二つのあいさつ
くらいあいさつ
「さようなら」
私の目の前で、行儀よく座っている相手が、ゆっくりと細い声を出し始めた。
次に発しようとされる言葉が何か、失礼にならない程度に我が身を乗り出し、聞き耳を立てるように神経を集中した。
私は、これといって耳が遠いわけではないが、眼前の御仁の声ときたら、ブンブとうるさい蚊の鳴き声にも届かないではないだろうか。高齢であるとは言うものの、若い世代に譲る気持ちは欠けているのではないだろうか。
そのような我が内心の思いは、半分目を閉じて、今にも眠りそうな老人には伝わりそうもない。早いところ、次の言葉を述べてほしいものだ。正座している、私の両足の感覚は麻痺しつつある……。
ご老人の口元が、かすかに揺れ動いた。
私は、両手の拳に力をぎゅっと入れる。
「さようなら……ば、そのようにいたせ」
そこまで言い終えると、無作法にも大あくびをしながら立ち上がった。そして、あとのことはよきにはからえ、とこれまた小声でつぶやきながら、ゆっくりと立ち去っていく。
安堵のため息が、宮仕えの我が口から、するすると漏れた。
やれやれ、位(くらい)が高い方には、もう少し下の者にも気を遣ってもらいたいものである。倹約令が出されているとは言え、声まで倹約することはないだろうに。
このような訴えでは、改革にいそしむ、白河ご出身のご老中にお話したところで、取上げてはもらえまい。
倹約ばかりで、暗い世の中になってはもらいたくないものだ。