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かがり水に映る月

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08.月下美人を見ると思い出すあなたが伏せた悲しい瞳(1/4)



件から数日が経過していた。

「桂」
――姉と定義されている皇の仕事終わりに、桂が何を命令されるわけでもなく迎えにあがるのは毎日のことだった。
思えば、依頼を受け桂を引き取ったその次の日から、桂は皇の後ろをついてまわり従順に徹している。
そこまで、居場所がなかったのだろうか。以前の故郷では。
「……」
無理もないか。まさに今、真っ暗な待合室で冷めたコーヒーをうつろに見つめながら固まっている桂を見ればわかる。
きっと、こんな暗い瞳でずっと生きてきたのだ。処刑されるはずの月が逃げ出し、代替として扱われている間ずっと。
皇の声に気づいていないらしい。人形のように、まばたきなど最低限の動きを残して活動を止めている。
時間すらも、止まっているかのようだった。
音があるとすれば、時計が無機質に針を進める音だけ。
「桂」
「あ……」
「終わったよ。電気、つけるからね」
こくん、と頷きそれを返事とする桂。部屋を明るさで満たしてから、皇は黙って桂の目の前にある冷たいコーヒーを捨てた。
代わりに、空になった紙コップにパック詰めの血液をついでやる。
すすめるようにして、とん、とテーブルに置いたのだが、桂は手をつける気配を見せなかった。
「飲まないのか?」
「……」
「食欲ない? また?」
「……はい」
「せめて半分は飲みなさい。月を迎えに行く前に、お前がだめになってしまうよ」
「……はい」
言われてやっと、桂は両手でコップを持った。熱いココアをすするように、少しずつ血液を体内に摂取していく。
人狼は血液だけに頼らずとも生きていけるが、力をつけるには血液が一番即効性と確実性がある。
桂はただでさえ小食で体も弱い。定期的に血液を直接摂取させるのは、もはや習慣となっていた。
新鮮であればあるほどいい。人間とまではいわない、動物からでも生き血を吸血してくれれば助かるのだが、無理強いはさせられない。
優しく皇が頭をなでてやると、桂はうれしそうにそっと目を細めた。


皇が今の名を抱いて、人間社会に溶け込んでから過ごした年月は三桁にもなる。
疑われぬよう世界を転々としながら、自分の肩書きは嘘で塗り固めて、あくまで楽しく悠久を食いつぶしてきた。
一人だったわけではない。
だが、独りだったのかもしれない。
今、桂という存在が隣にいるからこそそう思うようになった――皇が目をやった先に、一面の夜景が映る。
色んな事があった。
色んな国の言葉を覚えた。出会いと別れが数え切れないほどあった。故郷に戻りたい夜もあった。
最初は、看破されて眠っている間に杭を打たれるのではないかと恐怖にかられて眠れない頃もあった。
自分はどこへいくのだろう。
いつまで生きているのだろう。
「桂」
「はい」
「お前は、私の大切な妹だよ」
「ありがとうございます」
ぱっと、花が咲いたように笑う桂。そんな彼女を、いつしか皇は『守ってあげたい』と思うようになった。
それが生きる理由に変わるまで、そう時間はかからない。
何故そこまで情を移したのか、自分にもわからぬまま。


作品名:かがり水に映る月 作家名:桜沢 小鈴