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ラルツァの魔女はあなたのために

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   豊(ゆた)けき油をおまえにそそごう
   どうかわたしの助けとなってくれますように
   剛(つよ)き鋼でおまえの縛めを断ち切ろう
   どうかわたしに道を開いてくれますように

 ささやき声で唱えた呪文は、ゆるやかに闇に融けた。
 静寂を破らぬよう、レピは気をつけて立ち上がる。
 バルコニーにたたずむレピを見ているものは、暗いこずえで黄金色の目を光らせている梟しかいない。
「どうかわたしに道を開いてくれますように……」
 念のためもう一度呪文を唱えて、レピはガラスが嵌め込まれた大窓の取っ手に手をかけた。
 呪文に加え、ちょうつがいには油をそそぎ、すきまから差し入れた細い刃で掛け金を断ち切ってある。豪奢な大窓は抵抗せずにあっさりとレピに従い、道を開けた。
 成功の喜びを胸の内に抑え、レピは足音を殺して部屋に入った。
 下調べしたとおり、そこは寝室だった。
 緻密な織りのカーテンと絨毯は東国からの輸入品に違いなく、どっしりした暖炉はおそらく南国産の磨石製、壁面を彩る顔料は西国から運ばれたもので、暗がりにちらちらと瞬く水晶のシャンデリアは北国の商人とこの地の熟練の職人による合同傑作だろう。
 夜目にも豪華なそんな造りとは対照的に、部屋にはほとんど家具がない。
 唯一の例外が天蓋付きのベッドだった。レピはそろそろとベッドに近づいた。
 そこに部屋の主が眠っていた。
 かたちよい鼻梁と整った口もとを持った若者の顔は、目を閉じていても鋭敏な印象を与える。実年齢よりも少し大人びて、二十歳過ぎにも見える。
 けれどもレピの瞳は、そうした寝顔になつかしい記憶の中の面影を見いだした。マントの下から紅い紐で結んだ二本の小枝を取り出し、若者が眠る枕もとに置く。
 準備は整った。レピはそうっと、若者の肩に手をかけようとした。
 その瞬間。
「ひゃっ!?」
 いきなり若者が跳ね起きたかと思うと、一瞬のうちに体勢が入れ替わった。レピはベッドに押さえつけられ、彼が上から見おろしていた。冷ややかな低い声が問う。
「ガキか。いくらで雇われた?」
 レピはあわてて答える。
「デュカ金貨一枚!」
「そいつはケチられたもんだな。どうせ叔父貴か従兄だろ。カウロ・ディードマウロの遺産を本気で狙うなら、もっとちゃんとした暗殺者をよこせと伝えろ」
 とんでもない言葉が飛び出した。レピはいっそうあわてて答えた。
「暗殺者なんかじゃないってば! わたしだよ、レピ! ラルツァの魔女!」
「はあ!? ちょっ、ちょっと待て! 動くな、逃げんな!」
「うん、わかった。ごゆっくり」
 種火が移され、ぽうっとランタンに明かりがともった。ベッドに散ったレピの明茶色のゆるい癖毛と、まぶしそうなはしばみ色の瞳が照らされる。
 十六歳という年齢にしては無邪気すぎる表情で、レピはにこりと微笑んだ。
「こんばんは、ダウフィ」
「な――何をやってんだ、おまえは!!」
 返礼代わりの叱責と同時、レピは片手をつかまれて体を引き起こされた。逆らわずにちょこんとベッドに座って、ダウフィを見上げる。
「おひさしぶり。最後に会ったの、もう五年以上も前だっけ?」
 レピの笑顔にダウフィは息をつくと、ランタンをベッド横の小卓に置いて、眼鏡をかけた。あきれきった顔でレピを見おろす。
「まあそんくらいだな。で、しばらく会ってない昔なじみが、こんな夜ふけに何しに来たんだ? 台所なら下だぞ」
「なんで台所? まだごはんは食べたくないよ」
「飯じゃないなら何の用だ。まさか、一人前に夜這いでもかけに来たのか?」
「ヨバイって何? 異国のまじない?」
「……そっちはいいから、最初の質問に答えろ。旧交を温めに来るにしては妙な時間だぞ」
「うん。あのね――仕事、なんだ」
「仕事!? まさかラルツァの魔女のか!?」
 さりげなく誇りを込めた答えに驚ききった声をぶつけられて、レピはむっとして言い返す。
「まさかってどういう意味? わたしはラルツァの魔女なんだから、そうに決まってるよ」
「ああ、悪い。ただ当代の魔女の評判くらい、女でなくたって耳には入るんだ」
「うっ……」
 そこを突かれると、レピに返す言葉はない。
 港と運河の街デュラーナのはずれの森には、この地がラルツァと呼ばれていた古い時代から「ラルツァの魔女」を名乗る女たちが代々棲んでいる。
 それがレピの祖母や母だった。
 悩み事をかかえて森を訪れる街の女たちに、ラルツァの魔女の神秘的な曙光色の髪と美しい笑顔は心強さを、香り高いもてなしの茶は安らぎを、そしてまじないは助けを与えた。
 だが、新たにラルツァの魔女となったレピは、そうではなかった。
 魔女に助けを求めて森を訪れた女たちは、癖毛をそのままに垂らしたレピの髪と幼さを残した外見にまずがっかりし、次いでばたばたとした茶の仕度に興ざめし、最後に――
 硬直したレピの肩に、ため息まじりのダウフィの声が降ってくる。
「魅了もされなきゃかけるまじないも全然効かない、期待はずれの半端魔女だ、ってな」
 レピは顔をあげた。
「た、たしかにちょっと期待はずれかもしれないけど、わたしだって一生懸命ラルツァの魔女をやってるよ。まじないと同時に他の方法も併用して、効果はあげてるんだから」
 と、入ってきた大窓を指し示す。
「いまだって、打開のまじないに加えて、窓に本当に油をそそいで掛け金も切ったんだよ。そうしたらちゃんと窓は開いたよ? 望みどおりの効果は出せるんだから、半端魔女ってほどじゃないよ」
「それじゃ魔女ってより泥棒もどきだろうが」
「ラルツァの魔女だってば! ちゃんとまじないもかけてるんだから。だから恋愛のまじないのための呪具だって、もちろん用意してきたよ」
 ダウフィの眉がぴくりと動く。
「恋愛のまじない? おれに誰かに惚れろってのか?」
「うん。だけどこれもまじないと同時に、直接ダウフィに頼んでみようと思って」
「……言ってみろ」
「恋して、なんて強引すぎるお願いだってわかってる。だけどこんな方法しか思いつけなくて。ただこれだけは信じて。わたし、ダウフィには絶対幸せになってほしいって思ってる」
 レピは真摯な瞳でダウフィを見つめ、紐で束ねた小枝を両手でつきつけた。
「だからわたしの相談者さんと、永遠の愛を交わしてあげて?」
 ダウフィはやや寄り目になってまず小枝を、それからレピを見た。笑っているのに笑っていない奇妙な笑みが、その顔に浮かんだ。
「おことわりだ、期待はずれの半端魔女が」

     †

 朝の光よりも、油がはぜる陽気な音と卵が焼ける香ばしい匂いで、レピは目をさました。
 一瞬、自分がどこにいるのかわからなくなる。
 ひとりで暮らす森の小屋では、こんな食欲をそそられながらの目覚めなどありえない。雲の上にいるかのような寝心地のベッドもありえず、肌をすべる絹織物の上掛けもありえない。
「えーっと……あ、そうだ!」
 やっと昨夜のことを思い出して、レピはあわてて部屋を出た。
 音と匂いは、階下の台所からあがってきていた。
「おはよう、ダウフィ」
「おう」