かがり水に映る月
05.歪んだ歯車を拾い上げて、本当どうかしてるみたいで(1/4)
――僕は、間違っていない。
真の死から目をそらして逃げているわけじゃない。生前の彼女の言いつけ通り、自分のできる事をやっているだけだ。
月は言うことをよく聞くし、最近は家事に興味をもったのか手伝ってくれる。
不器用な彼女が包丁で手を切り、そんな手に仕方ないなと絆創膏を貼ってやっている時、僕はなんともいえない安心した感覚に包まれる。
漠然とした幸せの種がそこに、あるんじゃないかと思う。
真を忘れたくはない。はい次、と依存先を乗り換えたくもない。だけど、僕が月に少しずつ惹かれているのは明らかであって。
ほら、以前だってあったじゃないか。
好きな人と一緒にいると、マイナスな考えがどうでもよくなって、なんだか根拠もないのに全てがうまくいくような気がして――それを、少しだけ感じている。
出会ってから早いもので一ヶ月が経とうとしているけれど、いまだに月を外に出すことはできない。
彼女もそれを拒んでいる。
追っ手なんて本当にいるんだろうか?
そんな物騒な呼称でいいんだろうか?
ある日、玄関のインターホンが鳴って、出たら月の両親が立っているかもしれない。
危なっかしい娘が心配で迎えにくるとか、ありそうじゃないか。とんだ家出娘に言いくるめられたのかな。
どうしたら、いいのかなあ。
第三者にドッペルゲンガーは知覚できないって、本に書いてあった。
じゃあ、目の前の月は一体? 正直言って、その辺りの一卵性の双子と称される人たちよりそっくりだ。
違う場所を外見で見つけるのがとても難しい。不可能なんじゃないかと思う。
誰なんだ?
隣で笑う君は、誰?
――私は、間違っていない。
とりあえず、英人のそばに居座ることには成功した。何も考えることができなくて、考えても何も浮かばなくて勢い任せに突っ込んだけれど、結構うまくいくものだと自分でもびっくりしたのを覚えている。
多分、この子が特別なんだろうけれど。無用心で、心も脆くて、寂しがりで。
ただでさえそうなのに、恋人を亡くして傷心している時に同じ顔の自分が来たんですものね。
拒めるわけがないわよね。人に話しても信じてもらえないだろうし。
ひどいこと、したかしら。
でも、私はあなたのそばに……せめて今だけでも、いや、少しでも長く、いなきゃいけないから。
そう決まってるから。
恋人のことは当たり前だと思うけど、ねえ、英人。私のことで悲しんだりしないで――あなたのせいじゃない。
姿かたちがそっくりって知った時は、私もびっくりしたわ。運命ってこういうものなのかなって思った。
あの晩出会った時、あなたがひどく驚いていたのも、泣きそうになっていたのも、おびえていたのも、今なら理解できる。
もう、あれから一ヶ月くらい経ったかしら?
英人はいろんなことを教えてくれる。人間が普段何をしているのか、どうやって生きていくのか。
実際首を突っ込んでみたりしたけど、難しいのね。自分の血なんて久しぶりに見た。
飢えて腕を噛んだ時くらいしか、自分の血なんて見なかったから。――私はもっと、あなたのことが知りたい。
血を吸う事じゃあなたに詳しくなれない。だから、そばにいることで、色んな事や感情を共有することで、あなたを。
追っ手にいつ見つかるかもわからない。明日かもしれない。明後日かもしれない。来ないかもしれない。
私はその時、誰を名乗るのかしら。
英人が私によくしてくれるのは、真の面影を重ねているからなんてそんな当たり前なこと、とっくに気づいている。
誰でしょうね?
今、英人と接しているこの人の形は誰でしょうね?
英人は、言葉をつむぎ続ける。やわらかく、やさしく、包み込むようにして。
「おいで。抱きしめてあげることしか、今はできないけれど」