篠原 めい2
りんは、もともとVF計画のためにアカデミーから出向している科学者だ。だから、拉致されれば、そちらから調査される。篠原は、「科局の秘蔵っ子」 という二つ名通り、外へ出ていない。だから、拉致しても問題は少ないと思われていたらしい。実際は、篠原のほうが大事になるのだが、その事実を拉致を目論んだ議員は知らなかった様子だ。
「たぶん、その議員も自分の支援団体からの要望があったんだろうな。それにしても、あれ、拉致したらエライことになっただろうな? 」
おかしそうに五代は顔を歪める。「科局の秘蔵っ子」は、旧プロジェクトいわゆるVF建造プロジェクトから参加している。その時のチームの主だったメンバーは、今やどこかの責任者に納まっているような面々ばかりだ。今度のことも、篠原の不在や処分に多大な影響を及ぼしている。極東のアカデミーだけではない。極東以外の研究所やアカデミーにも、所属している面子だから、さすがに極東洲の首脳部も、科局も、篠原を勝手に動かせなくなったのだ。
「まあ、阻止してくれてよかったよ。そんなわけで、きみらの末弟は入院している。ちょっと怪我もしているんで、しばらくは出て来ないが、事態は落ち着いた。」
「「「怪我? 」」」
「大したことはない。骨にひびが入っているのと擦過傷ぐらいのことだ。ただ、その話が、五代に、どういうふうに伝えられるのか気になったから説明しておくことになった。他には風邪でダウンってことにする。」
りんは、冷静に事実だけを伝えたが、そうは問屋が卸さないと、めいはぐいっと、りんの襟首を持ち上げた。
「大したことない? ほおう、りん、それ、本気で言ってるの? 」
「割と本気だ。俺はカルテに書かれていることしか把握していない。」
りんは、篠原がダウンしても怖くて見舞いにいけない。だから、実際、見舞いには出向かないから電子カルテから状況を把握しているだけだ。
「精神的には、どうなの? うちの弟、ただいま記憶復帰直後のはずなんですけど?」
「そこまでは、俺に聞かれても解らない。知りたければ、雪乃にでも尋ねろ。」
「わかった。この後、雪乃を掴まえる。けど、りん。」
そこで、めいは言葉を区切った。じろりとりんを睨んで、ニヤリと笑う。そして、五代に視線を移す。相手も、大きく頷いた。
「・・・・私たち、末弟の見舞いに行きたいの。あんたなら、どうにかできるわよね? 早急に手配してくれる? 」
「はあ? 」
「運転手はどうする? 」
「俺はいいよ。そのうち、隙を見て行く。さすがに三人もIDカードを偽造するのは骨が折れるだろう。」
「そういうこと。とりあえず、二人分、お願いするわ。」
VFのメインスタッフには監視がついている。地上勤務のものは、それほど厳しいチェックは受けていないが、現在も乗艦しているほうは、そうもいかない。特に、五代には護衛という名目で外出時には一人ついているほどだ。そんな人間が、篠原の見舞いに行けるはずもない。
「つまり、IDカードの偽造か、それに近いことを俺にやれってことか? めい。」
「ご名答。やんちゃ小僧のあんたなら、どうにかできるでしよ? 」
過去いろいろといたしていることは知られている。なんせ、新造艦への妨害工作も、りんは誰にも知られずにやったのだ。篠原は、新造艦プロジェクトチームの全面的バックアップを受けての工作だったから、その差は大きい。
「りん、以前から考えていたんだ。篠原を保護してくれた板橋さんにもお礼を言いたかったし、ゆっくり話もしたかった。だから、頼まれてくれないか? 」
監視付きの状態では互いに顔を合わせるのは難しかったし、出迎えの時は大勢で情報交換ということになっているから、ゆっくりと話す機会はなかった。さすがに精神的にダメージを受けて怪我までしているというなら、見舞いぐらいは五代もしたいと考えた。こういうことが起こっていなかったら、もう少し穏便な方法で顔を合わせるつもりをしていたのだが、こうなっては強引な方法しかない。
岡田なら、確実にそうしていただろう。だから、長兄が亡くなってしまったからには次兄がするべきだと、以前からめいとも話し合っていたのだ。
「いろいろと話したいことはあったのよ。」
もちろん、めいだって同じ気持ちだ。辛くて壊れて、立ち戻ったのだが、万全ではない。それに、あの時のことも話したかった。
「・・・・わかった。めい、雪乃に会うなら俺も行く。偽造するより確実な方法がある。」
「そうこなくっちゃね。」
もしかしたら、と、りんも予想していたから方法は考えていた。まあ単純なことだ。五代だとわからなければいいのだ。
「どうして、さっさと自分のものにしておかないの? 盗られて困るなら早いほうがいいじゃない。」
そんな暴言とも言える言葉を吐いた雪乃にめいは唖然とした。まだ二十代になりたての小娘な自分には恋愛にいろんな夢がある。そんな年端もいかないものに提言するには、些か強烈なものだったからだ。
「それなら、雪乃だって。」
「あら、私は、もう自分のものにしているわよ? あの子は私なしには生きていけないって自分で言うのだもの。」
涼しい顔で、そう言い切った彼女の強さも強烈だった。もちろん、めいは、その言葉が真実であるのか、篠原当人にも尋ねた。答えは、「うん、雪乃がいないと生きていけないだろうね。」 と、朗らかな笑顔付きだった。
どちらもVFの乗艦で顔を合わせた相手だったが、ウワサには聞いていた。訓練校を経ずして航宙士の資格と、それに付随した資格を持っている若いめいと、同じく航宙士の資格を持っている極東洲防衛庁長官の参謀を兼ねた秘書の雪乃は、鳴り物入りでVFに乗艦した。女性の航宙士が少ないから、寄せ集めただけだろうと思われていたが、どちらも実力はホンモノだった。そして、互いに互いの想う相手の近くに存在していたものだから、警戒していた。うじうじと悩むのが苦手なめいは、速攻で、その辺りを雪乃に確認した。もちろん、「五代くん? 眼中にもないわ。」 という返事で、ならば不可侵の約束をして、どちらも、その想う相手との関係が成就すればよいとなったのだ。ただし、雪乃は最初から篠原にしか興味がなかったし、元から後見人をやっていたから、関係を作るとかいう問題でもなかったのだが。
連絡して、雪乃の家で落ち合った。外でできる話でもなかったし、雪乃の予定が、すぐには空けられないとのことだったからだ。帰港の手続きをして、時間を潰してから雪乃の家に赴いた。
「おかえりなさい、めい。」
相変わらず涼しい顔で、この家の女主人は出迎えた。本当に帰ったばかりだったのか、制服のままだ。
「ただいま、雪乃。忙しいの? 」
「まあ、いろいろとね。・・・・・りんさん、おつまみが欲しいんだけど? 」
「なんかあるのか? この家。」
「篠原君がいないのに、何かあると思う? 」
この家の家事全般は篠原の担当なので、担当者が里で静養している現在、この家に食料なんてものは備蓄されていない。つまり、近くのコンビニまで遠征して来い、という命令だ。