小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

美しの森物語

INDEX|2ページ/5ページ|

次のページ前のページ
 

喫茶店の真空管のアンプが奏でる上品で心地のいい空間を、博司は気にいっていた。 今はベートーベンのピアノソナタが流れている。 博司はコーヒーのお代わりを頼みながら、ふと昔のことを思い出していた。


    
博司は 高校を卒業したあと 調律学校に入った。 その時の友人に面白い人がいた。 同僚の岡本君の恋人で、吉川ひろこと言い、お父さんは 大きな会社の 重役をしているという、いつもにこにこした 笑顔の可愛い女性だ。
彼女には人に見えないものが視える能力があると言うので、岡本君達と一緒に喫茶店でよくいろんな話しを聞いた。伊勢神宮に行った時に拝殿の簾がひとりでにスーッと開いた話しとか、街角に座り込んでいる傷痍軍人を視た話しとか、興味をそそる話しだった。
博司も『俺の将来はどうなるか?』と聞いた事があった。 ひろこは『待ってて』と喫茶店のトイレに行った。 トイレに腰掛けて、誰にも邪魔されずに 集中するのが 一番よく視えるからと言うのだ。
「あのね、まだ雪が溶けない野原が見えるわ。 そこに二、三本、若草が芽を出しているの。 どうして雪なのか分からないけど、芽が出ているからいいんじゃない。」
と、ひろこは笑いながら話してくれた。 博司は『まあ、何とかなるだろう』と勤めて軽く考えるようにした。

それから間もなく結婚をした二人は、夏休みに博司のところに立ち寄った。
大御食神社を案内した時ひろこに聞いてみた。
「その昔に倭武尊が関東からの帰りに、この場所に立ち寄ったということだけど、分かるかな。 その事を記した資料がこのお宮に残っているんだ。」
そう言って、博司は 社務所のおばさんに『神代文字が書かれた桐板を見せて欲しい』と頼んでみたが、
『見せてはいけないと言われている』とにべもなく断られた。
それでもひろこは『ちょっと待ってね、視てみるわ』と、社務所の裏で暫く立ち止まっていた。
「確かに昔、何かお祭り騒ぎをしているのよ。 主賓は一人じゃないわ、三、四人だわね、その一行は。役人かしら、まだ他にも居るみたいね。 大騒ぎしているのよ 大勢で。 それから何日かした後、その人たちね、天竜川沿いに南に向かって行ったわよ。」
ひろこは まるで見ていたかのように淡々と話したのだった。

喫茶店の前の湖では、数人の釣人が糸を垂れていた。 まったりとしたひと時が、博司はたまらなく好きだった。



綾子の話しに触発され、大御食神社のことをもっと知りたくなった博司は、暫くして博物館の学芸員をしていた下沢さんのお宅を尋ねた。
美女ヶ森の近くに住む下沢さんは 父の友人で、奥さんに先立たれ今は一人暮らしだ。 息子は東京で所帯を持ち、ほとんど田舎には帰らない。
「遥かぶりだね。お父さんの様子はどうだい。」
「今日は、ちょっと教えて貰いたいことが有りまして。」
手土産の饅頭を出し博司は万年床の部屋の隅に座った。勝手知った家だ。
「なにを知りたいんだ。釣りか、茸の事か。」
人の良い下沢さんはお茶を入れ饅頭の包みを開けた。
「おじさん、今年は大御食神社のお祭り年番で笛を吹くんです。」
「なんだ、笛なら師匠がいるだろ。確か大工の宮下さんか、いや入院しているな彼は。」
「そうじゃなくて聞きたいことは、大御食神社の事だけど。宝物のことなのだけど…」
下沢さんは一瞬体の動きを止めたが、すぐにまたお茶を注ぎなおした。 神社のことは代々下沢さんの地区が守って来たからよく知っているはずだと思ったが、口が重そうだ。
「まだ関係者が生きているからね、話せないんだ。 まあ今日は帰りなさい。」
西行の書の事を聞くつもりが、触れてはいけないものに触れてしまったような、何か叱られでもしたような寂しさを感じ、後味の悪い感じがした。
が、帰ろうとした博司に、
「わかった、お宮の宝物の事を話してあげるよ。この話しは墓場まで持って行こう思っていたんだが、それほどの事でもないか。鮒
ふな
が煮てある、美味しいからたべなさい。」
秋祭には欠かせない鮒の甘露煮をおじさんは皿に取ってくれた。
「これが宝物のリストだ。亡くなった宮大工の酒井さんが総代の時に編纂したものだ。」
手元の茶色の封筒から取り出した冊子を博司に見せてから、下沢さんは博司に質問をする間も与えず話し出した。

「明治の時に 国に提出した書類の一部が無いんだよ。今の目録と昔の実物が違うんだ、分かるだろ。鎧はすり替えられているし 太刀は無くなっているよ。 見たんだよ、元の鎧をね、他のところでね。
ただね、昔のお宮の倉はひどかったからな。 鍵も無かったし屋根もひどかった。 外から中が見えたからな。」
博司は凍りついた。 こんな事を聞いてしまっていいのかと、怖くなった。
「どうしてそんなことができたの?」
と、博司はやっとの思いで聞き返した。
「昔、大赤穂村主義を唱えた大物村長がいたが、その威光を笠に着た小ボス等が何人もいたなあ。 彼等を街の連中は先生先生と奉ったもんだ。 調子に乗ったボス達は総代会を仕切って悪さをしたんだ。 神職がいなかったからね。 今となれば全ては闇の中さ。」
下沢さんの話しは、だんだん過激になって来た。 博司は、綾子のお父さんが大学の研究者に西行の書を見せて非難された理由が分かったような 気がした。 宮司の復帰を拒んだ理由もきっと同じなのだと思った。
下沢さんは、もういいかなとでも云うように、読みかけの新聞を拡げたが、
「そうだ、もう一つ話してあげよう。もう話す機会も無いだろうからな。」
と、改まって言った。博司は思わず身を正した。

「神主の家を昔から『采女(うねめ)屋敷』と言ったんだ。
采女とは宮中で天皇の御膳の事などをする若い女官の呼び名で、地方の有力な家では采女を出すのを習慣としていた家もあったんだ。そう云う家を『采女の家』と言ったんだ。 赤須彦は皇子の倭武尊に押姫と言う娘を差し出しているから、当然押姫の立場は采女だよな。そうだろ博司君。だからその家は采女の家、すなわち『采女屋敷』と呼ばれていいのだ。  
千数百年も前から 『采女屋敷』と呼ばれていたとしたら、素晴らしい事だと思わないかね。景行天皇の時代だよ。二世紀頃の話だからね。
これほどの古い家系は滅多に有るものじゃないよ。」

博司はなんだか自分も誇らしい気分になって来た。そこで背一杯な事を言ってみた。
「どうして大御食神社は延喜式に入っていないのかな。」
「そうなんだ。明治の時も官社となることが出来なかったんだな。その時に読めない神代文字の社伝を出した事が影響したのかも知れないね。しかし神代文字の社伝は『 美しの杜物語 』と言ってな、研究者たちには有名なのだよ。
お宮に何か武将の起証文でも有ったならば、少しは違っていたかも知れないけれどもね。
格式というものは勲章だからな。お稲荷さんは、正一位なんて云う旗がよく立たっているだろ。あれも時の権力の体制作りの為の材料なんだ。
社伝記を読むと、当時は宮田・小出の里までが伊那の郡郷で、小黒川が 諏訪の勢力との境だったから諏訪との権力争いかもね。延喜式の制定の頃、諏訪大社は何故か突然に一位に上がっているからな。」
作品名:美しの森物語 作家名:史郎