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美しの森物語

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博司はなんだか複雑な気分になった。そして他にも この秘密を知っている人はいるのだろうかと、思った。



週二回の練習では、横田さんが手取り教えてくれる。 集会所の反対側からは太鼓の音が聞こえる。 博司はこの笛太鼓の音が幼い頃から好きだった。 だから初心者にしては上達が早かった。
今日の練習は小気味よいペースで進んでいる。 横田さんも満足そうだ。
「横田さん、今日はご機嫌ですね。」
「初めてにしては上手いね、博司君。」
博司の問いに笑いながら答えた。
その時、やっと昭夫がやって来た。 顔を合わせるとすぐにいつもの調子で
「さぁ、飲みにいくぞ。」
とせき立てた。 隣には太鼓の房江がいた。 博司は昭夫の勢いの前には いつも言いなりだ。 練習が終わってからでも平気で大きな顔をして来る昭夫を憎めない。
なじみの『山岳』は、博司の先輩が東京から帰って来て始めた、女気のないバーだ。
「マスター、いつものお願い。」
昭夫がハイテンションで言った。
「はい、いつものウォーター。」
マスターがまぜっ返すと顔なじみがどっと笑った。
房江はカクテルを、博司はビールを頼んだ。 昭夫にはジンライムが出て来た。
「乾杯」
ビールが美味かった。
「博司、今年のお練りは荒れるぞ。」
昭夫がメニューを見ながら言うと房江が素早く反応した。
「そうね。総総代と祭典団長が、結団式の前から険悪なのよ。」
「ただ突っ張っているだけじゃないのか。」
と博司は返したが、昭夫は博司の知らない話しを始めた。
総代は各町内毎に選ばれて 四,五年で変わるのに、中には何故か任期のない、ほぼ終身の総代がいて、彼らが総代会を牛耳っていて、お祭りの段取りから 全て決めて祭典団に押し付けて来ること。そして誰も逆らわないことなど、まくし立てた。 そして
「今年はそれでは収まらないぞ。」
と、意味ありげに言った。 房江も横で頷いていた。
「それで、どうなるの? 何が起きるの? 」
「面白くなるんだよ。 いいか、当日は祭典団長の指示に従うんだぞ。 祭の日に改めて役割を伝えるからな。」
昭夫はそれだけ言うと話題を変えた。
博司は不思議に思えた。 それは練習に行っても他の誰もそんな話しはしない。 ただ笛の師匠の横田さんが、総代達の顔を見ると機嫌が悪くなることくらいだ。
みんなこの事を知っているのだろうか。 そしてどんな事が起きるのかなと、ワクワクしてきた。
博司は久しぶりに酔った。 そして綾子さんとも一緒にお酒を飲みたいと 思った。



数日後、博司は中学の時の恩師、中谷先生のところに来て居た。 先生は教職を辞してからは晴耕雨読の生活で、農業をしながら郷土史を勉強している。
「先生、大御食神社のこと、教えて下さい。」
改まった挨拶もせず博司は一方的に話していた。 いつまでたっても先生と生徒だ。
畑仕事から帰ったところなのか 仕事着で煙草をくわえ、蔵の前の仕事場で 何やらノートをとっている所だった。
「突然何事かと思えば大御食神社のことか。 そうか、小碓命
おうすのみこと
のことか。 まあ待ちたまえ、美味しいお茶を馳走するから。」
小さな急須を大事そうに、そして自慢しながらお茶を入れた。 まろやかな美味しいお茶だ。
しばらく間を置いて先生は話し出した。

「不思議なお宮なのだよ、大御食神社はね。 昔、天明年間に十一棟あった神官の邸宅が焼けてしまってね、古い資料が無いんだ。本家の阿智神社もね、大昔から続いてきた天思兼尊命
あめのおもいかねのみこと
の子孫の神職家なのだが、何故か十世紀中頃に戸隠に行ってしまったのだよ。
その時代 伊那谷で権力闘争が有ったのだよ、きっと。お宮の神代文字の社伝が記された時期の最後と同じだからね。 
それに光前寺でもその頃の記録がなにも残ってないのだよ。
明治の初めに 阿智家筋の一家はこんどは戸隠から札幌に移ってしまってね、今では何も残っていないとの事なのだ。 だから本当に分からないのだよ。

いいかね、知らないだろうから話すのだが、聖徳太子が、馬子と先代旧事本紀を纏めるに際してね、古代からの旧家、六家に伝わる資料を出させたのだが、その六家の中に吾道家があるのだ。 あじ家と読まれているようだが、間違いなく阿智家だ。
だから阿智家には、神代文字の古記録が残されていた事は間違いない。
阿智家が移った戸隠神社にも、神代文字の御札が残っているからね。
古代の信濃は、縄文人,蝦夷,海人系,天孫系、また半島系が入っていて、まつろわぬ民の郷だったから、藤原が天下を取るために、光前寺・仲仙寺・瑠璃寺をおいて、伊那の里の地名を改竄して、我がものにしたのだ。
そして律令体制に邪魔な力を持っていた阿智家を戸隠に移転させて、そのあとを、やはり藤原家の、比叡の山王権現に変えたのだ。
だから、阿智家のあとに残った別裔(わけはっこ)の大御食神社の神官家には、かろうじて神代文字の古代の記録が残っていたと 思われるのだよ。
六家の中の一つ、忌部家の忌部広成が『古語拾遺』で、「上古に文字あらず」としたが、忌部家と卜部家の祖先、天富命と天太主命が遺した、神代文字で書かれた 『神魂土笥(かんみたまのはにはこ) 』を守ってきたところの、忌部家の広成が知らないはずがない。しかしそう書かざるをえない状況に、当時は置かれていたのだ、とも言えるのだな。 
そうして伊那谷から善光寺を、半島の帰化人が多く居た北へ移して、水内社を追いやり、諏訪社も体制に取り込んで、信濃を唐、高句麗系の藤原の天下にしたのだ。
日本書紀の編纂途中にね、鵜野讚良(うののさらら)と云って、のちの持統天皇だが、日本書紀に都合よく整合させるためにね、古代から由緒ある神社の古文書や豪族の系図を没収・抹殺してしまったらしいんだ。 
それに元明天皇は即位した年に、大赦を出したのだが、「禁書を隠し持っている者で百日以内に自首しない者は、恩赦はしない」という詔勅を出してね、古代豪族の系譜抹殺を図っているよ。それは古事記と日本書紀の完成直前のことだよ。
それとね、神代文字のアヒルクサ文字は、20世紀始めに発見された甲骨文字から派生した事が解っていて、今では誰にも読めるから、いつかまた 教えてあげるよ。
神代文字の中に、豊国文字と云うのがあるのだが、最近中国で発見され、新聞で報道された 7000年前の絵文字にそっくりなんだね。
この文字で書かれた物には、 豊後国守護の大友能直が、古文書をもとに編纂した『上記(うえつふみ)』が有名だし、その流れのサンカ文字は、戦前まで普通に使われていたと云うし、いまでも高市(たかまち)の場割には、サンカ文字を使っているからね。 

今の中国は漢族の天下だが、秦を含む古代国家は西域から来た人達の国だったんだよ。倭国は 同じ系統の徐福が来ていて、半島の伽耶と九州がその範囲だが、同じ西域の影響があったから、甲骨文字の基の、神代文字を伝えたかもしれないよ。 
だから、徐福伝説の残っている宮下文書も、神代文字で書かれているんだ。 
秦の始皇帝は、有名な焚書をやってのけているから、徐福がそれらを持ち出した可能性は大いにあるね。
作品名:美しの森物語 作家名:史郎