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遼州戦記 保安隊日乗 番外編 2

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 夏もまた過ごしやすいものではない。解けた山地の水から湧く蚊と格闘し、わずかに広がる木々の途切れた荒地に生える低木の木の実を食べることを覚えなければビタミンの補給はできない。そして巨大な森の主であるコンロンオオヒグマのテリトリーでの生活は常に緊張に包まれていて間抜けな闖入者の生存を許すほど甘くは無かった。
「いつもさあ、俊平」 
「なんだよ」 
 考え事をしているようなシャムにめんどくさそうに吉田が返事をする。すでに吉田はゲリラの錬度に合わせて行動予定ラインの設定作業をするために画面を文字列が並ぶプログラム画面に切り替えていた。
「私……何者なのかな」 
「なんだよ突然。お前はお前だろ?」 
「そうなんだけど……」 
 吉田はシャムの不安そうな言葉遣いに作業を止めてシャムを向き直った。
「お前は今のお前以外の何かになりたいのか?」 
 珍しく真剣な調子の言葉だった。シャムは何も言えずに静かに首を横に振った。
 吉田はそれを見て笑みを浮かべ、再びプログラム画面に目を向けた。
「ならそれでいいじゃないか。俺も今の俺で十分だ。かつての俺はかつての俺。遼南でお前さんに撃たれて死んだことになってる」 
 遼南共和軍の傭兵部隊のカスタムメイドアサルト・モジュールのコックピットでシャムのサーべルの一撃を受けて下半身をもぎ取られて生命反応が切れた吉田の姿を思い出すシャム。
 だが今は吉田はここにいる。
「俊平はそれ以前の俊平には会いたくないの?」 
 シャムの言葉に口元に笑みを浮かべながら吉田は無視して作業を続ける。
「会いたくないね。できれば永遠に」 
「できれば?」 
 どうにも引っかかる言い回しを気にしながらシャムは吉田の作業を眺めていた。
「おう、やっとるな」 
 部屋に入ってきたランはご機嫌だった。続くロナルドや岡部も先ほどのエンジン交換の場面に立ち会えたことに満足してるようで穏やかな表情でそれぞれの席に戻った。
「シャム。アンの訓練メニューはどうだ?」 
「今作っているところ。……そう言えばアン君は?」 
 遅れて入ってきた誠とカウラは途中からの会話に理解できないようでしばらく首をひねったあとそのまま自分の席についた。
「ああ、フェデロの並走を頼んだよ。やっぱりちゃんと走ってもらわねーと示しがつかねーからな」 
 ランはこともなげにそう言うとそのまま自分の端末を起動した。
「俊平、どう?」 
 シャムはよく分からないプログラム画面を操作している吉田を見上げた。吉田はまるで聞いていないと言うようにキーボードを叩き続ける。
「かなり難易度は高くしたつもりだよ。武装勢力には3名のゲルパルト旧軍の軍事顧問を参加させた。通信用ヘッドギアの普及率は50パーセント。各ブロックには稼働率96パーセントの対人センサーを配置」 
「かなりシビアになるね」 
「シビアにしろと言ったのはシャムだろ?まあクリアーできたときより失敗したときのほうが学ぶことは多いものだからな。それに……」 
「それに?」 
 何かを言いよどむ吉田をシャムは不思議なものを見るような目で見上げた。
「どれだけ楓のことをアンが信じているか分かるのは面白いだろ?」 
 吉田の口に悪い笑みが浮かぶ。
「そうよね。普段の楓ちゃんからはその実力は分からないものね」 
「え?嵯峨少佐ってそんな実力者だったんですか?」 
 聞き耳を立てていた誠が端末の脇から顔をのぞかせてシャムを見つめてくる。好奇心満々の瞳。シャムはそれを見て満足げにうなづく。
「要ちゃんが大尉でカウラちゃんも大尉。でも楓ちゃんは少佐。階級が違うのには意味があるのよ」 
「その割りにお前さんは中尉だな」 
 思わず吉田が突っ込みを入れた。シャムはむっとして吉田を見上げるが相変わらず彼の目は画面に固定されて動くことがない。
「まあすごく全体を見て行動できるパイロットよ。無理もしないし」 
「今度の実機を使った演習ではお相手したいものだな」 
 カウラがそう言いながら端末にデータを入力している。誠はそれを見て上の空でうなづくと再び自分の作業を再開した。
 キーボードを叩く音が部屋に響き渡る。沈黙。あまりこう言う状況が好きではないシャムだが自分からこの沈黙を破るほどの勇気もない。
 事実見上げる吉田の顔は真剣だった。機械はまるで駄目なシャムはこう言うことはすべて吉田に任せている。そして吉田は常にシャムの期待に答えてきた。
『今回もいいのができるかな』
 微笑んだシャムだがその瞬間に部屋の沈黙が破られた。
「ったく……あの糞中年が!」 
 忌々しげに悪態をつきながらの要の登場。部屋の中の全員の視線が彼女に集中する。
「な……なんだよ」
 少しひるんだ要だが、その視線の中にシャムを見つけるとそのまま彼女のところに向かってきた。
「おい、シャム。叔父貴がお呼びだとよ」 
「隊長が?」 
 シャムは怪訝そうな顔で不機嫌の極地という要を見つめた。
「おう、あのおっさんすっかり練習に出る気でいたみたいでさ。ユニフォーム着て屈伸してやがった。もう来なくて良いよって言ったら泣きそうな顔しやがって……まるでアタシが決めたみたいじゃねえか」 
「あれか?隊長の法術封印効かなくて試合に出れないことをまだ根に持ってんのか?でもよー、良いじゃねーか。練習くらい出してやれよ」 
 シャムに言いたいことを言って気が済んだように自分の席に戻る要にランがなだめるような声をかける。
「あのおっさんはサボりたいだけなんだよ。もし叔父貴が練習しているところを司法局の本局の連中に見つかってみろ。今度こそ廃部だぞ」
 確かに要の言う通りなのでランは仕方なくうなづくとそのまま自分の仕事を再開した。
 シャムや誠などの野球部の面々は試合中は試合の公正を計るため、鉢巻のような法術封印をつけてゲームに参加することになる。その繊維の中に埋め込まれた転移式ベーター派遮断装置のおかげでそれをつけている間は法術の使用はほとんどできない状態になる。
 普通の法術師の場合はそれでよかったが嵯峨にはそれの効果が薄かった。法力のキャパシティもそうだが、彼は先の大戦で戦争犯罪人として死刑判決を受けたあと、実験体として法術の解明のためにアメリカ陸軍のネバダの砂漠で各種の実験に供された経歴があった。
 その際に無理やりそれまで施されていた封印を解かれた副作用で法術のコントロールが不完全だと言うのがシャムがヨハンから受けた嵯峨の法術封印ができない理由だった。
「まあ……いいか。アタシ、行って来るね」 
「行って来い」 
 ランの力ない声に押されて立ち上がったシャムはそのまま詰め所から廊下へと出た。
 廊下に人影は無かった。いつもなら隣の管理部の女子隊員がおしゃべりでもしている定時まで一時間を切った夕方。すでに廊下に挿す日差しは無く、いつものように節電のため明かりの無い廊下をシャムは隊長室まで歩いた。
 ノックをする。
『おう、開いてるぞ』 
 嵯峨の声を聞くとシャムはそのまま扉を開いた。
 埃が一斉に舞い、思わずシャムは咳をしていた。
「ご苦労さん」 
 隊長の執務机。シャムが何度見ても、それは一個中隊規模の部隊の指揮官の机には見えなかった。