かがり水に映る月
05.歪んだ歯車を拾い上げて、本当どうかしてるみたいで(3/4)
「英人君。落ち着いて聞いてほしいんだけど、私達は別に君に危害を加えようっていうわけじゃない」
「帰ってください!! ここには何もありません!!」
「困るなあ」
「姉さん、あんまり騒がれると人が来ます。代わって下さい」
「あー」
間延びした声。おもちゃをとられてしまうような、ひどくつまらなさそうな不服の主張。
しかし、直後にふう、と息を吐いて
「わかったよ。桂、あんまり無理するなよ」
扉にかけた手を離さないまま、桂と呼称された相手に英人のそばを譲った。
「英人さん、ご容赦下さい。少々手荒な手段をとらせていただきます。こちらも退けませんので」
「え……」
「扉を開けて下さい」
「そんな、」
「開けて下さい。目の前の扉を。英人さん、あなたが」
「!?」
ぐらり、と視界が揺れた。倒れそうになるのを、必死に押しとどまる。
おかしい。これは、月が吸血したことによるめまいではない。なんだ? 声を聞いた途端、五感全てが変調を――。
また、眠たくなってきた。気が遠くなっていくような感覚。わからない。
どうなっているのか、何が起きているのか、目の前にいるのが誰なのか。記憶が溶けていく。
ぎりぎりに知覚できたのは、意思と反して扉のチェーンを外している自分がいることだった。
「いい子ね」
難攻不落でもなんでもない城を開城したのちに、へたりこんだ英人を見て、桂はあざ笑う。
言葉は皮肉以外の何でもなかった。にたりとした笑みをはりつけたまま、部屋の中へと立ち入る。
「悪いね。部屋を調べさせてもらうよ」
続いて、二人目。
ぱたりと扉は閉められて、静寂が部屋を満たした。
「……姉さん。いました」
「間違いないんだな?」
「ええ」
「ふむ……」
相槌を打ちながら、姉さんと呼ばれた女――皇(すめらぎ)は腰元で何かを撫でた。
革で作られたその形は、鞘。ベルトにひっかける形で、シースナイフを所持しているのだった。
だが、普段はコートに隠れて見えない。うまくやっているものである。
そんな物騒な雰囲気をかもす皇の後ろで、桂は先ほど嘲笑した時と同様の表情で、布団に眠る月を見つめていた。
「どうしましょうか」
「ここで確保してもいいが……朔まではまだしばらくあるし、泳がせておくのも手か……」
「……」
「納得いかないかい?」
「いえ」
短い返答。
「安心しなさい。こいつはここを出れないよ……しかし、吸血鬼ってものは薄汚いものだな」
「……?」
「人の形を似して作られながら、人には迫害される。そして、我らにとっては凶兆でしかないのだから」
「姉さん。そろそろ、暗示の限界かと」
「出直すとしようかね」
言うなり、ためらいなく踵を返し玄関へと向かう皇達。へたりこんだままの英人とすれ違う時、それぞれ言葉をかけてゆく。
「英人君。これから、苦労するよ」
皇。
「……何も知らないというのは、不幸ね」
桂。
「ああ。英人、鍵をかけておきなさい。チェーンも忘れずにね」
そして、来客は去っていった。