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ラルツァの魔女はあなたのために

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 手にしたダウフィが慣れた手つきで、焼き上がった卵を皿に移しているところだった。目線が椅子を示す。レピが素直に席につくと、卵とパン、はちみつやジャムの小瓶、そしてスープが次々と並べられた。レピは目を丸くした。
「すごい、魔法みたい!」
「仮にも魔女を名乗ってるやつの台詞かよ。ほら、食うぞ」
「おいしそう、いただきます!」
 何年かぶりの、小鳥や森の小動物以外の誰かと一緒に食べる食事だった。味はもちろん、そのことにもうれしくなりながら、レピはテーブルのむかいに座るダウフィに笑いかけた。
「相変わらず料理上手なんだね。でもどうしてお金持ちになったのに、コックさんを雇わないの? 忍び込むためにこの家の間取りを調べたときも、大変だったんだよ。召使いの人がいればすぐに話を聞き出せるのに、ダウフィってば誰も雇ってないんだもん」
「さらりと物騒な話をすんな」
 苦虫を噛みつぶしたような顔で、ダウフィは言った。
 いまはひきしまったその頬がまだ柔らかさを残していたころ、ダウフィの母親はレピの母親を訪ねてよく森を訪れていた。母親たちの話が終わるまで、レピは彼の相手をした。
 最初は話そうともしなかったダウフィだが、あるとき彼が食い扶持を稼いでいるという港についてレピがとんちんかんな質問をしたことで、言葉を交わすようになった。彼は森から出たことのないレピを世間知らずと呆れ、森と本以外のことを何も知らないとからかい、たまに素朴なおやつを作ってきて木陰でごちそうしてくれた。
 活発さと利発さ、そして生意気さでいい遊び相手だった少年は、
「いい魔女になれよ」
 別れ際にそんな思いがけない言葉を残していった翌日から、ふっつり姿を見せなくなった。
 しばらくして、母がなにげなく教えてくれた。
 ――あの子たちね、お父さんが亡くなる何日か前のことではあったけれど、やっと本当の夫婦とその子と認められたんですって。よかったわ。
 隠し子という言葉も相続という慣習も、当時のレピは知らなかった。
 ただラルツァの魔女は女たちのためだけの存在で、男たちからはよくて無視、時に軽蔑されているということは知っていた。だからその母親の一番の願いがかなったいま、少年が二度と森に来ることはないということだけはわかった。
 実際、それからダウフィが森を訪れることはなかった。レピも森を出ることはなかった。
 しかしラルツァの魔女に助けを求めてやってくる女たちは、相談のついでにさまざまな街のうわさを残していく。
 街一番の財産家だった大商人カウロ・ディードマウロの遺産の相続権を、禿鷲のように群がる親族を退けて獲得した母子のうわさも、その中には混じっていた。
 やがて魔女修業をはじめたレピが母にため息をつかれる日々をおくり、それでも母を継いでなんとか魔女となった一方で、ダウフィはデュラーナ大学の学生となり、順調に遺産相続の準備を重ねているようだった。
「物騒って、本当だよ。わたしだからよかったんだよ? 成人して大学を卒業したら、ダウフィはお父さんの遺産をそっくり相続するんでしょ。それなのにひとり暮らしなんて危ないよ。昨日だって暗殺者とかなんとか言ってたし。せめてお母さんと一緒に住んだら?」
「お袋ならとっくに自分の取り分をもらって旅行三昧だから、同じことだ。そもそも、いくら家がだだっ広くたって、人がうじゃうじゃいて世話を焼かれる生活は性に合わない。気にすんな、叔父貴も従兄も、本気でおれをどうにかできるような根性は持ち合わせちゃない」
「あ、そっか。そうだよね。だってなんだかんだ言ったって、叔父さんと従兄さんだもんね」
「相変わらず幸せなお気楽っぷりだな。親戚を信頼できるなんて、一部の貧乏人のみに許された特権なんだよ。ぱちんと指を鳴らしただけでおれが消せるなら、あいつら毎日でも鳴らしてるはずだ」
「そうなの? お金持ちも大変なんだね……」
「ああ。よかったことなんて、こうして眼鏡を買えるようになったくらいだな」
「そうなんだ……」
 レピはダウフィを見つめ、ひとつうなずいた。
「だったらやっぱり、相談者さんとダウフィが恋して愛し合って結婚するのが一番いいよ。相談者さんのお家もお金持ちだからいろいろなことに詳しいと思うし、本人もとっても優しい、かわいらしい美人さんだし、それから結婚祝いにわたしの祝福のまじないもつけるよ!」
 ダウフィは吐き捨てるような鋭い息をついた。眉間に不機嫌そのもののしわが寄っている。
「おれの人生を終わらせる気か。不幸のどん底にたたき落とされたあげくに埋められるも同然の呪いは、断固ことわる」
「呪いじゃなくて、まじない!」
「おまえがかけるんじゃ同じことだ」
「そ、そりゃこれまでのラルツァの魔女のやり方よりはちょっと回り道するかもしれないけど、結果は出せるんだってば! それにちゃんと気持ちを込めて、心の底からダウフィの幸せを願ってまじないをかけるから、きっと大丈夫だよ」
「いいからその話はやめて食え。冷める」
「あ、うん……」
 レピはしゅんとして口をつぐんだ。はむ、と卵を食べる。ほどよくこんがりふんわりと焼かれた卵は、こんな空気の食卓でもおいしかった。
「……で?」
 ダウフィの声に、レピは顔をあげた。
 話し相手はこちらだと言うように、彼はさくりと裂いた焼きたてのパンに視線を落としていた。しかし、やはりレピに話しかけているらしい。
「今日はこれからどうするんだ? せっかく街に出てきたんだから、見物でもしてくのか?」
 レピは驚いて、ふるふると首を横に振った。
「まさか。すぐに森に帰るよ。昨日の夜だって何度もそう言ったじゃない。なのにダウフィが、客間はあるから絶対に泊まってけ、朝飯作ってやるって無理やり引き止めるから」
「当たり前だ。年中森に引きこもっててぼんやりしてて、昼でもうっかり迷子になりそうなやつを、夜中にほっぽり出せるか」
「地図をちゃんと覚えてるから、迷子なんてならないよ。昨日だってひとりで来たんだよ?」
「ああ、まさに奇跡だったな。道にも迷わず、野良犬に追いかけられもしないなんてな。が、奇跡なんてものはたまにしか起きないんだ。おまえのまじないが成功したことがあるか?」
「うっ……どうしてダウフィはそう口が悪いわけ? もういいところのお坊ちゃんのくせに」
「いきなり貧乏借家から引っ張り出された急造お坊ちゃんなんでね。育ちの悪さはいまさらどうしようもない。港じゃこれでも丁寧なほうだ」
 ダウフィはちらりと横目にレピを見ると、またすぐパンに視線を戻す。
「そういえばおまえ、いつか港を見てみたいって言ってただろ。まったくの無駄足で森に帰すのも悪いから、少しなら案内してやってもいいぞ」
 庶民の月収をはるかに超えるはずの高級品の眼鏡が、いまのダウフィにはよく似合う。その洗練された容姿は、もう数年で街一番の財産を相続するという立場にいかにもふさわしい。
 けれどもひとたび口を開いてしまえば、彼は港で働いていた生意気な少年のままだった。
 そのことがレピを勇気づける。
 レピはこっそり自分の身なりを確かめた。着てきたフード付きのマントをかぶれば、昼でも街の人間に森のラルツァの魔女だと悟られることはない、と判断した。