって怒ってんのか? ……いちいちそんなこと言わなくたっていいだろ、何を着たっておまえはおまえに変わりないんだから」
 何を着ても変わりばえしない、と受け取れるはずのその言葉ではなく、そう言いながらぷいとそらされた彼の視線に、なぜかレピは顔を赤らめそうになった。
「そ、それより、夜会になんて行ってどうするの?」
 がらがらと回る車輪の音にまぎらせて、レピはやっと目的を尋ねた。
 ダウフィは夕闇が忍び寄る街なみを見つめていた。
「起きることを見てろ。話はそれからだ」

     †

 ダウフィが広間に入った途端、先に到着していた夜会客たちの注目が一斉に彼に集まった。
 だが次の瞬間、それは彼に腕を預けさせられたレピにと移った。
 声にならないささやきが、さざなみのように夜会客たちの間に広がっていく。
 ――あの令嬢は誰だ?
 さざなみを生むのはそうした疑問ばかりで、その回答は出てこない。
 好奇と不審と警戒の視線のただ中を、ダウフィはまるで無人の野を進むかのような顔で歩いていく。実際、人はすぐには数え切れないほどいるというのに、彼らを無視して彼方を見つめるダウフィに話しかける勇気を持った者は誰ひとりとしていないらしい。
 庭に面した大理石の列柱のそばで、やっとダウフィは足を止めた。
 レピはほっと息をついて背後の様子をうかがった。
「……みんな、ものすごくわたしに興味がありそうだったよ」
「そうだな。叔父貴なんか、あわてて人を走らせてたしな。探りを入れようとしてるんだろ」
「叔父さんも来てたの!? ……ダウフィ、いまさらだけどどうしてこんなことしたの? わたしの正体がばれたら、ダウフィの評判に関わるのに――」
 そのときだった。
「――ダウフレードさま」
 抑えた中にも敵意がはっきりうかがえるその女声を、最初レピは聞き違いかと思った。だが、さらに続いた声は間違えようがなかった。
「今晩はお会いできてうれしゅうございますわ。シェルコ・ゼントリーゼの娘、ジアルーダと申します」
 彼女に背を向けていたレピを間にしたまま、ダウフィがぶっきらぼうにあいさつを返す。
「はじめまして、ジアルーダ嬢。ダウフレード・ディードマウロです」
「あら、はじめてではございませんわ――」
 言外の思わせぶりな響きは、レピが初めて彼女の声に聞くものだった。
 レピは彼女に気づかれないよう、そうっと視線だけを振り向かせた。
 ジアルーダはいつもにも増して愛らしく美しかった。レースをふんだんに使った象牙色のドレスはさながら輝く月、胸もとと耳を飾る宝石は星だった。そしてその淡い金髪に結ばれていたのは、やはりこの場にはまるで似つかわしくないあの質素なリボンだった。
「それは誤解でしょう。こちらはお会いした覚えはありませんが」
 ダウフィの冷ややかな否定に、ジアルーダはしとやかな声を返す。中に、毒針を含ませて。
「わたしにはございますわ。もう一度よくお考えになってくださいませ。このリボンをお忘れですか?」
 一瞬レピはわけがわからなくなる。ジアルーダの優しさを示す贈り物の合図のリボンが、なぜダウフィに関係してくるのだろう。
「あいにくとあなたに何か贈った覚えもありませんね。そもそも貴族の血も引かれるゼントリーゼ家のご令嬢には、まったくふさわしくない品のようですが」
「こんなリボン自体はどうでもよろしいのです。ただ、これをわたしがどこで手に入れたのか、それが問題なのですわ。それならばダウフレードさまも覚えておいででしょう?」
 ダウフィはわずかに目を細めた。
「思い出していただけたようですわね」
 満足げに言ったジアルーダは、レピを追い越してダウフィの傍らに立った。
「ダウフレードさまとお話がありますの。席をはずしていただけません?」
 レピはとっさに顔をそむけて隠そうとしたが、一瞬遅れた。たしかに彼女と目が合った。
 けれども、勝ち誇ったジアルーダの表情は動かなかった。
「大切なお話ですの。長くなるかもしれませんから、お先にお帰りになられても結構ですわ」
 彼女はレピにまったく気づいていなかった。
「……えっ……」
 ジアルーダとはこれまで二度顔を合わせ、話をした。だというのに、その相手をこんなに簡単に忘れてしまえるものだろうか。例え普段からはかけ離れた盛装に身を包んでいるとはいえ、こうも気づかないということがあるだろうか。
 悲しみや怒りといった感情をすべて置き忘れたような心で、レピは単純な事実を悟った。
 ジアルーダは、レピに何の関心も抱いていなかった。彼女はただ「ラルツァの魔女」という存在に会い、話しただけで、その魔女の役目を務めているレピという自分と同年代の少女としては何ひとつ心に留めていなかった。
 温かな応援をくれていたはずの令嬢とはまるで別人の、冷淡な令嬢がレピを見据えていた。
 言葉も出ないレピの横に、さりげなくダウフィが移動する。
「何の話か知りませんが、彼女に聞かれてまずい話など何もありませんのでね。お話があるというのでしたら、ご自由にどうぞ」
 ジアルーダの顔が思いどおりにならない不快に小さく歪む。それでも彼女は微笑んだ。
「あら、そうはまいりませんわ。これはダウフレードさまとわたしの間だけの秘密にしなくては。他の方に絶対に知られてはいけない、大切な秘密じゃありません?」
 ち、という短い舌打ちがダウフィの口からこぼれた。
「……ぐだぐだとまどろっこしいんだよ。はっきり言わないなら、こっちから言ってやる。要するに、あんたはそのリボンを見せびらかして、おれを脅迫しようっていうんだろ。男のくせに女みたいに、ラルツァの魔女とつきあいがあるんじゃないかってな」
 はっとレピは顔をあげた。これまで見落としていたおかしな点にやっと思い至った。
 初めて手かごのそばでジアルーダを見たとき、彼女はリボンを枝からほどいていた。手かごの贈り主はいつも目印としてリボンを残していたはずなのに、彼女の行動は逆だった。
 すると、ひとつの光景がレピの目に浮かんだ。リボンと手かご、その中の呪具――それらをすばやく置いて帰っていくダウフィの姿が、ありありと再現された。
「みんな、ダウフィだったんだ……」
 しばし感情を忘れていた心に、再び感情がよみがえってくる。うれしくて、それでいて泣きたくなるような甘酸っぱい感情が、胸いっぱいに広がっていく。
 だが、そこでレピはわれに返った。
「――ダウフィ、だめ!」