篠原 夏休み
夏休みを取ったというか、強制的に取らされた。取らされたものの無趣味な人間というのは、いきなりぽっかりと出来た空き時間なんてものは消化するのも困るものだ。ひとまず、実家へ帰り、庭の手入れなどしてみることにした。自宅の庭は、業者任せになっていて、伸びすぎた枝や茂りすぎた雑草なんてものとは無縁だからだ。実家のほうは、両親が適当にしているから、夏の盛りだと草むしりの仕事がある。
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午後も早い時間に現れた来客に、「あら、珍しい。」 と、出迎えた。仕事、仕事で忙しくしているはずの人だから、こんな時間に来訪してくるのは稀なことだ。
「ようやく、夏休みをいただきましたので。夫を引き取りに参りました。」
「そう、それはよかったわ。」
一応、夫婦同時に夏休みを取る予定になっていたのだが、緊急事項が発生して、妻のほうは予定通り休暇に突入できなくなってしまった。夏休みの予定は、これといってなかったから、いきなり夫は、誰もいない空き時間になってしまった。いつもなら、職場の人間と連るんで出かけたりするところだが、順番に夏休みを取っているから、職場のほうは通常稼動だ。さりとて、職場に顔を出したら、周囲がものすごい顔で説教するので、ほうほうの体で実家に帰ってきたのだ。
「どこか出かけるの? 」
「まだ決めておりません。お母様、どこかお勧めはありませんか? 」
「お勧め? 義行が嬉々として付き合ってくれるところとなると、本屋ぐらいかしらね? プールはダメなの?」
「気温が高いので屋外は嫌がりますし、たぶん泳げないと思います。」
「え? あら、宇宙遊泳はできるんでしょ? 同じようなものじゃないの? 」
「うふふふふ・・・プールは溺れますよ? 」
いろいろと人生の行程が間違っている息子なので、宇宙遊泳はできても泳げないなんていうおかしなことになっている。趣味のひとつも作れ、と、言ったら実家の家庭菜園の手伝いと読書があると言い返された。アウトドアな遊びもインドアな遊びも、ほとんど経験がないから、趣味を考え付かないらしい。
廊下を通り、居間に入る前に、母親は人差し指を立てて口元に当てる。居間では、午睡の真っ最中な息子がいるからだ。
様子を見ながら、ダイニングに移動して、そこでお茶を出した。そこからでも午睡している息子は観察できる。ゆるくクーラーをかけた畳の上でおなかにタオルケットをかけて、くーすか気持ち良さそうに寝ている。
「朝から庭いじりしてたのよ。」
日差しのきつくない午前中に、庭でいろいろとやっていたから疲れたのだろう。ここんところの息子は午後からの昼寝をしているのが常だ。夕方まで、ごろごろして、それから、また庭をいじるというのが休みの一日になっている。
「遣り甲斐がありそうですね。」
「そうね、夏は草が伸びるのも早いから、すぐに繁って大変なの。」
二、三日せっせと庭弄りしてるせいか、なんとか雑草はなくなりつつある。芝生も刈り込まないと、と、父親が言っていたから、日曜は、それを実行することになるだろう。とはいうものの、せっかくの夏休みだというのに、そんなことで終わるのも、どうなんだろう、と、両親も考えていた。少しばかり外へ出るなり、遊ぶなりすればいいとは思うのだ。
「どこか出かけてね? 雪乃さん。涼しいところなら大丈夫でしょ? 」
「涼しいところですか? 」
「うふふふ、姑からプレゼントしてあげるわ。これ、空調も効いているはずだし、義行も興味あるんじゃないかしら。」
手渡されたのは、プラネタリウムのチケットで、ちゃんと二枚ある。日曜にでも出かけるか、と、父親が四枚用意した。どうせなら、息子の嫁も一緒に、と、考えていたからだ。
「ええ、これなら。でも、お母様、これ・・・・」
聡い息子の嫁は、家族で出かけるつもりのものだろうと気付いた。
「私たちの分もあるけど、たまにはデートしてきなさいな。あなたたちはね、出不精にも程があるのよ。夫婦だって、デートぐらいするべきだと思うわよ? ちなみに、私とお父さんは日曜に行くつもりだから。」
ほら、と、母親は残り二枚のチケットも見せる。ちゃんと四枚用意してあることを教えられて、息子の嫁のほうも微笑む。
「デートなんて、あまりしたことありませんね。」
なんせ、出不精な夫だ。休みは、家でだらだらしているのが好き、という人なので、ふたりで外出なんてものは、家の周囲を散歩するか、食料の買いだしに出るくらいしかしないからだ。
「まあ、うちの子、おうち大好きだから、わかるんだけど。」
「くくくく・・・ええ、おうちでごろごろが大好きなんです。」
現に、息子は畳の上で、すぴすぴとお昼寝を楽しんでいる最中だ。それを、ふたりして眺めて笑う。
「でも、たまには、おいしいもの食べて、何か義行にプレゼントさせて、ふたりで遊ぶのもいいんじゃないかしら? 」
「それ、妹はやってます。」
「だから、あなたもやりなさい、雪乃さん。この子、あなた相手だと甘えて、なんにもしないんだから。」
母親は、そう茶目っ気たっぷりにウインクする。息子は妹からねだられれば、買い物にも付き合うし食事にも出かける。だが、妻に対しては、そういうことをしたことがない。妻には甘えているらしく気遣うことを忘れるらしい。母親からすれば逆だろう、と思う。これから長年連れ添っていく相手だからこそ、たまには相手の喜ぶこともするべきなのだ。
「甘えてるんですか? 」
「そりゃ甘えてるでしょ? あなたにだけはね。おねだりしないあなたも悪いのよ? 年下の亭主だからって、あなたが頼られてばかりだと疲れるでしょ? 夫婦なら、どちらも頼っていいものなの。」
おわかり? と、息子の嫁の前に置いたチケットを、トントンと人差し指で叩いて微笑む。相手も、その意図を理解したのか、口元を歪めた。
「そうですね。明日にでも、プラネタリウムに行ってきます。」
「ええ、おいしものを食べて、服でも買わせていらっしゃい。まあ、あの子にデートのエスコートができるとは思わないから、そこいらの誘導はしてやってね? 」
「ええ、わかりました。」
「今夜、食事だけは、うちでしてくださいな。お父さん、あの子と食事するの楽しみにしてるから。晩酌に付き合ってちょうだいね? 」
「はい、何かお手伝いしましょうか? 」
息子の嫁は家事能力は、あまりない。だから、食事の準備は頼めるものではない。
「じゃあ、義行のお守りをお願いするわ。買い物に出かけたいの。」
「わかりました。」
「何かリクエストはない? 」
「お母様の料理なら、なんでも。」
「あなたたち、同じことを言うのね? それ、リクエストじゃないんだから。」
へ? と、息子の嫁は、ちょっと口を開けたまま、しばし止まったが、それから苦笑した。夫婦どちらも、同じ言い方でリクエストしているらしい。言い直そうとしたら、母親は、はいはい、と、手で止める。言い訳も同じなのだから、聞く必要はないからだ。
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