刻の流狼第四部 カリスアル編【完】
「やったぁ〜これで借金が返せる〜〜」
震えながら両手で袋を受け取り、感動した声を上げる。
それを見届けたソルティーはこれ以上の関わり合いを避ける様に、何も言わずに恒河沙を連れて建物を出た。
その二人の姿を追う様に鋭い視線が移動する。
――このまま宿に入らずに街を出た方が良いかも知れないな。
「恒河沙、疲れたか?」
「ん? ううん。でも腹減った」
「そうか…二人と合流したら食べに行こうか」
その言葉に恒河沙は浮かない顔をした。
「どうした?」
「あのなぁ、ここの飯、絶対不味い。何処からも美味しい匂いがしないんだ」
顔を歪ませて悲痛な声を出す恒河沙に、ソルティーは胸を痛めた。恒河沙が不味いと言い切るのなら、それは本当に最悪に不味いのだろう。
普通なら味気ないと言われる保存食でさえも、恒河沙は美味しいと言うのだ、その彼が自信を持って不味いなら、不味い以上の壮絶な味かも知れない。
「場所を移動すれば、他の店が有るかも知れないから」
ソルティーは食事の匂いにだけは異常な程に敏感な鼻に、果たして通じるかどうか謎の慰めを口にするが、流石に恒河沙の顔は晴れなかった。
「そう言う事なら不肖このバナジェスタさんが、家族の恩人である貴方様達に、美味しい手料理をご馳走しましょう!」
「………」
背後からの突然の大声に、ソルティーは完全に無視を決め込んだ。
「そんな! あんた達にお礼がしたいんだ。あんたがああ言ってくれなかったら、俺達ほんとに首括ってた!」
バナジェスタはまたソルティー達の行く手を遮る様に立ち塞がると、切々とした気持ちを言葉に乗せた。
「この街の料理は食べれたもんじゃないぜ。ガルクの手料理はほんとに美味しいから! 確かに俺は嘘は多いが、それだけは本当だ」
胸を張って己の虚偽を認めるバナジェスタに、ソルティーは頭を痛めたが、彼の先刻とは微妙に違う切実さに表情を堅くした。
バナジェスタは先刻からずっと、ソルティーの後ろに気配を向けていた。
「お願いだよ! 俺の気持ちを受け取ってくれ!! 恩返しもせずに旅立てせてしまったら、俺はガルクに叱られてしまう!!」
大袈裟に訴えるバナジェスタは、恒河沙が蹴りを繰り出す前にソルティーに抱き付いた。
「あんた達を襲うつもりだ。明日抜け道に案内する」
バナジェスタはソルティーの首を片腕で固定し、そう小さく呟いた。
「だぁあああっ!! 離れろ馬鹿野郎ぁっ!!」
「うがぁあっ?!」
恒河沙の渾身の蹴りが炸裂し、バナジェスタの体はまた地面に転がった。
「お願いだよぉ〜〜、このまま引き下がったらほんとに俺、情けない男になって、父ちゃんとしてガルクとソウナに馬鹿にされてしまうよぉ〜〜」
地面を這いずる様にソルティーの脚に縋り付く。
「お願いだぁ〜〜、俺に父親としての面子を保たせてくれぇ〜〜」
「ああっもう、うっとおしいから止めてくれっ! 判ったからっ、食べさせて貰うから、離れてくれっ!」
まったく無関係の住人達にも、白い目で見られる事に耐えきれず、ソルティーはしがみついたバナジェスタを振り解きながら根負けした。
――本当に何者なんだ……。
抱き付かれた瞬間、確かにソルティーの体は、条件反射で迫ってきた腕から逃れる動きをとった。しかし簡単に掴まり、更に首を固定した力はびくともしなかった。
とても恒河沙の蹴り一つで倒れる男には見えない。
「ありがとう〜〜、流石俺達家族の恩人だぁ」
情けなくヨロヨロと立ち上がるバナジェスタは、ソルティーの視線に気付く気配も見せなかった。
何処までが本気で何処からが演技なのか、ある意味須庚以上に境目を見せない彼に、興味が湧くのは仕方がない。
「さあ、俺の家はこの先なんだ」
「……悪いが連れと待ち合わせをして居る」
「連れ? ああ、あの時居た二人か。判った、その人達も合わせてご馳走する! なになに遠慮はしないでくれ。借金返済してもまだ金は残るんだ。……多分、残るはずだと思う! 四人位立派に招待できるさ」
バナジェスタは自分の胸を威勢良く叩き、その後咽せた。
「で、何処に居るんだ? その二人は」
「……向こうだ」
「おっし、行こう!」
何故か先頭を切って歩くバナジェスタの後ろ姿を見ながら、恒河沙はソルティーを見上げ、彼が頷くと同時に歩き出した。
その三人の後ろでは、先刻から数人の男達が顔を突き合わせて舌打ちをしていた。
男達の中には、先程仕事仲間の前で無様な姿を晒してしまった髭面の男も居た。
――どうやら本当らしいな。この男が仲間でなければ良いが……。
態と道化を演じる真意が判らない事には、彼の言葉総てを信じる事は出来ない。
ソルティーが男の話に乗ったのは、どちらの道を選んだとしてもバナジェスタが仲間であるなら、待っている結果に大差が無いからだ。
「遅かったじゃない、どうかし……。この人誰?」
先に買い物を済ませていた須臾とハーパーは、ソルティーに着いてきた陽気な変な男に視線を投げかけた。
「どうも、俺はバナジェスタって言う、あのほらコマコラ街道で野盗退治の時にその〜色々と〜ありました狼男です」
丁寧に自分の頭に手を当てながらバナジェスタは深々と礼をした。
「ああー、あのく……あ、そう」
頭を下げるバナジェスタの後ろでソルティーが口に指を当て、須臾の口を閉ざした。
「で、その狼男さんが、どうしてソルティーと居る訳?」
「それはもう運命的な出会いと言いますか、あの時にもご協力戴いて、今回もこの方達に口添えを戴いたお陰で、俺達一家三人路頭に迷う事無く、こうして生きる糧を手に入れたんですよ。だから、そんな俺達家族の心ばかりのお礼にと、本日の食事は俺が面倒を見させて戴こうと思いまして、こうしてお出迎えに上がったと言う訳なんですよ。まあ自分で言うのも何だけど、俺の息子のガルクって言うのが、そりゃあもう料理の腕は子供ながらに超一流! それを恩人様に食べて貰うんですよ、これ以上に嬉しい事はないじゃありませんかぁ」
バナジェスタは朗々と歌い上げる様に、長々と経緯と付け足しを語り、須臾達を呆れさせた。
ハーパーに至っては、無我の境地に達したかのような、遠い視線をどこかに向けるほどだ。
先に須庚が我を取り戻して見せたが、やはり口を突くのはソルティーの運の無さだ。
「ソルティー、忘れたふりするんじゃなかったの?」
須臾は話が自分の子供の自慢に移り変わっていくバナジェスタを無視して、ソルティーに近付くと彼に聞こえるだけの小さな声を出した。
言われると思っていた言われたくない台詞に、ソルティーはスッと視線を逸らし、
「こっちが忘れても、向こうが忘れてくれなかっただけだ。何事にも誤算は付き物だ」
「誤算だらけの人生のくせに、今更何言ってんだか」
ソルティーはその心臓を一突きする言葉に、何も言えなくなった。
どうせ何か面倒事に巻き込まれてきたのはソルティーの表情と、その後ろから殺気を含む視線を送る男達で理解出来た。
――もしかするとソルティーが居たから国が滅びたのかもね。
間違っても言ってはならない冗談を浮かばせながら、彼の運の無さに感心もする。
作品名:刻の流狼第四部 カリスアル編【完】 作家名:へぐい