篠原 めい3
「篠原が入院したと、地上に降りて聞きまして、見舞いに来させていただきました。それと、板橋さんたちに、お礼を申し上げたくて。」
「お礼? 」
夫婦が不思議そうに首を傾げると、五代は手をベッドのほうへ軽く差し出した。
「篠原の世話をしてくださったことへの感謝です。本当に、ギリギリの状態でしたから、復帰できるまでに回復させていただいたことは感謝の言葉以外に見当たりません。ありがとうございました。」
めいとふたりして深々と頭を下げた。壊れたと聞いて、もう戻って来ないのかもしれないと思っていたが、自分を出迎えた篠原が笑っていたので安堵したのだ。そこまで持ち直させるには、相当、苦労してくれただろうと感じていた。なんせ、普段から食が細いし、やりたいこと優先で睡眠時間をスルーするし、ある意味、マイペースな生き物だ。それが壊れていたのだから、とんでもなく手間がかかったと思われる。それも雪乃抜きだったのだから、大変だっただろう。そこまで回復させる手助けをしてくれた板橋夫婦には、直にお礼が言いたかった。本当に感謝してもし足りない。
「そんな感謝していただくことはないんです。私たちは、あなたがたのお陰で命を護っていただきました。それに比べれば大したことではありません。」
「そうですよ。大変なお仕事でしたね。私たちのほうがお礼を申し上げる立場のはずですわ。」
夫婦は、そう言って、こちらも頭を下げる。VFが辛うじて勝利して地球は救われた。その部分は、民間人である板橋夫婦としては、直にお礼を言えることは幸いだ。
「とんでもない。篠原は好き嫌いが激しくて量も食べないし、従順にみえて我侭です。そんなのの世話は大変の一言に尽きます。」
めいの言葉に、夫婦は笑い声を上げた。記憶があっても、そういう生き物であるらしい。
「ほほほほ・・・確かに食事は少し困りました。何を食べさせても少ししか食べないので。」
「ありがとうございました。ちゃんと笑えるようになってよかった。」
「義行とは仲が良かったんですか? 」
「ええ、私は姉代わり、五代が兄代わりでした。私たち、みんな、岡田さんの弟妹みたいなものでしたから。」
夫婦は、そこで、ちらりとベッドのほうへ視線を投げた。岡田という人物のことは聞いている。その次兄や姉みたいなものだったと言われたら納得した。一番年下だったから、五月蝿いのがたくさんいた、と、息子も言っていたからだ。ただの関係ではないものが、VFにはあったから結束も固くて、あの困難に打ち勝てたのだろうと、板橋も感じた。だからこその見舞いなのだろう。
「寝ているみたいですね? 」
「ええ、寝たり起きたりなので。起こしますわ。」
どうぞ、と、板橋夫人が先にベッドに近寄る。肩を軽く揺すり、声をかけると、声がする。
「義行、あなたの大切な方たちが、お見舞いにいらしてくださったわよ。」
うーん、と、声がしてゆっくりと目が開く。焦点が合うまで、ぼんやりと天井を眺めていたが、母親の背後の人影に気付いたら、慌てて飛び起きようとした。それは、めいと母親が止めた。
「・・・なっなんで?・・・」
「熱があるくせに動かない。」
「・・・や・・・だって・・・めい・・・あ、もう、そんな時期? 」
「ええ、先日、無事に帰還したわよ。そしたら、篠原は入院してるなんて聞いたから見舞いに来たのよ。このオオバカわんこっっ、私たちの留守に何やってんのっっ? 」
板橋夫人と入れ替わって、篠原の横に立つ。いきなり、めいが現れたから混乱しているらしい。背後には五代の姿もある。これはマズイと焦っているのか、わたわたと動こうとするので、めいは怒鳴った。
「・・・りんさん?・・・」
「情報源は多数よ。だいたい、嘱託のバイトが何を勝手に会議に出席してんのよ。そんな権限使えるわけないでしょ。名指しだったら疑えっっ。」
篠原の今の立場は、科局の嘱託員というもので単なるアルバイトと同等の地位だ。だから、表立って会議に出席なんぞできることはないし、呼ばれたとしても、出席する義務もないのだ。それをのこのこと出て行ったというのだから、五代もめいも呆れた。その段階でおかしいのだと気付け、と、言いたい。
「・・・でも・・・」
「でも、も、だって、もないっっ。それで誘拐されそうになって怪我までさせられるって・・・ほんと、このバカッッ。心配させるにも程があるでしょっっ。」
一度、神経焼き切れて壊れてしまったのだ。こんなことがあったら、またおかしくなっているのではないか、と、五代は心配した。せっかく回復したのに元の木阿弥になっていたら、岡田に申し訳ない。だから、自分の目で確かめに来た。
「・・・五代も怒ってる?・・・」
名前を呼ばれたので近寄る。そりゃ怒っているが、それよりも大事なのは、自分たちの名前を呼んでくれることだ。壊れていないのだと微笑む。
「そりゃ心配させられたから怒ってるよ。俺は言ったはずだぞ? おまえが独りで、そういう場に出るのは、俺に恥を掻かせる行為だって。俺は艦長で、おまえは技師長だ。そういう場には、まず、俺が出向くもので、俺で説明が足りないとなれば、おまえが召還を受けるのが筋だ。それを、おまえが、まず出席するということは、俺よりおまえのほうが責任が重いって結果になる。篠原、おまえ、艦長より偉いのか? 違うだろ? 」
「・・・違うんだ・・・あの・・・VFの件ではなくて・・・」
「うん、それも聞いた。でも、それならりんにも責任がある。りんは、ここに来れないから、めいに凹にしとけって依頼してたぞ? 」
「・・あ・・・うん・・・」
首に分厚く巻かれた包帯、パジャマから見える胸にも包帯、極めつけが左手の器具で固定され包帯まで巻かれている状態だ。かなり酷い怪我をしたらしい。
「せっかく地上に戻ったのに、ゆっくり酒ぐらい飲ませてくれ。」
「・・・うん・・・ごめん。」
五代が話している間に、めいはバイタルサインの確認をしている。ベッドの横にあるパネルで、それらを確認して、首の包帯を触る。
「痛い? 」
「・・ううん・・・もう痛くない。」
「熱発してるのは左手? 」
「・・・わかんない・・おかあさんに聞いて。」
「ポチ、お手。」
はい、ここ、と、右手を差し出すと、篠原も右手を持ち上げて、めいの手に載せる。目一杯、握れ、と、言えば、微かに圧を感じるほどだ。前回、顔を合わせた時は、もう少し握れる握力があったはずだが、リハビリ途中で放棄した形になっていて、握力はなくなっている。右手にも細かい傷がついていて、それはカサブタになっている。それをじっと見つめて、「ほんと、バカ。」 と、呟いた。
「めい、あんまりバカ、バカ言ってやらないでくれ。篠原が落ち込む。」
「だって、バカじゃないの。ほんと、雪乃に軟禁してもらいたいわ。」
「・・・・僕・・・今、雪乃と暮らしてないんだけど? めい。」