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刻の流狼第四部 カリスアル編【完】

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episode.38


 始まりは光と闇。
 光の中では、光は光ではない。闇の中では、闇は闇ではない。光と闇が同時に存在するからこそ、光は光であり、闇は闇と成る。
 その二つの相反する存在が、存在として意味を持った瞬間、世界は産まれた。
 対立しながら同じ存在意味を持つ光と闇。そして産まれる影。
 産まれた影は、何時しか歩きを始め、人となった。


 * * * *


 パクージェの西北地方には、不毛の大地が広がっている。
 災禍が訪れ、地上を一瞬で荒野に変えたのだが、以降その大地には作物は実らなかった。
 しかしこんな事は、今まで無かった。
 災禍が訪れても、大地が抱く理の力が失われる事までは無い。だからこそ残された者達が、再度その地に根を下ろす事が出来た。
 理の力が失われていく。
 その事がどれ程人に危機感を与える事になるか、学者達は挙ってこの地を調べに訪れたが、原因はどれも纏まりのない物だった。
 それでも唯一同じ結論を打ち出したのだ。
「この理の力の消失は、現在も続いている」
 力が食われているのだと、学者達は口を揃えて訴えた。
 誰も信じない言葉を、声高に唱えて警告を発した。
 そして、警告が誰の心を動かさない内に、学者達は姿を消した。





 大地の異変が徐々に目に見えだした風景となりだしたのは、パクージェに入ってから大凡二月を過ぎた辺りからだった。
 乾いた地表には、青々と茂る草木は少なく、時折横切る田畑に農作物の影もない。植物が育たない場所に家畜が育つ筈もなく、次第に寂れていくこの国の国土は、確実に死に直面していた。
 地図の上では、まだ三分の一も国は続いているが、果たしてこの状況の中で、幾つの村街がその名をこの地表に残しているのか不安が募る。
 実際、ソルティー達が北西から避難してくる者を見たのは、この短期間でありながら少なくない。その大半が農業で生計を立てていた者達で、声を掛けて話を聞いてみると、この一年急激に大地の枯渇が激しくなって、誰の手にも負えない程だと語られた。
 日に日に地上を蝕んでいく理の力の枯渇が、何時になれば止まるのかは予想出来ず、今までソルティーの耳にしてきた廃村の数は、既に三つになる。
 地図上の村の名に印とを入れ、人伝に聞いた大体の地上の腐食の始まりを記入し、どれだけの速度で大地が浸食されているのかを頭に入れた。始まりは不確定ながら、少なくとも浸食の速度が速まっているのは確実であり、これから更にその速度が増す可能性は高い。
 原因が判らないのでは回復させる手立ては無く、仮にそれが有るのならば、既に試みられているだろう。
「もしかして、凄く聞きたくないんだけど、これの原因はソルティーの事と関係有り?」
 恒河沙が用足しに離れている間に、ちらっと聞いた須臾に、ソルティーは静かに頷くだけにした。
 須臾はそれ以上何も聞かなかったが、その頃から日増しにソルティーの口は重くなりだした。

 周囲に目を向ける度に、罪の呵責に囚われそうになる。

 此処まで来る道程の中で、歩みの速度を速め、立ち寄らずに終わらせられた街や村は幾らでもある。一日でも早く赴けば、一日でも少なく悲嘆の背負う者達のそれを和らげられたかも知れない。
 そうした思いを必死に断ち切り、無理矢理前だけを見ている。そんな雰囲気を持つソルティーに、ハーパーや須臾からは何も言い出さないように気を使った。
 この惨状を見せ付けられれば、嫌でも気が急いてくる。事情を知っていれば尚更だ。
 しかし、焦りのまま早く事を終わらせようとは決して言えない。
 事の終わりは、そのままソルティー自身の終わりとなる。
――まるでソルティーと世界を天秤に掛けているみたいだ。
 そんな事はしたくないと思いながらも、恐らく既に世界を選んでいる筈の男の後ろ姿を見て、須臾は唇を噛み締めた。
 事実を聞かされてから、何度となく旅を止める様に説得はした。それこそ須臾の頭で考えつく、理屈も屁理屈も出し尽くした説得だった。
――どうして笑えるんだよ……。死ぬんだよ?
 須臾が真剣に訴えるほど、ソルティーは嬉しそうに微笑むのだ。
 そう言って貰えて嬉しいと、感謝の言葉を並べても、必ず最後には首を振る。他に誰も自分の代わりが居ないから自分がするしかないと、平気で死を肯定した。
 もう何を言ってもソルティーの心変わりは有り得ない。そう確信してしまう時には、彼の敵という存在の脅威が実際にこうして見せ付けられ、後戻りと言う言葉が彼に存在しないのを知った。
 そして、多分この国最後の街を目前にして、ソルティーが深く考え込む時間が増えているのに、須臾は気付きたくなかったのに気付いてしまった。


 次の街サルーまで予定通り進めば二日から三日で着ける所で、街道から少し逸れた場所に在った大木の下で野宿する事になった。
 まだ朱陽が落ちるには時間は在ったが、朝から妖魔二人を相手にした為に、休憩も含めての場所を探している内にこの時間になった。別の適当な場所を探して見当たらない場合を考えての結論だ。
 全員食事のあとは思い思いの場所で時間を潰し、夜になるのを待った。
 須臾だけは夜からの見張りの為に、今の内にとばかり仮眠を取り、ハーパーも寝ているのか判断しにくい瞑想に取り組んでいた。
 そんな静かな中、恒河沙はソルティーの背中に凭れて、枝葉の間から小さく見える空を眺めていた。
 ソルティーは、外した鎧や剣を丁寧に磨いている最中だ。
――早く終わらないかなぁ。
 ソルティーが鎧を磨いている時だけは、どうしても自分の存在が彼の意識から消えてしまう。
 それ程長い時間ではないから我慢できるには我慢できるが、僅かばかりだが鎧に腹が立ってしまうのが抑えられない。それが嫉妬だと言うのを、彼はまだ知らない。
 時々大きく動く振動を背中で感じながら、頭の中でソルティーが今何をしたかを想像して時間を稼ぐ。そして、二本目の剣が鞘に戻る音が耳に届いた瞬間、恒河沙は体を反転させて、両腕をソルティーの肩越しに前へと伸ばした。
「終わった?」
「ああ」
 几帳面に布を折り畳むソルティーの傍らには、彼の鎧だけではなく恒河沙の鎧も並んでいた。くすみ掛けていた細工が、綺麗に輝きを放っている。
 ソルティーが序でだからと、何時も殆ど無理矢理と言える強引さで恒河沙から鎧を奪うのだ。流石に気が引けるから断るが、結局最後にはこうなってしまう。
 恒河沙は磨き終わった鎧を受け取り、それを足下に転がしてからソルティーの前に廻る。
 片膝を立てて座っていたソルティーの脚を、自分の座り易い様に両足揃えて伸ばしてから、自分の専用の場所に腰を降ろして、今度は前から首に抱き付いた。
「……どうした?」
 いつもなら直ぐに頭をすり寄せてくる恒河沙が、じっと視線を合わせているのにソルティーは首を傾げた。
 恒河沙は何かを聞きたそうな表情のまま首を小さく振ると、何時も通りに額を胸に押し当てた。
「話があるなら言ってくれないか? ……話せない事かそうじゃないかは、聞いた後に判断するから。全部が全部話せない事じゃないよ」
 どうしても気を使わせてしまう事に負い目を感じながら、恒河沙の顔を片手で自分の方に向かせて笑ってみせる。
「何?」