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セブンスター
セブンスター
novelistID. 32409
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クアドロフォニアは突然に

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 夕暮れ時、ゆるやかで長いこの坂道は、薄紅く染まったパノラマの町並みを見下ろせる、さながら、穴場の絶景スポッだ。金曜日というせいもあって、特に週末に予定があるわけではないけど、その景色は僕の心を、至極かろやかに高揚させる。
 例年通り、うっとおしい暑さに彩られた夏もとうに過ぎ去り、今はもう10月半ば。早くも、冬休みが待ち遠しくなってきているという、今日この頃。

「あ、金木犀」
 下校途中の鮮やかなひと時に浸る僕をよそに、隣で鼻をクンクンと鳴らしながら、マイペースな口調で凛が言った。
 ふいに吹いたそよ風につられて振り向いた僕の、あくび終わりの目に映る、その仕草。それがまたすごく自然で、夕日を照り返す彼女の横顔を、やけに、美しく見せた。
 前に向き直ると、僕も凛に習って鼻をクンクンと鳴らしながら返す。
「キンモクセイ?なんだっけ、それ」
 時刻は5時過ぎ。部活の顧問の先生が休んでいたから、いつもより早く部活が終わった僕は、明日の練習試合に向けて、同じく部活が早く切り上げられた凛と、偶然帰るタイミングが重なった。お互い、部活の引退は冬の大会に持ち越されている身だ。

「一緒に帰るのなんて、小学校の時以来だね。」
 この時期のこの時間、幻想的とも言えるコントラストに覆われる空を、優しく仰ぐように、凛は僕の質問を無視して言った。
「だからキンモクセイってなん……」
「この匂い。甘くて、トロ~ン、ってする匂い。芳香剤とかに、よくあるでしょ。」
「……芳香剤?なんだっけ、それ」
 言葉をさえぎられた僕は、意地悪くそう言い返す。
「金木犀、知らないの?この匂いがすると、あぁ、秋だな~って。祐樹は感じたことない?わたし、結構好きなの」
 言い終わると凛は、こっちのことはお構いなし、とでも言わんばかりに、今度はいきなり鼻歌を歌いだす。
 僕らは所謂ただの幼馴染で、第一僕には気になる女の子がいる。それでもただ純粋に、この時感じたのはキンモクセイの香りでも秋の予感でもなく、凛への素直な愛おしさだった。

 時が経つにつれ、凛とは昔みたいに一緒に遊ぶ、なんてことはなくなっていた。異性として意識していなかったし、意識していた。言葉にすると支離滅裂だけど、思春期に入った僕らの関係を表すとするなら、それが、一番しっくりくる響きだろう。
 中学校を卒業するということは、同時に、慣れ親しんだ忍足村から離れるということも意味している。山間に位置するこの村は、歴然たるド田舎なため、近くにコンビニも、ゲームセンターも、おまけに高校も、ない。そんな村だから、もともと若い人はみんな「村から出たい」という気持ちを例外なく持っている。
 そのためのいいきっかけというか口実というか、とにかくどうせ長い時間をかけて高校に通うくらいなら、いっそ開けている土地で、アパートなり寮なりに住んで高校に通う、という、お決まりの進学ルートがこの村には存在している。
 もちろん村に残って高校に通う人もいるが、僕はどちらかというと、前者寄りの考えを持っている。凛とはそういう話もしていないので、彼女がどうするかは知らないけど、どちらにせよ、卒業後これまで以上に、僕らの関係は希薄なものになってしまうだろう。
 二年後、三年後の児童数によっては、廃校が決まってしまうと言われている、忍足中学。僕らはそんな場所で、残り少ない世間でいう青春というやつを、それぞれが何かを抱えながらも、ささやかな喜びとともに、ただただ淡々と過ごしていたのだった。

 両脇の木が、坂道の後半で向かい合うように垂れ気味になり、ちょっとした、アーチ形になっていた。待ち望む季節を前にした木々たちは、瑞々しく生い茂った葉を、ほんのりと紅葉させる。この穴場スポットも、そこを抜ければいよいよ終点だ。

「今日、ホームラン打ってたね」凛が、小石を蹴りながらつぶやくように言う。
「あ、見てたんだ?」
「カキーン、って、すごい音鳴ったもん。さすが、野球部」
「試合じゃホームランなんて滅多に打てないから。ああいう時に、打っとかないと」
 へへん、と自慢げに答える。
「名取君の球は、余裕、って感じだった?」
「う~ん。そうでもないよ。憲ちゃんよりはマシだった、かな」
「あははっ。そう言えば橘君、パカパカ打たれてたもんねぇ」
 凛が圭介と同じセリフを言うもんだから、僕もつられて笑ってしまう。
「はは。ノーコンだからなぁ、憲ちゃんは」
「それに比べて名取君は、ほんと運動神経いいよね。あのタイミングで飛んできたボール、かわすんだもん」
「なんだ、そんなとこまで見てたのか」
 といった感じで、凛と他愛も無い会話をしてるうちに、突き抜けるような赤い空に、薄っすらと夜の帳が降りはじめたことに気づく。のんびり歩きすぎたせいか、以外と時間が経っていたみたいだ。

 様々な想いを胸に、見上げる空。

 そのまま、おぼろ雲が渦巻く秋の空に、ゆっくりと吸い込まれていくような錯覚を覚える。

「卒業、かぁ……」

 特に意味も無く、自分から声になるかならないか、という小さな声でつぶやいておいて、勝手になんとなく切ない気持ちになる。

「祐樹、ほら早く。暗くなるとおばさん、心配するよっ」
 立ち止まっていた僕に、振り返った凛が濃い茜色を背にして、声をかけてくる。
「いくつなんだよ僕は」
 苦笑いするとすると、僕は再び落ち葉を踏み鳴らしながら、凛の後を歩き出した。
 僕の中学校生活は、受験戦争にさえ勝利できれば、良くも悪くも地味なまま終わることになるだろう。





 やがて世間を揺るがすことになるほど凄惨な事件が、まさか、この平和な忍足村で起ころうとしているなんて、この時の僕にはまだ、知る由も無かった。










第一章「転校生」につづく