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セブンスター
セブンスター
novelistID. 32409
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クリームソーダ

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 間もなくして、アイスコーヒーとクリームソーダがテーブルにやって来た。私は、アイスクリームが乗った、緑色のシュワシュワした液体に目がくぎ付けになった。見るからにおいしそうなそれは、私にとって十分衝撃的な未知との遭遇だった。
 袋から破って取り出したストローを母から渡されるやいなや、そのシュワシュワに突き刺して、ごくりと一口喉を鳴らす。
 瞬間、口の中いっぱいに駆け抜ける、甘さと、爽やかさと、ほんの少しの刺激。それは間違いなく初めて口にする、本当に不思議で、なんともお洒落な美味しさだった。

「お母さんちょっと電話してくるから、待っててね」
 こんなにもクリームソーダに感激した私の感想など待たずに、突然、母が席を立ってしまう。だけど構わず、私も夢中でソーダを味わう。スプーンで、乗っているアイスクリームをすくい、口へ運ぶ。足をリズミカルにジタ、バタ、とさせながら、それを往復する。夢中になったままひとしきり堪能すると、ようやく母の様子が気になって、ソファーから身を乗り出し、入り口に目をやった。
 あっけなく、ステンドグラス越しに公衆電話をかける、母のシルエットを見つける。しかし、すぐに戻ってきそうにもなかったので、私はまたテーブルに向き直ると、マスターが用意してくれた小さなビスケットをかじってみた。おいしくなかったわけでは無かったけど、どこか食べなれていない味がして、確か、それ以上口にしなかったと思う。

 気付けばそのマスターもとっくにまたカウンター奥に下がってしまっていて、私は店内で一人ぼっちになった。
 ふと、さっきまで心地よかった薄暗さと冷気が、心細く、不安に感じてきた。体も少し冷えてしまったようで、ぶるぶると肩を震わせるうち、その気持ちがよりはっきりと胸の中を覆い始める。

 どれくらい時間が経ったのだろう。
 待ちくたびれた私が、しばらく口をつけていなかったクリームソーダのストローに顔を近づけようとした時、店のドアから再びカランカラン、と例の音が響いてきた。慌てて振り向くと、母は無言のまま店の中を歩いきて、思いつめたような表情でうつむき加減に腰を下ろした。
 不安そうに私が上目遣いで顔をのぞきこむと、母はゆっくりと面を上げ、一呼吸置くように私のクリームソーダを見つめてから、かすかに赤くなった目を私に向けて、口を開いた。

「実はね、お母さん、これから一人で、この街で暮らすことになったの」
 え?ママ、一人で、って…。
「もうすぐお父さんが、ここまであなたを、迎えに来るって」
 パパが?どうして?なんで、いきなりそんなこと言うの?
「お母さん、頑張りたかったんだけど、もう疲れちゃって……。ごめんね」
 ママ、ねえ、待って。あたし、そんなの、いや!
「ごめんね、本当にごめん。ごめんね……」
 母はそう繰り返しながら、ついには両手で顔を覆い、テーブルの前で静かに泣き崩れてしまった。
 私は、唐突なその様子を見て生まれて初めて、自分から溢れ出す涙をこらえようとしていた。なぜ、そうしたのか覚えていない。

 視界の端に、クリームソーダが映る。飲みたいけど、もう飲みたくなかった。こんな時にそんなことを考える自分が、とてつもなくちっぽけに思えた。私の声にならない声は、母には届かなかった。  
 えぐえぐと、どうしようもないほどの急激な悲しみがこみ上げ続けて、止められるわけがないのに、それでも、私は涙をこらえようとし続けた。父と母の間にある確かな違和感を、子どもながらに感じていた私には、それを、受け入れることしか許されていなかった。
自分には絶対に理解することができない、母の、その決断を。

 私は、今まで母であったのに、これから母でなくなるその人を、改めてまっすぐに見つめた。
 言おう。どうして、って。行かないで、って。
 声に出して、伝えるんだ。
 今ならきっとまだ、間に合うから。
「ママ・・・どうして?」
 どうか、届いて。
「ねぇ、行かないで!」





 やっとの思いでそう口にした時、私はようやく、目を覚ました。
「……夢…………」
 洗濯物を干し終わったあと、ここのところ寝不足で疲れていたから、眠ってしまっていたらしい。
 外はもうすっかり夕暮れを迎え、カラスがカァカァと西の空の方から秋の足音の代わりに鳴いていた。

「ママ、泣いてるの?」
 体を起こそうとした途端、耳元で突然呼び掛けられ、私は思わず声を上げてしまう。
「わ、びっくりした!帰ってたんだ」
 娘は私の隣に寝転んだまま、いたずらっぽく笑いかけてきた。
「だって、もう5時過ぎてるよ?5時までに帰ってきなさいって、いつも言ってるのママだもん」
 ちょうどあの頃の私も、今のこの子くらいだっただろうか。ふいに、愛しい気持ちで胸がいっぱいになった。
「そうね、ママの言うことちゃんと聞いて、えらいね」
 私はそう言いながら娘の前髪をかきあげて整えると、ふふっ、と笑った。

 できるだけの努力もしてきた。できるだけの我慢もしてきた。
 私は自分にそう言い聞かせながら、体を起こしてキッチンへ向かった。
「ママ、今日の晩御飯なに?」
 娘が、胸を締め付けられてしまうほどに無邪気な声で、私にとても残酷な質問をする。
 過去をなぞっているような、奇妙な罪悪感に襲われる。
「うーん、今夜は何しよっかな」
 もう、荷物もまとめ終わっている。悩んで悩んで、考えに考えて、出した答えだから。もう、後には引き返せない。
 あの日、お母さんが持っていたのによく似た、茶色じゃないけど大き目のバッグは持っている。おんなじ花の柄じゃないけど、白い日傘だってある。
「ねぇ。明日、ママと喫茶店へ行かない?美味しい、クリームソーダのお店があるの」

 寂しくて、儚くて、悲しくて、それでいてどこか心地良いような、不思議な気持ち。
 私は、あの夏の日に覚えた感覚が、今、再び胸によみがえっていることに気づいた。
作品名:クリームソーダ 作家名:セブンスター