かがり水に映る月
06.視線一つで傾倒し狂うこともある世の中だから(1/2)
月が問い詰めたあの夜以来、気まずい空気がどこかしらに流れたまま数日が経過していた。
珍しく、毎日静かに雨が降っている。冬の雨――ノスタルジックな感情を乗せる夏の雨とはまた違った、天気だった。
雨が降り始めてから、月は外に出るどころか一歩も部屋を出なくなっている。
ひきこもっている理由はわからない。吸血鬼は流れる水を渡れないという伝承もある、雨が苦手なのかもしれない。
はたまた、まだ疑っているのか。
自分の知らない間に招かれざる来客が来たのではないかという、不安に満ちているのか。
「……雨、嫌いなの」
「そう……でも、外で食事っていうか、そういうのしてもらわないと……最近、めまいがひどいよ」
「……でしょうね」
「言いたくないんだけど、言うね。一人じゃ抱えきれないんだ。血を吸われすぎると、つらい」
「……でしょうね」
そして、無言になる。
窓を打つ淡々とした雨音だけが、部屋を奏でていた。雨を嫌いだと言うのなら、月にとっては今この瞬間これ以上なく気分の悪いことだろう。
少しずつ、二人は追い詰められていた。致命的ではないが、遅効的な毒が互いを蝕む。
疑心暗鬼。
すれ違い。
荒む心。
歯車は、止まらない。
深夜、英人は月を放っておいて一人眠りについていた。といっても深い睡眠ではなく、何度も目が覚めてはまどろむ。
その度に月の様子をうかがうのだが、部屋のすみでひざを抱えたままうつむいて動こうとしない。
少し痩せたように見えた。
いや、短時間で痩せたというよりは、精神的にまいってしまっているようだった。それが表に出ている。
英人に言われてから、吸血を望んでもいない。かといって外に出てもいない。
それが緩慢な自殺行為ではないのかと、英人は不安に感じており、それを思うとぐっすりと眠れない。
それでも眠りの波は訪れた。夜が明けるまで、時間はそうない。
雨が、ぴたりと止んだ。その瞬間、世界は変調する。
月が立ち上がった。その際のわずかな物音に英人も目をさまし、彼女を見上げるが月はそれ以上動こうとしない。
聞き耳をたてているのが、神経をはりつめさせているのが、寝ぼけている英人にもわかった。
「……どうしたの」
「黙って」
またも聞くことになる、低い声。怪訝に思い布団をどけ、上半身を起こしまなこをこする。
「来る」
短く、月が言った。
「何が?」
「誰か近づいてきてる。ねえ英人、こんな時間にあなたのお友達は遊びに来るの?」
「いや……来ないけど……」
「……」
押し黙ったままの月の視線が、顔が、英人のほうへと向いた。それはとても厳しい表情で、まるで、英人を責めるような。
闇の中で、目だけがわずかに赤みをさしているような、そんな気がした。
――ああ、吸血鬼だからそんなことがあってもおかしくないのかもしれない。英人はのん気に思う。
大体、深夜に出歩く近所の住民がいないと決まったわけではない。遅く帰ってくることもあるだろう。
英人には月が何故、ここまで警戒しているのか理解ができない。
そんな英人の、いわば間抜け面を見ているのが辛くなった月は視線を次は玄関の方へと向ける。
足音は近づいてくる。
一人ではない。複数だ。機械のように規則正しく、月の聴覚で聞き取れるはずの呼吸音が聞こえてこない。
歩く音は聞こえるのに、だ。人間以上の五感をもってしても聞こえない、聞こえなければいけない音。
覚悟を決める時が来たのだと、月は確信する。英人に説明している暇はない。
「ついに、来たのね」