戦争をやめさせた一冊のマンガ
「韮山二等兵は絵が上手いのう。しかし、この小隊に配属されてよかったな。他の部隊でマンガなぞ描いとったら、下手すりゃ軍法会議に掛けられる前に銃殺じゃぞ」
「はぁ、自分はマンガ家になるのが夢なんです」
「夢か、夢ねぇ……。今の時代にゃ役に立たねぇかもしれねぇが、持つにこしたこたぁねぇよ。若けぇってのはいいもんだ。ところで野山二等兵、貴様はどんな夢を持っとる?」
急に隊長から自分に話を振られ、私は一瞬返答に困った。戦争で勝つこと以外考えていなかった私である。
「自分の夢は一人でも多くの敵を倒すことであります。そのためなら死ぬ覚悟だって出来ています」
私は胸を張って答えた。
「そんなことは聞いとらん。ここじゃ敵も襲ってこんし、討ち死にも出来んじゃろう。もし、生き残って戦争が終わったら何をするんじゃ?」
「……」
私は答えられなかった。そんなことを考えてみたこともなかった。
「まぁ、ええわい。お前ら若者には希望がある。わしは戦争が終わっても、元の魚屋に戻るだけじゃ」
ある晩、韮山がせっせと何か作業をしていた。マンガを描いているわけでもなかった。
「韮山、貴様はさっきから何しているんだ?」
私は韮山を覗き込んだ。
「描き溜めたマンガを一冊の本にしているんだよ」
韮山は原稿を紙紐で括り、マンガ本を作っていたのだ。私はマンガなどには興味はなかったが、この時ばかりは韮山が一体、どんなマンガを描いているのか知りたくなった。
「ちょっと見せてみろよ」
「いいよ」
韮山は快く私に出来上がったばかりの手作りのマンガ本を渡した。
私は微かな月明かりをもらってそれを読んだ。
面白かった。そのマンガには台詞もなかったが、ユーモアが溢れていた。殺伐とした私の心が久々に潤ったような気がした。
「貴様、才能があるなぁ」
「へへへ、そうかい?」
韮山が照れたように笑った。
「今の日本には笑いが少ないよ。人間、笑わなくなったらおしまいだ、と思う……」
「それは戦争に勝ってからだ」
そうは言っても、私には韮山が羨ましかった。この戦場でもマンガ家になるという希望を捨てず、夢に向かって生きている韮山が。
その晩、床に就いた韮山が話しかけてきた。
「なぁ、野山……」
「ん、何だ?」
「貴様、俺のこと臆病者だと思っているだろう?」
作品名:戦争をやめさせた一冊のマンガ 作家名:栗原 峰幸