篠原 めい3
疲労困憊してしまった身体というのは寝て回復するもので、ここんところの篠原は、寝たり起きたりを繰り返している。曜日の感覚がおかしくて、もう何日なのかはっきりしない。朝から少し熱が高いとかで、氷枕をしてもらって、うとうとしていた。足音が聞こえたので、目を開けたら鈴村夫人がサイドテーブルに花かごを飾っていた。
「ごめんなさい、起こしてしまった? 」
「・・・いえ・・・うとうとしてるだけなので。」
「ビタミンカラーって元気が出る色なんですって。」
花篭はオレンジの花がたくさん飾られたものだった。確かにオレンジは目に鮮やかな印象だ。
「・・あの・・・そんなに気を使っていただかなくても・・・・・僕、毎日、鈴村さんのお顔を観ている気がするんですが? 」
毎日のように新しい花篭が届けられている。匂いのいいもの、色合いが綺麗なもの、珍しい種類のもの、それらが病室のあちこちに配置されている。
「迷惑かしら? 」
「・・いえ・・・僕の顔・・・・あまり、ごらんになりたくないと思うんです。」
鈴村にしてみれば、一時、自分の息子を死に追いやった人間だと思っていた相手で、鈴村自身にも怪我までさせた。もう顔なんて見たくもないだろう、と、篠原のほうは思う。「人殺しっっ。」 と、叫んだ鈴村の顔が忘れられない。誰だって、自分が大切に思っていた相手を亡くす原因になった相手と対峙したら、そうなるだろう。だから、誤解の謝罪だというのなら、もう十分だと思っている。
「ごめんなさい。実は、あなたのことが気になるの。だから、お見舞いだけはさせていただけないかしら? 」
「・・・・僕ですか?」
「ええ、食事が摂れるようになったら、お薦めしたいものがたくさんあるし、お花を選ぶのも楽しいの。迷惑でないのなら許してください。」
鈴村にしてみると、まったく逆だった。二週間しても身体が疲弊して食事も受け付けない篠原を見ていると心配でたまらなくなる。少しずつ回復している様子を伺えれば、自分も気が紛れる。疲弊させた原因は、自分たちにある。償いたいという気持ちと、もう少し話をしてみたいという気持ちからの見舞いだった。
「・・・楽しいですか? 」
「はい、楽しいですよ。何か欲しいものってないの? お花だけじゃなくて、他のモノを探すのも楽しそうだから。」
亡くなった息子と年の変わらない青年だ。何を見舞いにしたら喜ぶのかわからなくて定番の花篭にしている。当人が欲しいものがあるなら、と、尋ねたが、「これといってはありません。」 という素っ気無い返事だ。
「・・・お怪我のほうは大丈夫ですか? 」
「ええ、もう痛みも取れました。」
「・・・・今日は何曜日ですか? 」
「土曜日よ。板橋さんも、そろそろいらっしゃるんじゃないかしら。」
待ち合わせしているわけではないが、鈴村は午前中の治療が終わった頃に見舞いに来る。だいたい、板橋も同じ時間帯にやってくるから顔を合わせることが多い。どちらも、死ぬ気で篠原を庇ったことで、わかりあえた部分がある。だから、たわいもない世間話をするのも鈴村の楽しみな時間だ。板橋夫人と篠原には血の繋がりはない。それでも、本物の親子のようだ。記憶がおかしい時に誤解して、その関係はできたのだと教えてもらったが、どちらも本当に相手を大切にしている。篠原を庇った板橋は必死だったし、庇われた篠原も必死に板橋を退かそうとした。それで鈴村も危険を顧みず、その前に立ちはだかったのだ。守らなければならない、と、今まで信頼していた議員と対峙した。
少し会話を打ち切ると、篠原は眠りに引き摺り込まれる。それを確認して、はあと大きく息を吐いた。自分の息子より若く見える篠原が、VFの技師長だったというのが、いまだに解せない。もちろん事実の確認はしているから間違いはないが、それでも、この子が? というのが鈴村の正直な気持ちだ。それを正直に板橋に話したら、「そうでしょ? 私も信じられないぐらいよ。」 と、笑っていた。
ただ、その片鱗は垣間見た気はする。篠原が拉致されようとした時、「他の方に危害を加えないのなら付き合います。」 と、鈴村まで庇ったからだ。謝罪に出向いた後だったとしても、あれだけひどく罵った相手を庇ったのには驚いた。それで暴行されて首を絞められた時も、板橋とふたりで助けに入ったら、「お願いだから逃げてください。」 と、息も途切れ途切れに、こちらの心配をしていた。そこまでされると、降参するしかない。頭でっかちのもやしのような子供だと思っていたが、ちゃんと自分たちを庇おうとするのは、軍人らしい行動だ。その後、体力を使い果たして昏睡して一週間もICUで眠ってはいたのだけど。
静かに扉が開く音がして、板橋が現れた。珍しく夫婦同伴だ。いつもは土日は付き添いもしないことになっているらしいが、ここのところの篠原の様子に休みも付き添いをすることになったのだと言っていた。
「あら、お早いこと。」
「ごきげんよう、板橋さん。」
女性陣は軽い挨拶を交わす。それを横目に父親のほうは、ベッドに近寄る。先週よりは顔色は良くなっている。やれやれ、と、看病用の椅子に腰を下ろして文庫本を開く。
病院の内部は広かったが、橘の解りやすい地図のお陰で迷うことなく、目的の病室に辿り着いた。ノックして、内から声が聞こえたから扉を開く。そこには、ふたりの女性がソファに座っていた。そのふたりが、ぎょっと目を見開いた。ああ、そうだった、と、となりのめいを見て、自分たちの服装が怪しいのだと気付いて、慌ててサングラスと帽子を取る。めいも同じようにサングラスと金髪のウィッグを外した。
「怪しい格好ですいません。事情があって、こういう姿で参りました。板橋さんでしょうか? 」
片方の女性が頷きつつ立ち上がる。そして、ベッドの傍に居た男性も近寄ってきた。かなり盛大に驚いた顔をしている。自分の顔はメディアで公開されてしまったので、こういう場合は便利だな、と、苦笑した。
「VF艦長の五代と申します。それから、こちらは生活環境班主任の星野です。ここに来るに当たって、身分詐称をしていますので、どうか内密にお願いいたします。」
板橋夫婦も、それには合点がいったのか、ああ、と、頷いて苦笑する。篠原が入院している病院は、科局でも知られていない。そこに五代が出向いたという記録があれば、そちらにも知られてしまうことになる。板橋夫婦は、夫婦で視線を交わして、「お疲れ様でした。」 と、軽く会釈する。
「あの、そちらの方は、お知り合いの方ですか? 」
ひとり、ソファで固まっている女性のほうにめいは声をかける。どこかで漏らされてはたまらないから、こちらにも了承をとる。
「あの方は、私の知り合いです。秘密は厳守してくださいますから安心してください。・・・・まさか、本物の艦長さんと間近にお会いすることがあるなんて思いませんでした。」
板橋の妻のほうが、そう言って、ソファの女性のほうは保証した。めいも、この言葉に苦笑する。確かに、そうだろう。滅多なことで民間人と会うことなんてない。その接触を五代は禁じられているからだ。