「哀恋草」 最終章 それぞれの幸せ
「ここに居っても良い話は来ないであろうから、わしもそなたに幸せになってもらいたいゆえ、できる限りのことはしてやりたいがのう、久はこの話はどうじゃ?」
「法住寺殿は後白河様のお屋敷、かつてのことを思えば、良しなにして頂けるように思われまするが、われらも上京してお頼みいたすことが宜しいかと・・・」
「うむ、そうじゃのう。親として礼を尽くせば、叶わぬことではないかもじゃのう」
「お父様、それは良いお考えですわ。光は何とか院に取り計らって頂き、お二人をお迎えしたいと願いまする。京の町は世情も安定して活気が出ております。お二人が来られたら、光はいろんなところへ御一緒して、楽しみとうございます。是非そうなされませ!」
何気に聞いていた弥生も話が具体的になってきたので、身を乗り出して、話に食い入るように聞き入った。もうすっかり、二人は京での暮らしを夢見るようになっていた。
健康に留意していた後白河法皇はまだまだ強い院政を敷いていた。頼朝への征夷大将軍の任官に反対して朝廷に圧力をかけ、鎌倉からのおびただしい朝廷への貢物や懐柔策も院には通じなかった。光と一緒に法住寺殿へ着いていったみよと弥生は、作蔵と久とともに院に目通りが叶い、心のうちを打ち明けた。光を側近に迎えて、身の回りの世話役に新しく弥生とみよを傍に置くとの許しを得た。喜び合う三人の姿に目を細め、後白河は作蔵や久の苦労をねぎらった。このまま平和が続いてくれれば・・・そう願っていた院ではあったが、やがて忍び寄る病魔に臥せることとなってしまう。
自らの病を振り払う法要も営まれた。多くの寺の復興のために進んで勧進もした。政治には狡猾な後白河ではあったが、仏門には真摯な気持ちで終身接していた。光とみよ、弥生の三人は後白河の健康を気遣いながらも、休みには三人で市中に出かけ遅くまで遊んでいた。このままでは、どうやら三人には縁談が来そうにもない様子が窺えた。
みよと弥生を法住寺殿に預けて帰ってきた作蔵と久は、初めて広い家の中に二人だけの夜を迎えていた。作蔵が秘蔵のどぶろくを持ち出し、今宵はゆっくりと語り明かそうと、久を誘った。皆がいなくなった寂しさからか、久は作蔵に寄り添うように傍で、杯を受けている。
「のう、久は幾つになるのじゃ?」
「はい・・・四十を越えましてございます」
「そうか、そなたも苦労したのう・・・わしのような田舎者で良いのか?」
「あなた様は田舎者なんかではございません。世情に詳しく、臨機応変のご活躍があったからこそ、こうして皆が生き延びてこられたのでございますよ」
「・・・そのように褒めてくれるとこそばゆいのう、ハハハ・・・」
「私の方こそ田舎もので礼儀知らず。それにこのような年回りにて女子としてあなた様に、ご不自由かけるやも知れませぬ」
「そなたこそ、田舎ものではござあらぬぞ。吉野やこの集落で多くの女子衆を見てきておるが、敵うものはおらぬぞえ。作蔵にはもったいないほどの美しさでござるぞ」
「本当でございまするか?信じてよろしいのでございますか?」
酔って来たのであろうか、久は体が熱く感じてきて、より作蔵に、もたれかかるように、甘える仕草をした。志乃には無い成熟した女の色香があふれ出していた。作蔵には一年ぶりの、そして久には数年ぶりの抱擁が始まってゆく。囲炉裏の炎が小さく消えかかってゆく肌寒さの中、寝所に入ることもせず、あたりをはばかることも無く、作蔵は久の身体をまさぐり年齢を感じさせない反応に自らも溶け込んでゆくのであった。
寒空の天高くに大きな月が二人を照らしていた。勝秀の魂はどのような気持ちで空からこの二人を見ているのだろうか・・・
幸せな姿に祝福を送っているのか、または、激しい嫉妬に怒り狂って眺めているのか・・・
そんな思いなど感じさせないほどに作蔵の優しさは久の身体を包んでいた。
光の父勝秀は平維盛(これもり)が家臣であった。平氏との係わりが密であった後白河の警護に当たっていたが、平氏の都落ちから、自らも着いて行き、屋島に逃げ延びた所を自分が留守の間に奇襲され、あっけなく一族は滅亡に向かった。福原(神戸)にいた維盛とそのわずかな身内は、夜影に乗じて小舟で紀州に逃げ落ち、維盛を除く家臣たちと家族は吉野の一蔵が引き取り、ともに生活を始めた。一人自らの死を持って家臣たちを守った維盛はその生前に、光と出逢い恋仲になった。わずかばかりの逢瀬で散っていった哀しみを、心からぬぐうことが出来ずに今日まで暮らしている。
父勝秀との縁も浅からぬ後白河の世話になって、今その命を終えようとしている法皇のそばで世話をしている自分が、少しは父への恩返しになっているのかと感じていた。
みよは、幼い頃、子供がいない作蔵夫婦に里子として貰われて来た。自分の子供のように可愛がってくれた義父作蔵は、突然の訪問によってやって来た久と光の親子との出会いから運命の歯車を狂わさせられた。自らは婿を貰い入れたが、子供が出来なくて逃げられてしまった。女としての幸せを捨てようとしていたころに、出会った光とは今こうして傍にいるほど姉と慕われ、妹と慕っている。
弥生は北条時政の妾として囲われ、今は無き志乃とともに時政の女間者として存在していた。時政から義経探索の命を受けて、鎌倉を出立した二人は運命を変える人と出会った。時政を裏切り作蔵や久たちと行動をともにした結果、仲間の志乃を失ったが、時政から解放され、女として光やみよと楽しい日々を過ごしている。
生まれも育ちも全く異なる三人の女性が平氏と源氏の争いで、その運命を変えられ結びついてゆく人生を誰が予想したであろうか。
これから先、争いごとが無くなる世に生まれ変わらない限り、本当の幸せはやって来ないのかもしれないが、京にいる三人は女の自由を満喫していた。そして作蔵と久も本当の夫婦になり暮らしている。この幸せな時間は、その犠牲となった勝秀、志乃の御霊がいつまでも見守ってくれている・・・光にはそう感じられるのであった。
作品名:「哀恋草」 最終章 それぞれの幸せ 作家名:てっしゅう