刻の流狼第四部 カリスアル編【完】
尊敬と驚愕が入り交じる視線に、バナジェスタは一切関心を示さない。犯罪者と言えど人を殺して幾らの生業に、他者からの羨望など必要なかった。
そんなバナジェスタに老人は笑みを深くすると、
「どうだ、忘れられていなかっただろう?」
「忘れた方が良い名だって在るさ。今の俺は腰抜けバナジェスタで充分だ」
その言葉に老人は肩を落としたが、直ぐに立ち直ってバナジェスタの持っていた手配書を柵の隙間から取った。
「首金500ソリドだな」
「300だっただろ?」
「昨夜のあれで、たった今200上乗せした所だ。相変わらず運が良い奴だよ、お前は」
老人は喉で笑いながら奥へと立ち去った。
バナジェスタは老人の後ろ姿を見送り、奥の扉が閉められた後溜息を吐き出した。しかし息を全て吐き出し終えた瞬間、へなへなと床に膝を着いてしまった。
「おっちゃん、大丈夫か?!」
足の傷を心配して恒河沙が駆け付けるが、向けられた顔は涙目だった。
「良かったぁ〜〜これで暫く何もしないでも、ガルクに怒られないで済むぅ〜〜」
まったくいつものバナジェスタの口調に戻ってしまった彼に、緊張していた全員が肩の力を抜いた。
と言うか、呆れ果てた。
ソルティー達は首金を受け取ってから直ぐに、バナジェスタの家に向かった。
家の周りにあった屍は既に撤去され、生々しい血痕だけが広範囲に残るだけになっていた。
「ガルクッ!」
家に入るなりガルクを捜すバナジェスタの前に、須臾が現れた。
「大丈夫だよ。向こうにいるから」
「あ、ああ」
須臾の指差した部屋へと急ぎ、半開きの扉を勢いよく開ける。
ガルクは床にシーツを何枚も重ねた上に座って、何かを食べている最中だった。
「ガルクッ、大丈夫かっ!! 父ちゃんとソウナが帰ってきたよっ!!」
「お、親父っ!?」
驚くガルクに、バナジェスタは両腕を広げて抱き付こうとするも、それはガルクの投げた皿が鼻先に直撃した為に、叶えられる事は無かった。
不意打ちも不意打ちにバナジェスタが身構える暇もなく、彼は鼻を両手で抑えて蹲った。
「ひょ…ひょうひへ?」
「自分の体を見ろ。そんな血だらけの体で、俺に抱き付こうとするのがおかしいだろう」
「わっ?! ご、ごめん……。で、でも、父ちゃんガルクの事が心配なんだよ?どうして判ってくれないんだ?」
昨夜のハリアリとの死闘など無かったかの様に、バナジェスタはガルクの態度におろおろするばかりだ。
しかしガルクはそれを冷たくあしらった。
「関係ない。それと親父、まさかまたシャツを脱がないで獣化したのか?」
感動の抱擁を期待していたバナジェスタにガルクは追い打ちを掛け、目の前で狼狽しまくり、最後には上目遣いで頭を掻く父親の姿に、こめかみをヒクヒクさせた。
「くそ親父っ!! あれだけ獣化する時はシャツを脱げと言っただろっ! 一体シャツ一枚買うのに幾ら掛かると思ってんだっ!!」
「ごめんなさいごめんなさい!! でも父ちゃん500ソリドも稼いできたんだよ。シャツの一枚や二枚はちゃんと買えるんだよ」
それどころか、この家を新しく建て直しても殆ど残るだろう。
「だからって、着れる物を着れなくした事には変わりはないだろっ!! 第一金は使えばなくなるんだっ。今ある金ばっかりに頼ってたら、また借金背負う事になるだろっ! 判ってんのかくそ親父っ!!」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい〜〜〜。もう二度とシャツは破きません! ガルクの言い付け守りますっ! だからもう怒らないで〜〜」
バナジェスタは怒り心頭のガルクに、土下座して何度も頭を下げた。
どんなに屈強な相手でも負けないかも知れないが、ガクルには絶対に勝てない。と言うか、もう身に付いてしまった事なのかも知れない。
幾ら謝って事情を話しても、ガルクは直ぐに自分の至らない箇所を見付け出して、反論出来ない言葉を言うのだ。
床に何度も頭をぶつけてご機嫌を取るバナジェスタに、ガルクは最後には呆れたと溜息を漏らした。
そして顔を逸らす様に俯くと、頭に手を当てて小さく呻いた。
「痛っ〜……」
「ガルクッ?!」
ガルクの様子に慌ててバナジェスタは彼の側によると、顔を下から覗き込んだ。
両手が自然とガルクに触れようと動いたのを、自制でなんとか押し止め、触らないように気を使う。
「大丈夫か? 痛いのか? しゅ、須臾さん呼んでこようか? ガルク?」
おろおろと行き場のない両手を振りながら、ガルクの返事を待つ。それにさえ苛立った声を彼は絞り出した。
「…ったく、この親父は……」
ガルクは頭に当てた手を、思いっきり焦っているバナジェスタに向かわせ、血で汚れた長めの体毛を一房握り締めた。
「ガ…ガルク?」
「くそ親父…心配させるなよ……。俺…親父が……殺されるかも知れないなんて、もう嫌だよ。どうしてそんな心配ばっかりさせるんだよ。」
握った毛を引く様にバナジェスタを引き寄せ、ガルクは彼の胸に額を寄せた。
「ガルク……父ちゃん汚いから……」
「良いよ。だって、親父生きてるんだから、それで良いよ。親父とソウナが元気なら、それで良いんだよ。なのに、心配させて。俺、二人が帰ってこなかったら、死んじゃうじゃないかぁっ!」
ガルクはずっと我慢していた涙を抑えきれなくなって、大声で泣き出した。
「ガルク…」
バナジェスタは初めて聞いた彼の泣き声に、始めは両手をばたつかせていたが、延々とただ泣くだけの彼の背中に、そっと腕を回した。
「ごめんなガルク、父ちゃんもっと頑張るから。ガルクに安心して貰える位に、思いっきり頑張るから」
しゃくり上げる背中を何度も撫で、バナジェスタは繰り返しガルクに言い続ける。
本当の家族になる為に、本当の父親になる為に、ガルクが泣き止むまでずっと言い続けた。
八年前までエルクモの近衛兵団を指揮していたのがハリアリと、当時はまだタキオンと名乗っていたバナジェスタだった。
其処から遡る二年前、二人の前にロアラと言うエルクモでも権力者の娘が現れた。
バナジェスタは彼女の事を良い友人と語ったが、その実ハリアリとの鞘当ては在っただろう。
元々ハリアリもバナジェスタも特に名家と言われる血筋ではなく、地位を得る為には権力者の娘の誰かと婚姻を結ぶのが一番手っ取り早かった。
ロアラは代々摂政の家柄。
バナジェスタには権力欲は無かったが、ハリアリにはあった。彼女はまたとない獲物だったのだろう。無論それには誰も気付かず、男らしく振る舞い、また想いを真っ直ぐに示すハリアリにロアラは傾いていった。
まだハリアリの本性も知らず、良き同僚と良き友が結婚するのだと、バナジェスタは手放しで喜んだ。
それが二人の結婚の日の前日、バナジェスタには身に覚えのない罪状が、突然突き付けられた。否定するも即日捕らえられ、投獄されてしまった。
軍用金の横領と政治批判。――それがバナジェスタの捕らえられた理由だった。
作品名:刻の流狼第四部 カリスアル編【完】 作家名:へぐい