異 村
ご飯と味噌汁と漬け物、昨晩の残りの刺身で朝食を食べた。一人だった。男はもう農作業に行っていると、スミさんが言った。食後のお茶をいただきながら、スミさんからは夕べの女性の匂いは感じられなかった。スミさんは、村長の言付けとして今日一日のんびりして、もう一泊したあと、三輪自動車でバス停まで送ってくれるということだった。
私は少し考えて、その辺を歩き回っても怪しまれないということは有り難いので、「じゃあお言葉に甘えてのんびり散策でもしてみます」と言った。
爽やかな風が吹いている。目に入る山、畑、緑緑緑だった。下の方に見えるのは田んぼだろうか、その辺りだけが茶色だった。気持ちは早くあの祠へと思うのだが、のんびりした風を装って私はあちこちを眺め、立ち止まったりしながら山の方に向かった。農作業をしている人達は何げない風に動いてはいるが、私を見ていることが感じられた。
歩いて行く先で、近くまで寄った人に山菜と言って、通じないようだったのでわらびと言い、それを取るマネをすると、その人は私の近くまで来て、案内してやると先に立って歩き出した。昨日何も知らずに下りてきた道だった。途中で道を外れて山の中に入って行った。アカマツの下、程よく灌木や下草のある日陰で男が指をさす。わらびだった。私は少し大げさに喜んでみせ、ありがとうございますと礼をいい。男に帰って貰った。男はあまり遠くまで行ってはいけないというようなことを訛って言って戻って行った。
わらびを形ばかりに数本摘みながら、昨日下りてきた道に出る方法を考えてみる。今通ってきた道にでると、あの男か、別の誰かが私を見つけるだろうと思った。もしかしたら監視されているかもしれない。と思いにいたって、背筋がぞうっとした。子種提供者。幽閉などという言葉が頭に浮かんだ。
頭の中に昨日ここまで下りてきた地図を描く。そしてその道から入ったこの場所。あいまいだった。とにかく見晴らしのいい所まで上に登ってみようと思った。次第に傾斜が急になってくる。汗が胸を流れるのが分かった。ポケットに手を入れてハンカチがあったので、汗を拭う。喉が渇いた。そうか、スポーツドリンクなどという物は無い。手ぶらだった。あっ!と私はショルダーバッグの中にこの昭和三十年代にあるはずのないものが入っていなかっただろうかと思った。トランクス、昔からある綿の肌着、薄手のジャンパー。セーフだろう。チョコレートもあったかなあと思い出す。ショルダーバッグを持って出てくればずうっと監視がついてまわるかも知れなかったし、しょうがないだろうと、決心を新たにして歩き出した。