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Slow Luv Op.2

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 前半のプログラムが終わってのインターミッションに、一番に声をかけてきた人物を見て、悦嗣は苦笑した。
「なんだ、その笑いは? おまえも水臭いな。来てるのなら声かけろよ」
 白髪交じりだが、それほど年配ではない彼は、悦嗣の肩をばんばん叩いた。
「あんたは鬼門だからな、ここんとこ」
 悦嗣は肩を竦めた。
 さく也は彼と目が合って、軽く会釈する。彼も人懐こい笑顔でそれに応えた。笑うと更に年若く見える。
「あれ、君、見た顔だな? 私の講義取ってたっけ?」
「月島出身じゃねーよ。ああ、中原、これはここの教授の立浪さん」
「よろしく。これってのはひどいな。『恩師の』ってつけるべきだろ、加納クン?」
 立浪教授は『恩師の』の部分を強調する。「ほざけ」と悦嗣は短く発した。
「招待状出してたろう? こんな隅っこに座ってないで、来賓席に来ればいいのに」
「とんでもねぇ。黙って聴くだけじゃ済みそうにないからな」
「よくわかってるじゃないか。例の件、考えてくれたか?」
「講師の件なら、この前、断ったでしょうが。俺はちゃんと仕事持ってんですよ」
「だから非常勤で良いって言ってるだろ」
「人に教えるなんて、出来ねぇよ。もっと適任いるっしょ?」
「『月島の奇跡』の折り紙つきだ」
「またエースケか。いい加減、結託すんの止めろよな」
 悦嗣の口調はすっかり学生の頃に戻っている。立浪教授は気安い性格で、試験期間以外は研究室を開放していたので、学生達の出入りも多かった。悦嗣も英介もその中にいて、特に可愛がられていた方だと言える。良いようにこき使われていた気もするが。タメ口になってしまうのも、またそれを許されているのも、悦嗣だからこそだろう。
「加納は私に借りがあるでしょ?」
 この人懐こい笑顔がくせもので、英介はこの教授を手本にして、最強の笑顔に開眼したのでは…と悦嗣は思っている。
「卒単の借りなら、半年前に返したぜ、釣りが出るくらいに」
「私の借りはね。でもおまえ、花井先生と米本先生にも借りがあったよな、た・し・か」
 あきれて思わず、
「汚ったねぇ」
と声が大きくなる。
 クスリ…と、さく也が隣で小さく笑った。
「なんだよ」
「借りを作り易い体質なんだな」
 さく也が答えた。
「ああ、思い出した。どっかで見た顔だと思ったら」
 立浪は二人の短い会話に割って入った。悦嗣とさく也は、彼を見た。立浪はさく也の方に目を向ける。
「君は中原さく也くんだね?」
と言ったところで、五分前の予ベルが鳴った。
「続きは終わってから、ゆっくりな。中原くんとも話したいし」
 立浪は空いていた悦嗣の真後ろの席に座った。終演後に速攻逃げる魂胆は見透かされている。
 悦嗣は大きく息を吐いた。



「加納はね、有名人なんだよ。一年の頃から月島じゃ知らない人間はいなかったくらいだ」
 立浪教授は隣に座るさく也に、悦嗣や英介達が学生だった頃のエピソードを話していた。さく也は興味深気に聞いていたが、話の肴にされている当の悦嗣はまったく相手にせず、外方を向いてアルコールを口に運んでいる。
 クリスマス・コンサートが終わった後、案の定、振り切れなかった立浪教授に連れられて、悦嗣とさく也は彼の行きつけの店で飲んでいた。
 立浪教授との同席は嫌ではない。学生の時もよく飲み食いに連れて行ってもらった。卒業後も英介が大学に残ったこともあり、時折りは飲みに行っていたが、悦嗣が転職し、彼も助教授から教授になって忙しくなってからは、少し間遠くなっていた。だからこうして旧交を温めるのは、本来嬉しいことなのだ。
 しかし今日は、ただ楽しく飲みにきたわけではないことを、悦嗣は知っている。
「とにかく実技は常にトップクラスでね、練習嫌いで曲の好き嫌いも激しいんだけど、課題はちゃんとこなして、そこそこの成績を取って行くんだ。本番に強いっていう典型。ただ学科に弱くて、私の比較概論を落としたのも、とにかくレポートの出来が悪くてね。 私なんかまだ提出してもらえただけマシだったかな。 音楽史のレポートなんて、踏み倒して卒業していったらしいから」
「そんな昔の話、してんじゃねえよ」
「じゃあそろそろ、今の話しようか?」
 立浪教授は微笑んだ。苦虫をかみ殺す…今の悦嗣の表情を表現するにふさわしい言葉だった。
 月島芸大の非常勤講師の口を、立浪教授は特に熱心に勧めてくる。卒業の時も外部に、それもまったく畑違いのメーカーに就職が決まった悦嗣のことを大げさに嘆いて、いずれは講師にするから大学に残れと勧めていた。
 半年前のアンサンブル・コンサートで演奏家としてステージに立った悦嗣は、この世界で少なからず注目されていたし、現役生の刺激にもなっている。話題性を求める大学側の利害にも沿おうというものだ。
「ダメダメ。人に物を教えるのは性に合わない」
「サークルでは面倒見、良かったじゃないか。今でも語り草だぞ、初代部長の手腕は」
「だから、後輩の面倒見るのと、学生を指導するのがなんで一緒くたなんだよ」
と言って思い出した。これと似たような会話をしたことがある――英介と。あの時はバイトのピアノ弾きと、クラシック・アンサンブルのピアノ弾きを同列にした内容だった。今回の一連のことは、つまりはそこから派生しているのだと、感じずにはいられない。
「人を指導するのは同じだろう。あの時はおまえ自身も学生だった。だから教えるのは後輩しかいなかった。でも今はちゃんと大学を卒業した学士で、講師になれば教える相手は学生しかいない。ほら、同じじゃないか?」
「すり替えだっちゅうに」
 ヒートアップする二人の会話は、周りの目などお構いなしだ。この攻防戦に負ければ悦嗣はまたもや、英介にしてやられたことになる。
「なかなか頑固だな」
 あきれたように教授が言った。
「どっちが。まったく」
 悦嗣はグラスをあおった。そこで一先ず『停戦』。これ以上押し問答をしたところで、意地になった悦嗣に隙は出来ないと思ったのか、立浪教授が下りた格好になったが、決着がついたわけではないことを悦嗣は知っている。
 ため息をついた教授は、放ったらかしにしていたさく也に向き直った。
「昔はもっと可愛かったんだよ、この子も。先生、先生ってなついてくれたものなのに」
「デタラメ教えるなよ」
 悦嗣の声が教授を越えて、さく也に届く。
「照れてるんだよ」
 いたずらっぽく教授は笑った。そして「ところで」と話をつなげる。
「今回はいつまで日本に? もし時間があるなら、特別公開レッスンをお願い出来ませんか?」
 悦嗣に対するのとは打って変わって丁寧な口調。さく也は顎を支えていた腕を外した。
「それとも、マネジャーか誰かを通さないとダメかな?」
「プライベートで来ているので。それにレッスンを人につけるのは苦手だから」
「レッスンじゃなくてもいいんですよ。模範演奏でも。世界レベルの音を、うちの学生に聴かせてやって頂けませんか? 音楽は本物を聴くことで豊かになるものだから、君の弦の音をぜひ聴かせたい」
――こいつが受けるもんか。
作品名:Slow Luv Op.2 作家名:紙森けい