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刻の流狼第四部 カリスアル編【完】

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 結局は瑞姫が笑ってくれるなら、どんな事でもやってしまう。自分は馬鹿だと心底思いながらも、慧獅は瑞姫のお願いにはとことん弱かった。
 そして、慧獅の言葉に喜んで口を滑らせた瑞姫に、慧獅も晃司も酷い頭痛を抱え込む羽目に陥った。




 ソルティーと須臾がビーツに辿り着く寸前に、ハーパーに連れられた恒河沙に出迎えられた。
「大丈夫だった? お腹空いてない? 俺、すっごく美味しい店見付けたんだ!」
 恒河沙はそう言いながら二人の腕を引っ張り、街へ向かう。
 ソルティーと須臾は互いの顔を見ると、一斉に吹き出した。
 此処へ来る寸前に恒河沙が何を言うのか賭をしていた。結局二人とも同じ事しか言わずに、賭は中止した。
「何だよ」
「いやぁ、お腹空いたなぁって。ね、ソルティー?」
「ああ。早く恒河沙が見付けた店に行きたいよ。お前の舌は、本当に頼りになるから」
 示し合わせる二人に、恒河沙は上機嫌に頷いた。
 予定通り七日の行程で済んだが、その途中に一度、矢張り敵は現れた。ソルティーが絶えず気にしていたのは、恒河沙の元へも現れていないかだった。
 ソルティーが腕を引かれながら後ろのハーパーを振り返ると、彼の首は横に振られ、安堵をして前に向き直った。

 ビーツでの滞在は五日に決めた。
 須臾の疲れを充分に取り去るのと、長旅では消耗品となる靴の仕立てに、それだけ必要だったのが主な理由だ。
 特にツォレンの地形上、岩場に踵を痛める事が多く、立ち寄る先々で靴の修理をしてきたが、今度は新しく造るまでになってしまった。
 仕立てに三日、手直しに一日。仕方のない事だ。
 しかし、
「……どういうつもりなんだ」
 ソルティーは須臾によって閉じられた扉を見つめ、溜息を漏らした。
 この部屋は須臾と恒河沙用に借りた宿の一室で、ソルティーとハーパーの部屋は階下にある。
 話があるからと須臾に無理矢理引きずられる様に連れてこられ、押し込まれた結果がこれだった。

 つい先刻まで二人は宿の一階に在った酒場で飲み、どうでも良い事と、これからの向かうパクージェの話をしていただけだ。
 夜も更けて周りの客も帰り始めた事から、それぞれの部屋に帰る段階で、須臾が強引にソルティーを自分の部屋まで連れてきた。
「あんたにやる。責任持って世話しろ」
 須臾の最後の言葉はこうだった。
 冗談を言うなとソルティーが口を開く前に、蹴飛ばされる様に部屋の中に突っ込まれていた。
 呆然自失で扉を見つめるソルティーの後ろでは、恒河沙が矢張り不思議そうな顔をして、彼の背中を見つめていた。
「どうしたんだ?」
 ソルティーのシャツを後ろから引っ張り、何も知らない恒河沙は首を傾げる。
 まさか勝手に自分の事を受け渡しされたなんて思う筈がない。
「どうしたって……」
――それは私が聞きたい。
 須臾にどんな心境の変化が有ったのかは判らないが、先程の彼の口振りではソルティーが自分の部屋に戻った所で、簡単には入れて貰えそうにない。
――かといって他に部屋を借りては……。
 ソルティーは酷くなる一方の焦燥を隠して後ろを向いた。
「どうやら須臾と私の部屋が交代するらしい」
「え……えっと、んじゃぁ、俺も下に…」
 恒河沙は少し残念そうに言うと、部屋の片隅に置かれた荷物に向かった。
「そうじゃない。私とお前が部屋を共にするんだよ。須臾とハーパーが同室」
 出来る限り理性を働かせ、髪を掻き上げながら言葉にする。
「それとも須臾との方が良い?」
「思いっきり嬉しい!」
 恒河沙は言った言葉をそのまま表情に浮かべて、勢い込んでソルティーに体当たりをした。
 彼の腰に腕を回してギュッと抱き付く力は、かなり強い。
「ずっと?」
「さあ、でも多分そうだと思うが……」
「やった!」
 胸に頭を擦り付け喜ぶ恒河沙に、ソルティーは出そうになった溜息をぐっと堪える。
 未だに一人で眠れない恒河沙なのである。今まで須臾が居ない時だけ代わりになっていたが、大抵その場にはハーパーかミルナリスが居た。しかし今回はそうじゃない。完全に二人きりなのだ。しかもとうとう須臾の許可が下りてしまった状態で。
 まるで須臾に試されている気分だ。もしくは、単なる虐めか。
――責任か……、持っている様に見えるか?
 成る可く持とうとしているだけの物に、期待する程自分に対して自信を持っていない。
「ソルティーと一緒、一緒、一緒ぉ〜〜〜」
 ソルティーの自制心の葛藤など知らない恒河沙は、更にしがみつく腕に力を入れた。
 昔はそんな姿が子犬がじゃれつく位にしか見えなかったが、今ではかなり違う。かなり、いや、最高に可愛く見えてしまう自分に目眩を感じた。
「ソルティ〜〜一緒に寝よぉ〜〜あっ! お風呂! お風呂入る〜〜? 入ろ〜〜一緒に入ろ〜〜。それで一緒にベッド〜〜〜〜」
「………そ…うだな…」
 恒河沙の言葉の意味は判っていながら、男の性にソルティーは倒れる寸前だ。
――せめて……せめて……。
 性別や年齢など無理やり変換しようとしてみても、子供の思考を持つ男の子を相手にしてしまったのでは、どれもこれも役に立ちそうにない。
――酒の所為にして据え膳を……いや、駄目だ駄目だ!!
「じゃあ……とにかく風呂にするか……」
「うん〜〜〜〜」
 ソルティーは、徐々に不謹慎な方向へと進んでいく自分の思考を、無理矢理抑え込むと、なおも頭をぐりぐりと擦り付けてくる恒河沙を引き離して、彼を浴室へと押していった。
 自分がどれだけ我慢強いのか、自問自答を繰り返しながら。



 ソルティーと同様に、須臾の行動に面食らったのはハーパーも同じだ。
 口笛を吹きながら部屋に入ってきた須臾があまりにも楽しそうで、嫌な予感から直ぐには話し掛けられなかった。
「本日より同室になりました須臾君です。よろしくぅ」
 須臾の口元に指を宛いしなを作る挨拶に、余計に嫌な予感は増した。
「如何なる了見だ」
「了見? まんま言葉通り。ソルティーを恒河沙の所に放り込んできた、以上です」
 ハーパーの凄みなど須臾には通用しない。彼がどんな時にも暴力を振るわない事を、十二分に知っているからだ。
 だからハーパーが自分の事をどんな風に思っていても、自分に危害が加えられないのなら気にしない。
「主が承知しての事か。……いや、聞くには及ばぬ、お主の独断に他ならぬ」
 ハーパーは須臾と言う人物を、恒河沙以上に理解出来ない。
 普段は軽く飄々とし、勝手な行動を恒河沙以上にする。なのに総てに目を光らせ、慎重さと巧妙さを持ち合わす。周囲の出来事に首を突っ込む割には、何時も客観的にしか見ようとしない。
 的確な判断と不誠実さが伺える彼に、良い意味も悪い意味も含め、掴み所が無い感じがした。
 その須臾は、ハーパーの言葉など何処吹く風と、勝手に自分の寝場所の確認に向かい、ベッドに微酔いの体を倒れ込ませた。
 ハーパーは微かに首を横に振り、厳しい顔付きで立ち上がった。
「何処に行くつもりさ?」
 須庚はゆったりと横に寝そべったまま、部屋を出ようとするハーパーに顔だけを向ける。
「主を呼び戻す。お主も部屋に戻るが良かろう」
「そんな野暮な事は止めたら? ……行かせないけど」