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海竜王 霆雷 花見1

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「知識を蓄えるのは、おまえの仕事だ。仕事はきっちりとしてこい。」
「わかってるよ。ちゃんと休めよ? 親父。水晶宮のことは、俺や美愛が把握しておくからな。」
「おう、頼む。」
 じゃあなーと、小竜は蓮貴妃と部屋を出る。やれやれと、深雪は、長椅子に横になる。眠り病から覚めたので、体調は徐々に戻っているのだが、ここのところの無理がたたっているので、長夫婦から散々に叱られて静養させられている。窓から見える薄紅色の花を目にして、ぼんやりと記憶を辿る。妻が、私宮の周囲に同じ草木を配置したのは、新しい記憶を作るためだ。懐かしい記憶の上に、さらなる楽しい記憶を上塗りしていけば、懐かしいと思うが悲しいとは思わなくなるはずだ、と、わざわざ、人間界から取り寄せた。それは、確かにそうだが、懐かしい記憶は、未だに胸の痛みはもたらしている。もう、二度とあの時間には戻れない。それが悲しいと思うのだ。

・・・・俺は幸せに生きてるよ? みんな・・・・・

 あの時、周囲に居た人間は、一人として生きていない。最後まで、きっと気にしてくれただろう。真実を告げることは叶わなかった。だから、悲しいと思う。ちゃんと竜に転生して幸せに暮らしているのだという事実を知らせることはできなかった。
「・・・深雪・・・」
 すっと横手から、茶器が現れた。そこに居るのは、蓮貴妃だ。
「小竜は、碧海が迎えに来ました。・・・これを飲んで休みなさい。」
 差し出されているのは薬湯だ。匂いからして、催眠効果のあるものだ。なぜ、と、顔を上げたら、蓮貴妃は苦笑している。
「そんな顔をしていては、華梨が心配するからです。」
「顔に出てたか? 」
「小竜には気付かれておりませんが、私には解る程度には。」
 部屋に入った蓮貴妃は、深雪が辛そうな顔をしているのに気付いた。長年、深雪の世話をしているから、微妙な表情というものが解る。たぶん、あの花に記憶が蘇ったのだろう。毎年、あの花の頃に、そういう表情をすることが多い。人間界でのことを偲ぶらしい。
「・・・悪い・・・なんでもない。」
 ゆっくりと起き上がって、深雪も薬湯を手にして苦笑する。母親代わりをしていた蓮貴妃には、なかなか表情までは隠せない。
「別に悪いことではありません。おまえを形作るもののひとつです。」
「・・うん・・・」
「あの花は、それほどに大切なのでしょう。」
「・・うん・・・」
「それは悪いことではありません。良い思い出は大切になさい。」
「・・・うん・・・蓮貴妃、あの花の下で少し眠りたい・・・添い寝してくれないか? 」 
 ほほほほ・・と、蓮貴妃は笑っている。もう添い寝が必要な年齢ではないのに、たまに、深雪は、そうねだる。他のものには、ねだらないが、蓮貴妃だけは違う。過去、人間界で成人して死ぬ直前まで、添い寝してもらっていた相手があった。蓮貴妃は、その人間と似ているから、ついついねだるらしい。
「私は、『りっちゃん』ではないのですが? 」
「でも、母親代わりだろ? 少しでいいから・・・」
「しょうのないこと。では、薬湯を飲み干しなさい。」
 そして、蓮貴妃は呆れたフリはするが拒んだことはない。生まれたての小竜の頃から世話しているから、もはや自分の子という感覚だ。深雪が甘えてくれるのは、嬉しい。最初は懐かなくて大変だったが、懐かれてしまうと手は離せなくなった。本来、蓮貴妃は青竜王の正妻である簾の参謀だ。あちらで差配しているのが仕事なのだが、どうしても深雪を放置できないから、水晶宮の幕僚の仕事をすることになっている。少しでも深雪に手を貸してやりたいからだから、簾も諦めている。ごくりと薬湯を飲み干した深雪と、庭へふわりと舞い降りる。満開の花の下に降りると、横になった深雪の手を握り、その横に自分も寝転ぶ。腕枕してやると、深雪はほっと息を吐く。ふたりして視線を上げて桜の花に目を遣る。
「いつまでもしょうのないこと。」
「・・・うるさい・・・蓮貴妃も疲れているだろ? 」
「おまえほどではありません。・・・おまえ、少しは加減なさい。霆雷に付き合って無茶ばかりしていると、我が上から、また叱られますよ? 」
「・・・わかってる・・・一姉が、マジ切れしそうな勢いだった。」
「当たり前です。みなも心配しているのですよ? 」
「・・うん・・・」
 公式でなければ、蓮貴妃も、こんな調子で会話する。まるで我が子のように嗜めて、深雪の前髪をかきあげている。
「・・・桜はさ・・・一番派手な花見だった。」
「そうですか。」
「・・・ようやく、先が見えた気がする。」
「まだ何百年かかかるのですよ? おまえが竜の理を達するには、まだまだ時間がかかるのです。」
「・・・でも・・・あれが登極すれば・・・もう、なんの憂いもなくなる。少し気が楽になった。」
「では、それまで水晶宮を護らねばなりません。深雪、ひとりではないのですよ? みな、おまえのために共にあるのです。」
「・・・うん・・・」
 すうっと息を吸い込んで、深雪が目を閉じる。薬湯が効いてきたらしい。身体から力が抜けるまで、そっと髪を撫でて、それから、静かに声を発する。すると、背後に、衛将軍がやってくる。
「大丈夫だ。周囲には誰も居ない。・・・こいつ、よほど、桜には思い出があるんだろうな。いつも、この時期だ。」
 こんな姿を、他のものには見せられない。だから、沢も周囲から人払いした。いつも、この桜が満開になる頃、蓮貴妃に添い寝をねだる。当人は気付いていないようだが、毎年付き合っている蓮貴妃と沢は、この時期は、なるべく人払いをするように心がけている。今回は、私宮で静養しているから、そういう意味では楽だった。
「まだ、本来でしたら太子のはずの年齢です。不安定になるのは、仕方ありません。」
 七百歳という年齢は、竜として鑑みれば、まだ青年だ。本来なら、太子という主人見習いをしている年齢で、すでに水晶宮の主人を恙無くこなしているのだ。多少、不安定になることもある。すっかりと竜として馴染んでいるが、それでも、この桜には何かしら偲ぶことがあるのだろう。慟哭して帰りたいと泣いていた深雪を知っている沢と蓮貴妃は、この季節は気になるものだ。大人になって泣くことはなくなったものの、悲しい顔はするからだ。いつにもまして甘やかすのも、そのためだ。
「いっそ、この花は無くしたほうがいいのかもしれないな。」
「いえ、深雪には必要だと思います。・・・・思い出まで無くさせてはなりません。人界の方たちの思い出があるからこそ、深雪は深雪であるのです。」
「わかっちゃいるが・・・可哀想でな。」
 親代わりとして一番長い時間を過ごしている二人だから知っていることだ。忙しい親たちにも甘えているが、日常を常に見知っているから解ることもある。たぶん、まだ、桜に関する記憶は、人界の記憶のほうが鮮やかなのだろう。だから、この花の季節に、少し憂いのある瞳になる。
「そろそろ深く眠っただろう。寝所に戻すぞ。」
 さすがに長時間、外で、こんなことはしていられない。人払いしても、外では人目というものがある。
「私が付き添いますから、休憩してきなさい、沢。どうせ、手は解かれません。」
作品名:海竜王 霆雷 花見1 作家名:篠義