小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

この雨が止む頃に

INDEX|5ページ/12ページ|

次のページ前のページ
 

PINK FLAMINGOS/この世界が最低でも


■ □ ■ □ ■

 地獄。
 純白に染まっていく視界の中に、呆然とその単語が浮かんでいる。地獄。それはただ苦しいだけの場所ではない。責め苦を加るためだけの場所だと思われがちだが、それは絶対的に間違っている──地獄とはつまり監獄なのだ。そこに囚われるのは肉体だけではない。知性も理性も囚われて、何を考えることもできなくなる。囚われているという現実が理解できているはずなのに、どうしてもそこから抜け出そうという発想が浮かんでこない。ある意味ではまさしく理想郷だろう――何を考える必要もないのだから。ただ過ぎ去っていく時間を横目に見やり、意識を投げ出していればそれで終わる。お節介な誰かが監獄を無理矢理に解放してしまうまで、甘美な地獄は続く。どこまでも。
「……地獄みたいだね」
 お節介は背後から現れた。
 特に驚きもせず、赤城春奈はゆっくりと首だけで振り返る。いつの間にか背中に貼り付くほどの距離まで近付いていた少女は、渦巻き模様の浮かんだ眼球でじっと眼前の光景を見つめている。セーラー服の上にどてらという、お世辞にもファッションセンスが発達しているとは言えない格好をしてはいるものの、それが妙に似合ってもいた。自分のセンスにも自信はないので、それ以上思うこともない。
 ──私の服も変だし。
 今目の前に鏡があったら、どんなふうに映るのか。疲れきって諦めきった顔をしたノッポの女というのは、あまり見栄えのするものではないと思う。付き合っている後輩は綺麗だと言ってくれる顔も、自分ではあまり気に入っていなかった。もっと女の子らしい、いかにもな可愛さに憧れている。意志とは無関係に伸びた身長も気に入らない。青いジャージの上に厚手のコートを着ている姿は、人の服装についてとやかく言う権利もないのだろう。冗談めいた思考を繰り返し、うなじの辺りで適当に括った髪を指に絡める。
「オネイサン、お名前は?」
「……赤城春奈」
「私は深沢美雪。よろしく、春さん」
 ぱん、と。
 乾いた音が響いた。
 春奈と美雪の視線の先で、大量の赤が弾ける。しんしんと降り積もる雪の白すら圧倒して、赤い血が大量に溢れ出た。道路の真ん中に少年が倒れている。すぐ側には警察官の制服に身を包んだ男が立ち尽くしていた。右手には弾丸を吐き出したばかりの拳銃を握りしめている。
「……あと三発、弾が残ってます」
 雪の降る空を見上げ、男はぽつりと言葉を放り投げた。受け取る人間もいないその言葉を、春奈と美雪は静かに見守っている。
「一発は私が使いますから。あと二発は好きに使ってください」
「…………」
「ごめんなさい……ごめんなさい。ごめん。ごめん──もう、この世界は……もっとずっとひどくなる……ごめん、謝ってもどうにもならないかもしれないけど。ごめん。何にも知らないのに任せてごめん。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……心を込めて謝ります。ごめんなさい──ごめんなさい」
 ぱん、と。
 もう一度、乾いた音。
 自分のこめかみを打ち抜いた男の体が雪の中に倒れた。数十秒──あるいは数十分その場に立ち尽くし、やがて春奈は男の死体に近付いていく。何とはなしに頭を下げてから屈み込むと、手に握られたままの拳銃をそっと懐にしまい込んだ。
「地獄みたいだね。春さん」
「……そうね」
「地獄は好き?」
「冥土ならマニア受けするけどね」
「なるほど……深いね」
 わかったような口振りで呟くと、美雪は腕組みをして何かを考え始めたようだった。いちいち口を挟む必要性も感じず、春奈は黙って次に振られる話題へと身構える。自他共に認める無口ではあったが、何故か今だけはこの少女と言葉を交わさなければいけないような気がしていた。突然の死を見せつけられて混乱しているのかもしれない。
「春さん」
「なに?」
「ひょっとして、諦めたか諦めかけてる?」
「……何を?」
「それは知らないよ。そんなふうに見えただけだから」
「……そう」
 諦めたか諦めかけている。
 指摘されて初めて気付く。
「……実は色々、諦めたいことがあるの」
「何を諦めたいのかな?」
「楽しいとか幸せとか、好きとか嫌いとか、苦しいとか辛いとか。そういうことを全部」
「それって普通は諦められないものだと思うけどね」
「わかってる。だから多分、ほんとは諦めたくないんだと思う」
 同情を買いたいわけではない。
 ただ、誰かに知っておいて欲しかった。自分が何を諦めようとしていたのか──そして、自分がこれから何を手に入れようとしているのか。
 何もかも諦めてしまえば。
 そうすれば、少なくとも楽にはなれる。その誘惑はあまりにも甘美で、抗う意味などないようにも思えた。
(だけど……)
 無意味だというならば、こんな辛い世界で生きていくことこそ無意味だろう。明日へ繋がる希望もない。願いは叶わず、望みはほぼ確実に裏切られ、未来に向けた予測のほとんどは絶望に包まれている。それでも何とか生き続けているのは、特別な理由があってのことではない。
 春奈はただ、死ぬのが怖いだけだ。両親のように無惨に殺されるのが嫌でたまらない。世界が滅びるというのなら、せめて最後の日まで生き残りたかった。それぐらいの権利があると信じていた。
「……だけど、全部我慢してウザい奴になるよりは、好き勝手やって死ぬ方が面白そうだなって……そう思ってる」
「自由に生きるってやつかな? 春さん」
「自由なんて言葉、大っ嫌いだけどね」
「そうなんだ……」
 くすくすと忍び笑いをこぼし、美雪は腕組みしたまま一人で歩き始めた。春奈を追い越し、死体の側を通り過ぎて、小さな足跡を残しながら雪道を踏み越えていく。
「自分で言っといてなんだけど、私も自由って言葉は嫌いだな。そもそも使われすぎだし勘違いされすぎだよね。茶髪にするのも自由だろ、とかさ。どこのアニメだっけ? 空にふよふよ飛んでるのを自由だとか言ってたのは──馬鹿みたいだよ。自由っていうのは自分に由とすること。自分に従うっていうことだよ。難解な肯定も簡単な否定も馬鹿みたいって思わない? たったそれだけのことなんだからさ……自分が決めたら、自分に従うだけでいいんだよ。全身全霊を賭して自分に従うんだよ」
 畳みかけるような言葉の群。
 穏やかで優しい声だけど、決して自分の意志を曲げないと決めている声。
 春奈は緩やかに息を吐いて、こわばった眉根を解きほぐした。ゆらゆらと不安定に揺れながら去っていく美雪の背中を適当な視線で見送り、吹き抜けた風に体を縮こまらせる。気温は確実に低下を続けていた。もうここ最近は昼間でも氷点下を脱することがない。北国生まれの春奈はまだ我慢できたが、寒いのが苦手だと言っていたあの後輩には辛いだろう。赤の混じった猫っ毛と童顔を思い出す。
(……今度、おでんでも持ってってあげようかな……)
「──先輩?」
 びくり、と。
作品名:この雨が止む頃に 作家名:名寄椋司