かがり水に映る月
09.だから言いたいんだ、これが最後かもしれないから(2/4)
「英人。よく聞いて、私はね――」
ざく。
二人から少し離れた場所で、草をかきわけ踏む音が鳴った。思わず月は発言を中断させ、音のした方に視線をやる。
つられて英人も、そちらを向いた。
ざく、ざく、ざく。
秋めいて色彩の鮮やかさを失った草木は、いともたやすく人の分け入りを許す。力なくしなだれて、沈黙する。
どちらかというと死の軸(ベクトル)に傾いた印象を抱かせる草原の中で、二つの人影があった。
弱いが確かに吹き続ける風に、オリーブグレーの髪が揺れている。
「月(つき)に魅せられたもの、狂気に落ちては虚像の炎に焼かれる也……」
「……な……」
「昔誰かが言ってた言葉さ。暗示結界を上書きさせてもらったよ。いい夜だね、お二人さん」
「……扉に鍵をかけて、そこの人間をどうするつもりだったのかしら?」
立ち止まる。
右に、皇。
いつものように、白いシャツの上に黒のロングコートを着込んでいる。ベルトで腰部を締めてはいるが、身長があるせいか女性的なラインは強調されない。無駄のないアウトライン。長い髪はさやりさやりと揺れ、それでも乱れることはない。
ポーカーフェイスはもはや彼女のアイデンティティと称してもいいくらいだった。今夜もまた、変わらず。
左に、桂。
こちらも変化なく、お揃いの白いシャツの上に黒いジャケットを羽織っている。全体的に黒で統率されたさまは、まるで喪服を着ているようだった。死を運ぶような、そんな縁起でもない連想を起こさせる。
皇と違い髪は短いが、さらさらとよく通る髪質の影響か、弱い風にも毛先を微弱にさらわれていた。
場の空気が一気に殺伐とする。
朔の晩は近い。追っ手が、力ずくの手に訴えてきてもなんらおかしくないのだ――その可能性を危惧したからこそ、全てを明かすべく、月は英人を呼び出したというのに――後手に回ったらしい。
「何か用?」
刺々しく一言。
「鐘が鳴る時間だ。舞踏会は楽しかったかい? 迎えに来たよ、月。災いの純血種」
手を差し伸べる皇。もちろん、届くとも思っていないし、月が手を差し伸べるとも思っていない。
児戯だった。
しばらくして、くすりという笑いとともに手は引っ込められる。
「何度も言ったでしょう。私は、あなた達と一緒にはいかない。約束を違えるわけにはいかない」
「時間がないんだ」
「関係ない」
「数日間……楽しかったろ? 純血種に生まれたことを忘れられたろ? それが君の人生だった、って割り切れないのか?」
「嫌よ!! 私は、明日も明後日も英人と生きていくって決めたの!!」
「では、英人君に問おう。招待状があるんだ、受け取ってくれるかな?」
風が割れる。英人の耳に、その音が響いた。直後には、頬に焼くような痛みと、わずかな鉄の匂いがあった。
「月!」
何が起きたのか理解できず、振り向いた先で、月が左手一本で何かを受け止めている。指に挟み込んでいるそれは、白い封筒だった。どうやら、皇は招待状とやらを何を思ったか投擲したらしい。
「読んで欲しい。んだが、ここは暗いな。まあ、月を明け渡してくれないかっていう内容だよ」
「……断る」
「悪くない条件があるんだがね。まあいい。そこの純血種も腕が鈍っているわけではないとわかったわけだし……」
「力ずく、ってわけね」
「話が易く通じるのはうれしいよ。桂、相手をしておやり」