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刻の流狼第四部 カリスアル編【完】

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 須臾が居るなら大丈夫だと判っているし、ソルティーが大丈夫だと言うなら大丈夫なんだと知っている。でも、自分が傍に居ないのが嫌だった。
 その自分の我が儘をハーパーに見透かされ、言葉を繋ごうにも出来なかった。
「主が待てと言えば待つのだ。主は約束を違える事はせぬ。お主はそれを信じて居れば良い」
 信じると一度決めれば、ハーパーは死ぬまでそれを貫き通す。
 それなのに人は何時でも不安を抱え込む。有る筈のない不安まで、自分で創り出す事も屡々だ。
 理解出来ない複雑で未熟な精神を持つからこその不安が、ハーパーにはどうしても不可解だった。
「主はお主に言葉を違えたか?」
 恒河沙は首を横に振った。
「ならばこの度も信じて待つのだ」
「でも……、みんなそう言うんだよ。仕事に出てく時、おっちゃん達みんな、直ぐに仕事終わらせて帰って来るって。みんな笑って、手振って行くんだ。なのに、剣だけ帰って来るんだ。みんな簡単な、楽な仕事って言って、冷たくなって帰って来るんだ」
 帰ってくる者、帰らなかった者。その分かれ道は、ほんの些細な出来事からだ。
 自分達にはまだ早いと言われた仕事をこなす傭兵達を、恒河沙は本気で尊敬していた。だからその男達が帰ってこない事は、彼の心の傷になっていた。
「待つだけじゃ嫌だ。近くに居ないと何があったか判らないじゃないか。たった二日だけの仕事だって、帰ってこなかったおっちゃんだって居たんだ。すっごく強かったおっちゃんだったんだ」
 どれだけ信じても、何時何が起きるかは予測出来ない。
 恒河沙はハーパーを見上げて、自分の不安を初めて言葉にした。
「お主……」
「ソルティーの事信じてるけど、強いけど、でも俺、待ってるの嫌だ」
 待つのは女の仕事だと誰かが言った。なら戦う力を持つ自分が、指を銜えて待つのは間違っている。
 恒河沙なりの真剣な言葉にハーパーは迷った。
 真実を知らない彼に、ソルティーが死なない存在だとは口に出来ない。ソルティーがそれを望んでいない理由を、重々承知している。
「それでも我等は待たねばならぬ。それが、主が此処へ訪れる意義を持つ事でもある」
「意義?」
「うむ。お主がこの地で待つならば、主は何としてもこの地を目指す。それは主に決して軽くはない意味を持たすもの。主はお主がこの地で待つ事を信じて居るのだ、その気持ちにお主は報わねばならぬ」
 ハーパーはある意味すり替えの言葉を使い、恒河沙の気持ちからソルティーの気持ちへと話を変えた。
「主が望んで居られるのは、お主が元気に出迎える事。そうではないだろうか。少なくとも我はそう思う」
 自信を持って語られたハーパーの言葉に、何故か恒河沙は一気に首から耳まで真っ赤になった。
「……どうしたのだ?」
「い、いや、何でもない!」
 慌てて両手を振り回し、思い出した様に地面に転がったままの食料を拾い始める。
 ハーパーの最後の言葉が、急にソルティーの言葉に聞こえた。『元気な所が好きだよ』と耳元で囁かれた様な気がして、思いっきり恥ずかしくなったのだ。
――あう〜〜、俺ってなんか変だよぉ〜〜〜。
 入れ直した紙袋を両腕で抱き締め、どうしても落ち着かない体を抱えてしまうのは、未だに本当の意味で、ソルティーが体の反応を教えてくれないからだった。





「はぁ〜〜、とうとう此処まで来ちゃったかぁ」
 気力が無くなって力の抜けた体を、テーブルに倒れ込ませた瑞姫が呻く。
 彼女の前には晃司と慧獅が、同じテーブルに向かって椅子に腰掛けていた。
「選んだのは彼だ。俺達はそれを見守るしか出来ない」
「そんなの全然分かってるって」
 テーブルに頬をひっつけたまま姿で、瑞姫は当たり前の事を言う慧獅に手を振った。
「問題なのは、ほんとにあたし達が勝てるかって事だよぉ。ソルティーが無事に入れたとしてもよ、あたし達が勝てなかったらそれこそ大失敗じゃない」
 肘から上を天井に向けて、人差し指をきびきびと揺らす。
 瑞姫の言葉には流石に慧獅も表情を堅くした。
 過去に二度攻防を繰り広げ、どちらもギリギリの所で踏み止まりはしたが、それは勝利とは程遠い結果しか手に出来なかった。
 いいや、最初の封印は、結果として最悪な事態を引き起こしてしまった。シルヴァステルを見くびった事など一度としてないが、まさかこちらの手を逆に奪われ、手足のように使われるとは思っていなかった。
 最初の封印さえ無ければリーリアンは消えず、今のように散発して世界中に影響を及ぼされる事もなかっただろう。
 しかしその当時に瑞姫達は居らず、彼女達は真実過去の尻拭いをさせられているとも言える。
「三度目の正直なの。二度ある事は三度在るじゃ駄目なの。完全にぶっ飛ばさないとなんないの」
“そうね……”
“しかし我等の力が通じるかが問題”
“これまでの二度の封印で、此方の影響力は薄れている”
「しかしこのままでは、遅かれ早かれ彼奴はこの世界を潰す」
 慧獅の言葉に、口々に意見を述べ始めた声は沈黙に変わった。
「ああもう、晃司“ジュース”頂戴“ジュース”。飲まないとやってらんないわ」
「……お前はどこぞの酔っぱらいか」
 呆れながらも晃司は右手に甘味水の入ったグラスを出すと、瑞姫の前に置いた。
 今三人の居る場所は晃司が創り出した部屋で、言い換えるなら彼がこの部屋の主催者。此処では瑞姫や慧獅が自由に物を用意出来ない。
 対等でありながら同時に対立する力は、互いの干渉世界では効力を成さない。三人の仲が幾ら良くても、あくまでも瑞姫達自身の力は彼女達の力ではなく、彼女達に宿る者達の力だと言う事だ。
「どちらにしろ、このまま抑え込むのは長くは保たない。やり直しの機会は考えずに、当たって砕けよう」
 珍しく理論的ではないその場任せ的な慧獅の言葉が、今の現状を物語っている。
 瑞姫達は一度失敗している。変えられた結界を前に為す術もなく、リーリアンを封じたのは、彼女達だ。
 これからシルヴァステルに対峙する恐怖よりも、繰り返すのではないかと言う恐れが何時も心にあった。
「砕け散りたくないぃぃ〜〜」
 本当に酔っぱらった様に瑞姫はテーブルの上でのたうつ。
 その姿に晃司達は顔を見合わせた。
 こんな瑞姫は見た事がない。用があるからと呼び寄せられたのだが、呼び寄せた本人の話は、今まで何度も話をした事だ。自分で結論を持った筈の彼女が、ただくだを巻くだけで二人を呼ぶ訳がない。
「なあ、いい加減話があるんなら言えよ」
 瑞姫を心配して晃司が話を切り出すと、彼女は更にへべれけのふりをする。
「瑞姫」
「あのねぇ〜、あるんだけどぉ〜、言うと怒るからぁ〜〜どうしようかなぁと……」
 瑞姫は恨めしそうな瞳で慧獅を見つめ、彼の答えを待った。
 こんな事を言う瑞姫の話は、必ず怒られるのを前提に話され、確実に慧獅を怒らせる。
「……また、飛んでもない事を考えたんだな」
「ほらぁ〜怒るぅ〜〜」
 下手な演技で泣き真似をする彼女に、慧獅はこめかみを引きつらせ、晃司は片手で顔を覆った。
 出来れば何も聞きたくない。聞けば必ず後悔する。
 後悔すると判っていながら慧獅は溜息を吐くのだ。
「判った、怒らないから言ってみろ」