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遼州戦記 保安隊日乗 番外編 2

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 アンの言葉を聞いてもまだシャムには理解できなかった。
「じゃあなとりうむを一杯入れたら冷えるんだね」 
「別に量は関係ないですけどとりあえず冷やす工程をしばらく続けてから運び出し作業に入るみたいですよ」 
 そう言うとアンはハンガーの出口に向かう。
「見て行かないの?」 
「昼過ぎの訓練のレポートを進めたいんで」 
 そう言ってふざけたように敬礼するとそのままアンは走ってハンガーを出て行った。
「アタシ達も行こうよ」 
「私はしばらく見ていくつもりだ。先に行ってくれ」 
 カウラの言葉。誠もじっとその横に立ち尽くしている。シャムは仕方なくそのままハンガーを後にした。
 外に出ると急に気温が降下したように体が冷えるのが感じられる。ランニングが終わってしばらくは暖かかった体のままハンガーの中のエンジンの出す猛烈な熱を浴びていた。その為筋肉が冷えてきても温かさを感じていたせいで北風の吹きすさぶグラウンドの空気はことさら体に堪えた。
「そうだ、グリンに会いに行こう」 
 シャムはそう言うと小走りで隊の建物に沿って走った。
 日陰は寒いのでそのまま大回りで正面玄関に向かうアスファルトの道を走る。まもなく夕方という時間。一番舞台の暇人達が珍しく仕事をする時間だった。
 隊の車両置き場も人影は無く、洗車の後と思われる水溜りがその前に見えるだけで沈黙の中にあった。
「わう?」 
 車両の並ぶ銀屋根の隣の小屋。その檻の中の茶色い塊が動いているのが見えた。
「グーリン!」 
 シャムの声にグレゴリウス16世はすぐ気づいて檻の中で振り向く。満面の笑みだ。半開きの口で近づいてくる巨大な熊を見ながらシャムはそう確信した。
「わう……」 
 手前にある人の頭ほどの大きさの皿はすっかりきれいに舐めあげられていた。日中は留守になることが多いシャムということもあってグレゴリウスの餌やりは日中は警備部と技術部の車両管理班が交代で担当していた。
 グレゴリウスの母は遼南でシャムとコンビを組んでいた名熊の熊太郎だが、彼女に比べると確かに明らかに劣るがグレゴリウスも馬鹿ではない。最初は彼等を脅して喜んでいたが、餌がもらえなくなると分かった最近では餌を持って近づく彼等には非常に紳士的に接するようになっていた。
「お昼はおいしかった?」 
 そう言いながらシャムは檻の扉を開く。シャムが大好きなグレゴリウスだが飛び出すと大目玉を食らうことは覚えているのでじっとシャムが入ってくるのを待っていた。
「……」 
 しばらく黙ってシャムを見つめているグレゴリウス。シャムはそのまま彼の近くによるとしゃがんでいるグレゴリウスの肩をぽんぽんと叩いた。
「ごめんね。今日は夕方の散歩は出来そうに無いよ。タコが来ているから今日は練習は試合形式になると思うんだ……」 
「わう」 
 シャムの言葉が分かっているのかどうか分からないが少し甘えるようにグレゴリウスがつぶやく。
「だからいい子にしてるんだよ」 
 そう言うシャムにグレゴリウスは顔を寄せた。シャムの頭の倍以上の大きさの頭を撫でる。そのごわごわした毛皮の感触がシャムはお気に入りで何度もその頭を撫で続けた。
 大きな熊の体温で少しばかり暖かい檻。シャムはそのまま鼻を寄せてくるグレゴリウスから離れるとそのまま檻を出た。
「また明日ね」 
「わう」 
 元気に答えるグレゴリウスに満足げにうなづくとそのままシャムは正門へと向かった。
 いつものようにざわつく正門をくぐり、その騒音の主である運行部の女性隊員の雑談を横目に急いで階段を駆け上がる。
 人気の無い医務室を通過し、男子更衣室前を通り抜け、そのまま廊下を早足で歩いて実働部隊の詰め所に飛び込んだ。
「なんだ、お前が一番かよ」 
 一人で机に足を乗せてくつろいでいた吉田の遠慮ない声にシャムは照れ笑いを浮かべながら自分の席についた。
「次回のアンの演習の概要でも作るのか?」 
 机から足を下ろすと吉田は首に刺さったコードを引き抜きながらシャムが起動したばかりの端末を覗き込んだ。
「まあね。あの子も今が伸び盛りだから。いろいろ考えてあげないと」 
「殊勝なことを言うねえ。まあいいや、ちょっと貸してみ」 
 そう言うと起動したばかりの端末のマウスを吉田が手に取った。画面のファイル選択カーソルを動かし次々にファイルを開いていく。
「まあ俺が傭兵やってた頃の演習用データフォーマットが俺の私物のサーバにあるはずだから・・・ほら見つかった」 
 めまぐるしく切り替わる画面が怪しげなコードが絡まる絵で構成された画面で止まる。吉田はすぐに先ほど自分の端末から引き抜いた首の端子に刺さったコードをシャムの端末の脇のスロットに挿しこんだ。
 また点滅しているような速度で画面が変わっていく。
「やっぱりあれだな。『05式』向けに加工しないと使い物にならないか……とりあえず読み込めるようにして……」 
 独り言のようにつぶやく吉田。シャムは黙って彼の言うままに点滅する画面を眺めていた。じっと考え込むように親指のつめを噛みながら画面から目を離そうとしない。
「今度は廃墟の市街戦を想定した訓練を考えているの。こちらの戦力は楓ちゃんとなべっちがフォロー役。支援戦力でマリアのお姉さんの部隊が参加する形で……作戦目的はゲリラの要人略取」 
 シャムはそう言うと放心したような状態の吉田を見上げた。しばらく経った後、画面には廃墟の町が現れていた。
「ご注文通りだろ?で、ゲリラの戦力は?」 
 乾燥地と思われる背後に茶色の地肌をさらす山を背負った町の画面。すぐにその画面の視点は上空に飛び、その町の全景を示して見せた。
「M5が2機くらいかな……それと装甲ホバーが10両前後。武装メンバーはおよそ2000人で武装度はB+で一個中隊にテクニカルが二台つく感じの戦力がいいかな」 
「おいおい、ずいぶんとでかい規模のゲリラじゃないかよ。殲滅戦じゃ無いんだろ?要人略取となると主役はマリアの姐さんの部隊だ。囮で引っ張るにしても2000人のうち8割程度を引き付けないと作戦遂行以前に姐さんの部隊が全滅するぞ」 
 慌てたような吉田。だがシャムはまるで動じていない。
「演習だからね。多少難易度の高い任務を想定しないと……実際こう言う任務が来ないとは誰も言い切れないんだから」 
 シャムははっきりした調子でそう言い切ると頭を掻いて天井を見上げている吉田に手を合わせた。
「変わったのかなあ。それとも元に戻った?」 
「?」
 それとない吉田の言葉。シャムはしばらく首をひねった。
 シャムは遼南の森で暮らしていた以前の記憶が無い。吉田がシャムの脳派検査を見て『記憶が消されてるな』と言ったことを思い出した。今ではその森で何千人と言うレンジャー資格受験志願者にサバイバル訓練を課したから分かるが記憶の無い少女が一人で暮らせるほど森の暮らしは楽ではない。
 冬は氷点下40度を軽く下回る大地はその巨大な木々をはぐくむ割には豊かとはいえないものだった。大きな得物を捕る技術が無ければ木の皮に生えるコケを剥がしながら飢えをしのぐのが常道だが、そのような状況になったときはシャムも受験者に棄権を言い渡すべく出動して救助するのが普通だった。