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遼州戦記 保安隊日乗 番外編 2

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 中央に二つ置かれた『未決』と『決済済み』と言う書類だけがこの机の主がそれなりの重責を担っていることの証明である。それ以外はとても『隊長』と呼ばれる人物の机では無い。
 手元は一見片付いているように見えるが、その下敷きはどう見ても鉄板。その上には何度と無く工具を使うことでできた傷が見て取ることができる。そして右端には積み上げられた半紙とその上の不安定にしか見えない硯は嵯峨の『書家』としての一面を見るものに知らしめた。
 反対側。こちらには透明の棚がおいてある。それぞれに札がついているが、中に入っているのは銃の部品ばかり。そして固定するための万力が据え付けられていた。
 結論として事務仕事をする人間の机ではないのだが、『決済済み』の書類の箱が山になっているところがその才に長けた嵯峨らしいところだった。
「あの?隊長?」 
 机ばかり見ていたシャム。それもそのはずそこには嵯峨の姿が見えなかった。椅子は横を向いている。シャムは不思議に感じてそのまま近づいていった。
「いやあ、スパイク。久しぶりに履いたらなかなか脱げなくてねえ」 
 突然何も無かった椅子のところから嵯峨の体が飛び出したので驚いてシャムは飛びのいた。髪の毛はぼさぼさ。無精髭を生やしてめんどくさそうに背中を掻いている若い男。とてもかつて『人斬り新三』と呼ばれた切れ者の風采はそこに見えない。
「紐を強く結びすぎたんじゃないですか?」 
「ああ、そうかもなあ」 
 とぼけたようにつぶやくとそのまま不安定な状態の硯を手に取ると墨をすり始める嵯峨。若く見えるのはその法術による体再生機能が制御できずに老化が止まっているためだとヨハンから聞いたことがある。嵯峨もそのことは気にしていて、本人が言うには少しでも年上に見られるようにわざと無精髭を生やしていると言うことらしい。
「まあ呼んだのはアンのことだ」 
 相変わらず嵯峨は墨をすり続けている。シャムは仕方なくそれを見ながら嵯峨の次の言葉を待った。
「どうだ?」 
「どうだと言われても……」 
 シャムは突然顔を上げて自分を見つめてきた嵯峨の視線に照れながら頭を掻いた。
「とりあえずまじめだし……一生懸命だし……」 
「いいことだねえ。基本だよ、それは」 
 そう言うと嵯峨は部隊の野球部の練習用ユニフォームの上に東和陸軍の制服に手を加えた保安隊の上着を肩に羽織った。
「で、筋はどうだ?」 
 嵯峨の言葉にシャムは少し躊躇した。その態度を見て嵯峨は納得したようにうなづく。
「まあな。天才は天才を知るか……神前と比べるとどう見ても落ちるって話なんだろ?確かに神前は臆病と言う致命傷があるし、射撃については絶望的な感覚の持ち主だが……本来のアサルト・モジュールは撃ち合いをする道具じゃない。ダンビラ振り回して斬り結ぶのがかつてこの銀河を支配したと言う古代文明とやらが作ったアサルト・モジュールの目的だ。その目的に関しちゃ神前の才能は万に一つの逸材だからな」 
 そう言うと嵯峨は袖机の引き出しに手を伸ばした。そこから取り出したのは一枚の絵だった。
「まあそんな本来のアサルト・モジュールの使い方は良いとして。うちが要請される使い方をマスターするのは多分アンの方が早いだろうからな。アイツにもパーソナルマークをやろうと思って」 
 嵯峨はその絵をシャムの前に差し出した。寝転がった金色の仏像。その上にはシャムの見たことが無い文字が躍っている。
「なんですか?これ」 
 シャムの言葉に嵯峨はしばらく泣きそうな視線でシャムを見上げてくる。
「そんな目で見ないでくださいよ。仏像ですよね。なんで寝てるんですか?」 
「涅槃仏。遼南南都州の南側のネプラット寺院の大涅槃像をモデルにしたんだけどね。あそこは……なんどか南都軍閥の連中と折衝でやりあった場所だから記憶に残っててね。確かアンの実家もその近くのはずだぞ」 
「そうなんですか……」 
 シャムは記憶をさかのぼってみる。高校時代。確かに南都近郊にはインドシナからの移民が多く居住しておりシャムが見たことが無いような様式の寺院がたくさんあると授業で習ったことを少しだけ思い出した。見たことの無い寺院ならその『涅槃仏』とか言う仏像があっても不思議ではない。
「でもパーソナルマークは早いと思いますよ。まだ実戦経験も無いんですから」 
「そりゃそうなんだけどさ。この商売ははったり九割だ。素人だと思ったら敵も舐めてかかってくる……そういう時新兵に死なれる辛さは経験あるだろ?」 
 説得力のある嵯峨の言葉。シャムは仕方なくうなづくしかなかった。
「よし、これで明日明華にお伺いを立てれば万事終了っと。ようやくのどのつかえが取れたよ」 
「隊長、もしかしてそのことだけで一日潰したんじゃないですよね……」 
 シャムの言葉に嵯峨はとぼけるような顔をしたまま椅子を回して隊長室から見える夕日に目を向けた。
「それじゃあ戻ります」 
「ああ、ご苦労さん」 
 少しばかり落ち込んだような嵯峨の言葉を聞きながらシャムは隊長室を後にした。
 隊長室にいたのはほんの数分だというのに夕闇はさらに暗くなって廊下の暗さがさらに強調されている。
「あ!ナンバルゲニア中尉!」
 偶然と言うものはある。廊下にはアンとすでに制服に着替えたくたびれた様子のフェデロが部屋に入ろうとするところだった。
「なんだ、終わったの?」 
「ええ、でもマルケス中尉が……」 
「あんだけ汗を掻かされたんだ。シャワーぐらい浴びさせてもらっても罰はあたらねえだろ?」 
 そう言うと不機嫌そうに詰め所に消える。シャムはあいまいな笑みを浮かべながら困った様子のアンを見つめていた。
「まあ大丈夫だよ。フェデロのわがままだから。気にしなくても」 
 そう言いながらシャムはアンを連れて詰め所に入った。
 周りの射るような視線を浴びながらも鼻歌交じりにそのまま自分の席に戻るフェデロの姿が見える。シャムは呆れたというように自分の席に戻る。すでに吉田は作業を終えたのかシャムの端末から離れて自分の席で再び机の上に足を上げてふんぞり返っている。
「とりあえず組んでは見たけど……検証は明日にしてくれよ。今はそのプログラムが『05式』のフォーマットで走るかどうか検証をかけてる最中だからな」 
「そうなんだ」 
 シャムはそれだけ言うと端末の終了作業に入った。
 すでに定時まで5分を切っていた。今日は明石が野球部の練習に来ている。特に込み入った事件も無い以上、ランも定時に上がると誰もが思っていた。
「やべーな。こりゃ」 
 そう言うときにはアクシデントは起こるものだった。ランのつぶやきに全員が彼女に注目する。
「どうしました、中佐」 
 カウラの俊敏な反応。最近の練習試合で打ち込まれている誠に変わって次回の春の大会では再びエースナンバーを背負うのではないかという彼女。練習に入りたい気持ちがいつもは仕事熱心な彼女にそういわせたのだと思うと少しシャムの顔に笑みが浮かんでいた。
「いや、アタシ個人の問題だから……おい、定時だぞ」 
 シャムはランの言葉にランの後ろにぶら下がっている時計を見た。確かにそれは定時を指していた。
「それじゃああがるか」