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刻の流狼第四部 カリスアル編【完】

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 バナジェスタに覆い被さる様に、上体を傾け突進するハリアリの腕が斜め上から勢いよく振り下ろされた。
 ハリアリの爪がバナジェスタの腕に突き刺さろうとした瞬間、バナジェスタの体は力を込めて地面を蹴り上げ、ハリアリの頭上まで跳ね上がった。
「ハリアリィィイイッ!!」
 体勢を立て直す暇もなかった傾いだハリアリの肩に飛びつき、バナジェスタは牙を彼の首に突き刺した。
「グガアアーーーーー」
 ミシミシと鈍い音を立て、バナジェスタの牙がハリアリの首へとめり込む。吹き出した血の量が、引き裂かれた動脈の存在を明確にした。
 ハリアリはバナジェスタの両脚に両手の爪を食い込ませ、渾身の力で振り払おうとするが、動く度に首に食い込む牙は深くなる。
「ガアアアアアッ!!」
 ブチブチと肉が破壊されていく音が響き、バナジェスタの銀色の体毛が血に染まっていくが、それは彼自身の血も含まれていた。
 ハリアリは一向に離れないバナジェスタに苛立ち、背中から崖にぶつかる。
 崖とハリアリの巨体に挟まれ、バナジェスタの鼻筋に浮かんだ皺が一層深く刻まれた。
「ソルティー!」
 二人の死闘から離れたソルティーに向かって、恒河沙が戦闘への参加をしようと大剣を握り締めて声を掛けるが、返事として首を横に振られた。
「どうしてだよ、このままじゃおっちゃん……」
「これは彼の戦いだ。私達が出来るのは、彼が誇りを賭けて精一杯戦える状況を作るだけだ」
 勿論これがただの賞金稼ぎと賞金首の戦いであるなら、また違う。しかし二人の会話の意味する思いを知れば知るほど、決着はバナジェスタ自身の手で成し遂げなくてはならないと思う。
 ソルティーは腕の中で泣き続けるソウナに目を向けた。
――まるで応援している様だな。
 崖に叩き付けられながらも必死に戦うバナジェスタに、ソルティーはソウナを向けた。
 ハリアリはソウナの実の父親なのかも知れないが、父親の姿を示しているのはバナジェスタ。
 大人になった時には覚えていないだろうが、それでも彼の子供としてどこかに感じ、残して欲しいと願いながら。
「ヴヴヴヴヴーーッ」
「グアッ!」
 何度となく頑丈な岩肌に叩き付けられるバナジェスタの口から、大量の血が噴き出す。
 ハリアリの爪は更に深く食い込み、バナジェスタの骨に達した。
「ヴヴヴヴーーーーーーッ!!」
 バナジェスタの体が震え、首が小刻みに振られる。
 顎を引く様に動かすと、ブチブチと不気味な音立てながら、首の肉が引き千切られていった。
「グワアアーーーーッ!!」
 ハリアリの絶叫と共に、バナジェスタは全身の力を込めて、首を大きく食い千切った。
 吐き出された血肉は地面に落ち、更にバナジェスタの口は剥き出しの頸骨に食らいつき、右の手が引き裂くように突き立てられる。
 頑丈だったハリアリの筋肉層さえ無くなれば、バナジェスタの牙を退かす術はない。首の至る所から吹き出す血に全身を染めながら、バナジェスタはハリアリを食い荒らした。
「ダギオーーーーーーーンッ!!」
 空に向かってハリアリは咆哮をあげた。
 ハリアリの体は大きく揺らぎ、己の流した血溜まりに膝を落とす。丁度首の半分を、地面に転がる肉片に変えた時、ハリアリの体は前に力無く倒れた。
「ーーーーーーッ!」
 バナジェスタは首に食い付いたままハリアリの上で、彼の鼓動が消えるのを待つ。
 鼓動のリズムを刻んでいた血の飛沫が徐々に間隔を緩め、量を減し、ただの流れへ変わっていった。
「終わったの?」
「恐らく…」
 動きを止めた二人の姿を見つめながら言葉を交わす。
 恒河沙が崖を滑り降り、ソルティーの横に立った。
「おっちゃんは?」
 そう恒河沙が聞いた時、バナジェスタが漸く首から顔を引き剥がした。
 尚も両脚にめり込んだままのハリアリの爪を抜き、肩で息を切らせながら巨体の上に立ち上がった。
「ロアラ……此奴を送るから、そっちでやり直させてくれ…」
 苦悶の形相のまま死んだ男を見下ろし、痛む腕を無理矢理動かして腰の鉈を手に取る。
「ハリアリ・ホーシェン、生死不問の首金300ソリド。……この首、頂戴する!!」
 バナジェスタは、ハリアリの残った首に鉈を大きく振り下ろした。





 ソルティー達とバナジェスタが街に戻る頃には、街は物々しい雰囲気に包まれていた。
 昨夜突如、手配中の凶悪犯ハリアリが現れ、賞金稼ぎ六名を惨殺し逃亡したと言う話は、瞬く間に街中に広まっていた。
 あの時、現場周辺に住んでいた者達は、家の中からその様子を見ていたのだ。
 見ていながら誰もあの時ソルティー達の前に姿を現さなかった。
 関わり合いになりたくないから。誰も殺されたくなかった。たったそれだけの話だ。

「悪いけど、ギルドに立ち寄らせて貰う」
 自分達を異様な目で見つめる街の者達も気にせずに、堂々と三人は街の真ん中を歩く。
 バナジェスタの姿はまだ獣化していて、体中に凝固した血が付着していた。ハリアリの攻撃で酷く傷付いた両脚の歩みは遅かったが、ソルティーの肩を借りることなく、自分の足で歩く事を選んだ。
 その彼の腕には、剥き出しのハリアリ・ホーシェンの首が掴まれている。
「これを出さない事には仕事にならないからな」
 バナジェスタがギルドに着くと、其処には街中の賞金稼ぎが集まった様な、屈強な男達の人垣が出来上がっていた。
「通してくれ」
 バナジェスタの静かな声に、男達は入り口への道を造る。バナジェスタの後にソルティー達も続き、周囲からの視線を受けた。
 バナジェスタは途中壁に貼られたハリアリの手配書を、血塗れの手で破り取ってから中に入った。
「親爺! ハリアリの首だっ!」
 バナジェスタは柵越しにハリアリの首と手配書を差し出す。
「ほう、今度はしっかりやってきたようだな」
 老人はバナジェスタとハリアリを交互に見比べ、口元に笑みを浮かべた。驚いている素振りも見せず、逆に嬉しそうとも感じられる笑みだった。
「待ってな、首金用意してやる」
 そう言って老人が立ち上がると、一斉に回りがざわめき始めた。
「一寸待ってくれ! こんな奴がハリアリを獲れる筈がない。どうせまた此奴等がしたに決まってる!」
「そうだっ! そんな血だって、後から幾らでも付けられるっ!!」
 男達が口々に不満を放ち、老人はそれを黙って聞いた。
 一通りの雑言が納まるのを見届けてから、老人はハリアリの首を指差し、男達に顔を向けた。
「この首を見ろ。これはこの男の噛み痕、蒼月のタキオンの牙の痕だ」
 老人の言葉に男達は静まり返り、そしてまた一斉にざわめきだした。
「おい、タキオンって……、あのタキオンか?」
「他に居る筈がないだろ!」
「蒼月のタキオン。たった二年で首金15000ソリドも稼いだ賞金稼ぎ。当時中央の方じゃ、手配書が三日張られる事が無いって噂も出た位で……」
「そうそう、五年前突然居なくなったって。俺も憧れた銀狼……」
「そうだよ……。輝く銀色の体に、深く静かな紺色の瞳。己の牙だけを使う、誇り在る賞金稼ぎ……」
 全員が一歩退き、バナジェスタに集まる視線は意味を変えた。