篠原 夏休み
母親は夕飯の買い物に、と、出かけてしまった。残ったほうは、畳に転がっている、この家の息子と、その妻だ。ゆっくり近寄って、髪を撫でる。ん? という声がして、うっすらと目が開く。
「ようやく休みが取れたわ。」
「・・・うん・・・」
「明日、星空デートしましょう。」
「・・・う?・・・」
「楽しみにしてね? 」
「・・うん・・・・」
寝起きは低血圧だから、夫は妻の言葉を、あまり理解していないだろう。でも、逆らう言葉も否定する言葉を返ってくることはない。すりっと妻の手に懐いて、夫は、ぼんやりと庭へ目を遣る。
「・・・おかえり・・・・一緒に休めないかと思ってた・・・・」
「イヤよ。そんなの。」
「・・・デートするの?・・・」
「そうよ。」
「・・・・僕と?・・・」
「もちろんよ。」
「・・・・珍しい・・・・」
「夫婦だから。」
「・・ああ、そうなの?・・・・」
クスクスと夫は笑っている。すりすりと妻の手に頬を撫でさせた。まだ太陽は高く、気温は絶好調に上昇している。この時間に外出した義理の母は、たぶん遠慮してくれたのだろう。
「おかあさんは? 」
「買い物。」
「じゃあ、雪乃も横になれば? 」
「腕枕が欲しい? 」
「・・・・うん・・・・」
夫にねだられれば否やはない。傍に横になり、夫を腕枕する。ただいま、と、呟いたら、おかえりと返ってくる。そんなやりとりが、夫婦どちらも好きだ。
夕刻に、ひょっこりと顔を見せた息子の格好が、いつもと違うので驚いた。とても若者らしい華やかなアロハシャツに身を包み、パナマ帽までかぶっていたからだ。
「まあ、驚いた。」
「これ、ゼリー。おいしかったから、おすそ分け。」
「あなた、そんな服持ってたのね? 」
ああ、これ? と、息子はケーキ箱を差し出しつつ、苦笑する。まだ二十歳を超えたばかりの息子は、あまりオシャレというものに感心がないのか、ほとんどがスタンダードな格好だ。それが、若者らしい格好をしていると可愛く見える。
「これは、雪乃が、買ってくれたんだ。やっぱり、おかしいよね? 」
「はあ? え? 」
確か、息子は、息子の嫁とデートに出かけたはずだ。たまには、おねだりでもして服のひとつでも買わせてしまえ、と、息子の嫁を焚きつけたのは自分で、わかりました、と、息子の嫁も乗り気になったはずだ。だのに、なぜ、息子の服を買ってるんだ? と、そちらに視線を移したら、あちらも苦笑していた。
「うふふふ・・・つい・・・・」
「ついって・・・結局、これを買ったの? それだけ? 」
「いえ、他にもいろいろと買ったので、後日、お目にかけますわ。」
「だから、義行のだけなの? あなたのは? 」
「自分の服を選ぶより、そのほうが楽しくて。ねぇ、お母様、おかしくはありませんよね? 可愛いと思うんですけど、いかがでしょうか? 」
「もちろん、可愛いわよ。この子、童顔だから、こういうの似合うとは、私も思ってたわ。」
「ほら、篠原君、お母様も似合うっておっしゃってるでしょ? 」
「そうなの? お母さん。」
「ええ、保証するわ。あなた、そういうのも着るとは知らなかったけど。」
普段着は、ほぼスタンダードだし、Tシャツにデニムという作業着すら派手なものではない。だから、息子の好みは、そういうものなんだろうと、母親は思っていた。
「僕は雪乃が選んでくれたから着てるんだけど、こういうのは初めてだから不思議な気がするんだ。おかしくないなら、いいんだけど。」
「ん? 」
それってことは・・・と、母親も気付いた。実家でも、療養していた頃から母親が適当に用意するものを着せていた。それについて息子からの反応はなかった。療養しているから服装なんて、どうでもいいのだろうと思っていたのだが、違うらしい。
「僕、組み合わせとかシーズンものとか、よくわからないから、雪乃に選んでもらってるんだよ。」
「やっぱり、そうなのね。」
生まれた時からの知り合いで、息子を囲い込むように世話していた息子の嫁は、家事能力以外は優秀だ。息子のほうは、家事能力はあるが、世間一般には疎く、自分のことには無頓着なので、ちゃんと噛み合わさっているらしい。
「いろいろと試して貰ったんです。そういうことはさせたことがなかったので、楽しかったです。」
「僕は疲れた。やっぱり、雪乃が買って来て。」
居間に案内してお茶を淹れたら、こんなことを言い合っている。普通の新婚さんのようにはいかない。元々が一緒に暮らしていたから、どちらもお互いのことは理解しているからだ。
「プラネタリウムは、どうだった? 」
「綺麗だった。」
息子の言葉に、その嫁はクスッと笑う。
「最初だけでしょ? 」
「だって、ごはん食べたすぐだったし、空調は効いてるし、それで薄暗いんだから眠くなるよ。」
「そういや、義行は、ここのところ、お昼寝ばかりしていたものね。もう一度行く? 」
まだチケットは残っている。だが、息子は、また今度ね、と、首を横に振った。出不精で外出が苦手だから、即座に行きたいとは思わないらしい。それに、この息子は、本物の星の海を眺めていたから物足りないのかもしれない。
「僕は、ちゃんと雪乃のものも買おうって言ったんだけど、スルーされちゃったんだ。」
一応、母親からデートの心得なんてものは説明されていたから、買い物にも付き合うつもりをしていたのだが、相手が、「そういうことなら、私の好きにさせて。」 と、夫の腕を掴んで歩き出した。せっかくなら、流行の服やアクセサリーが飾ってみたくなったのだと言う。
・
プラネタリウムの座席で、こちらにもたれかかってきた夫は、妻の肩に頭を預けて、くーすかと寝息を立てていた。その姿が愛おしくて、たまらない気分になった。さすがに人目があるから抱きしめたりはしなかったが、ずっと手を握っていた。生きているのだと思うと、それだけで満足した。傍らにあることを拒否されて、再び、手元に戻ったのだと実感できるからだ。
・
・
・
実家を辞して家に戻ってから、冬のコートを用意した。真夜中を過ぎる頃に、夫の手を取って、空間を転移した。成層圏に近い空の上へ出て、空を見上げると、そこには本物の星の海がある。ここから天候に邪魔されることなく、星が眺められる。
「どう? 」
「本物のほうが綺麗だね。」
以前は、この風景を戦艦の中から眺めていた。もっと暗い空間だったから、星の光は貴重で美しいものだった。それからすれば、数は少ないが、それでもプラネタリウムよりは迫力がある。ふたりして、それを眺めて、妻は満足する。
「いい夏休みだわ。」
「そう? 全然、雪乃はゆっくりしていないのに? 」
「ゆっくりは明日からするわ。あなたと、いろんなことをできたのは楽しかったの。たまには、私にも付き合って欲しい。」