異 村
女性の泣く声がした。それを諫める声もまた鳴き声になっている。村長が名前を呼んで何かを言った。名前を呼ばれた男が立ち上がって、咳払いをし、手拍子を要請し、その手拍子にのって聞いたことの無い歌を歌い出した。私も手拍子に加わった。
それは単純な節回しの歌だったが、勇壮な雰囲気だった。同じ歌詞が何度も出てくるが、私が感動したのは、一人から二人、三人とワンコーラスずつ人数が増えてゆくことだった。
二十人ぐらいだろうか、男だけだったが歌声が部屋に満ち、混沌とした別空間が出来上がったような気分だった。私は鳥肌が立つのを感じて、手拍子の合間に腕をさすっていた。
どこで終わりが解るのだろう、最後に村長が渋い声で歌い終え、手拍子が拍手に変わった。私は思わずブラボー、アンコールと叫びたい気持ちだった。
「すごい」と私が思わず漏らした声に、村長は、少し厳しい顔をして、これも代々伝わってきたものだと言った。
誰かが東京の人にも歌ってもらわにゃなあと言ったので、私はいやあ音痴ですからと言ったものの、その意味が通じているのか、初めから聞き流ししているのかわからなかったが、手拍子で催促されて歌い出した。子供時代に聞いた歌を選んで、無難に美空ひばりの歌を歌った。
歌い終え盛大な拍手を受けて、私はいい気分になった。誰かが男が女の歌を歌うのは珍しと言った。ああ、この時代はそうだったんだろうかと思った。
村長が、十八番であろう民謡を歌い終えてから、上手そうに酒を飲み干した。その村長に一人の女性が歩み寄り小さく何事か言った。身なりが他の女性と少し違って品位が感じられた。おそらく村長の奥方かもしれないと思いながら見ていた。
「実はな」と村長が私に向かって話しを始めた。「あれが正妻なんだが」と部屋を出て行く女性を見ながら言った。「他に妾がいてな子供ができたんだ。まだ産まれてないが」と、少し自嘲ぎみにまた得意そうにも聞こえる声で「わしの子なんだ」と笑みをこぼしながら言った。そして言い訳のように、「この村にはもっと子供が生まれなくてはならん」と力強く言った。
村長は「もう一人、マルタの所でも産まれそうだと、多分そのマルタという人の方へ顔を向けた。近くなので、その声が聞こえていて、マルタという人が頷いて私を見た。村長もマルタさんも老人というべき年だった。彼もまた愛人がいるのだろう。
私はこの場にふさわしい言葉も見つからず、軽く会釈をしてから目の前の酒を飲んだ。
皆に知らせるような女性の大きな声がして、皆が残りの酒を飲み干したり、食べ残しの者を食べたりし始めた。宴会は終了のようだった。
私は、また尿意を催し、席を立った。誰も何も言わないので、私の向かった方向で便所であると判断したらしい。少しふらつきながら放尿する。どこか夢の中の出来事のような気がする。