小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

刻の流狼第四部 カリスアル編【完】

INDEX|70ページ/164ページ|

次のページ前のページ
 

episode.35


 世界の秩序は一つではない。
 人の造り出した秩序。自然が育んできた秩序。そして、世界が創り出した秩序。
 理の力は、世界中に溢れる様々な秩序を、一つの構成物として成り立たせる秩序だと言える。
 行使と再生を旨とする循環が理の力であり、誰もが識る源でもある。
 しかしその源が枯渇する事を、誰も思い浮かべない。循環する力は、永久不変だと信じている。
 己の足下を見る事は出来るが、その下を流れる物を容易く見る事は出来ない。常に人の視界は閉ざされているのだから。


 * * * *


 紫翠大陸の南東部に在る臥譲は、あまり豊かとはお世辞にも言えない小さな村だ。
 その村の一番南に建てられている家は、村の状況を見れば豊かな家だと言える。
 その家の扉の前に、水精に連れられてリタが現れたのは、彼女が須臾と別れてからほんの一瞬後の事だった。
“では私はこれで”
「あ、ありがとう」
 頭を下げるリタに向かって水精は小さく頷き、そして消えた。
 送る事だけが役目なのだから仕方ない。しかし家の前で置き去りにされた形となったリタは、暫く迷う事になった。
 目の前にある扉は、年季の入った古さを漂わせている。大きな街で人の群れに隠れるように過ごしていた時間が長かったからか、知らない大陸の村以上に、寂れた村や家に馴染みがない。
 それにどうしてか威圧感を感じてしまう。そんな扉の前で、リタは暫く身動きもせずに扉を眺めるだけだったが、一度大きく息を吸ってから気力を振り絞る様に扉を叩いた。
 しかし中からの返事はなく、もう一度先刻よりも力を込めて叩く。
「あの、誰か居ませんか」
 扉の横にある窓からは、微かだが明かりが見えている。僅かだか人の気配もある。
――耳が遠いのかしら?
 須臾の話では、彼の祖母は随分と歳をとった女性らしい。聞こえない可能性は高く、叩く力が弱いのだと思って、今度は力一杯叩き、呼び掛ける声も大きくした。
「すいません、いらっしゃいますよね?」
『うるさいんだよ! どこどこ叩くんじゃない! 折角呼んだ良い子が逃げるじゃないか!』
 扉の向こう側から突然嗄れた声に怒鳴られ、何を言っているのか判らなくても、リタの体は自然と後ずさっていた。
 覇気のありすぎる声に、威圧感は更に高まった。
 声は確かに老婆を思わせるが、とても中に居るのがそうだとは思えず、また声が聞こえた時には身構えさえしてしまった。
『誰だい、訳の判らない声を出すのは』
 音を立てて乱暴に開かれた扉の奥から現れたのは、至極不機嫌そうな女性だった。
 しかしそれ程年老いている風には見えない。五十代だろうか。背筋もしっかりと伸ばされ、顔付きは威圧感そのままに随分と厳しい印象が持てる。
 突然の訪問者であるリタを上から下まで、顔を動かして眺める彼女は、髪の色だけではなく、涼しげとも冷たそうともとれる顔もどことなく須臾に似ていた。
『あんた、人じゃないね。どう言った理由であたしに何の用だ』
 須臾の祖母、僧祗(そうぎ)は、一見でリタの本性を見破り、怯える彼女を更に威嚇する様に腕を組んで睨み付ける。
『さっさと用件を言いなっ』
 リタは彼女の言葉が判らず暫く呆然としてから、思い出した様に須臾から預かっていた手紙を、恐る恐る差し出した。
『なんだい。こんな時間に配達かい。しかも……』
 僧祗は奪う様にリタから手紙を受け取り、その封筒に書かれた文字に目を奪われた。
 リタの前で彼女の顔が見る間に赤く染まり、肩が小刻みに震えた。
――どう見ても怒ってる……。
 須臾と彼女の確執は、彼の口から聞いている。だから余計に恐い。
 彼の両親が姉と同じ病で亡くなってから、彼はこの家に引き取られたらしいが、家を出るまでの間は一度も家族として接した記憶は無かった。
 あくまでも師とその弟子の関係を貫き、優しさの欠片もない家での唯一の癒しは、まだ幼かった恒河沙だけだったと言う。
 心底嫌いだったと豪語する僧祗だったが、それでも彼には彼女しかリタを任せられる者は居なかった。
 とは言えそんな事情は、僧祗には全く関係はなく、何より寝耳に水。
 彼女は渋い表情で手紙を広げた瞬間、開かれた扉を思いっきり殴った。
 書かれていた内容は簡単だった。
『おい婆、この子は僕の嫁さんだ。僕が帰るまで大事に預かれ』
 とても頼んでいる内容でなければ、おまけに舌を出した須臾の自画像入りだ。
 生きるか死ぬかの大喧嘩の末に、家を半分崩壊させて出ていった人物の頼みがこれでは、僧祗ほどでなくとも怒るだろう。
『何考えてんだあの放蕩孫はっ!』
 また僧祗の震える拳が扉を殴り、リタの目の前でそこに大穴が空いた。
 大凡八年ぶりの便りがこれで、しかも人ではないお嫁さんだけ送られてくれば、扉の一つや二つは壊したくもなる。
 それだけではとても足りない怒りから、手紙を渾身の力で細かく千切り捨て、思いっきり足で踏みまくる僧祗の姿に、リタは何を言えばいいのか判らなくなった。
『あんたっ! 今須臾は何処に居るんだいっ!』
 殺気立った瞳で睨まれても、リタには何を言っているのか判らない。
「あの、すいません。私、無理を言って……」
 兎に角謝るのが良いと決断して、頭を下げる。
 何度も頭を下げるリタの姿に、僧祗は頭を掻いた。
『全く世話が焼ける。おいで言の葉、あたしとこの子を繋いでおくれ』
 契約の呪紋を必要としないのは須臾と同じで、僧祗が右手を胸の辺りに差し出すと、空から掌に淡い光が降り立った。
 その手を僧祗はリタの肩に手を掛けて、もう一度語りかけた。
『これなら判るかい?』
「え、ええ。判ります」
 耳からではなく触れた場所から届く言葉にリタが頷くと、僧祗は笑みを見せた。
 皮肉っぽいその笑みは、矢張り須臾によく似ていた。
 言の葉の精霊が届けたのは二人の言葉だけではなく、言葉に込められた思いも含ませている。リタの心配していた拒絶は彼女からは一切無く、表情や口調とは反対の広い心だけが感じられた。
『あの馬鹿孫は、今も元気で生きているんだね?』
「はい。今はリグスに居ます。私を命懸けで救ってくれて、私をここに……」
『まあ、話は中で聞いてやるよ。なんだか長い話になりそうだけど』
 諦めにも似た溜息を吐きつつリタの背中を僧祗は押した。
 触れ合った場所から伝わるのは、孫の無事を喜ぶ気持ちそれだけだった。





 エニを出発してからのソルティー達は、思っていたよりも早くに、些かの問題に直面していた。
 ツォレンはエニの街の造りからも判るが、隆起の激しい地形を抱いている。
 標高の高い山は無いが、平地と谷の連続する地域が北にある。
「……橋、無いね」
 地図では確かにあった筈の橋が落ちていた。
 それを目の前にして、恒河沙がぽつりと呟く。
「なんか嫌な予感がするのは、僕だけでしょうか?」
 渓谷を流れる川を見下ろし須臾が言う。
 災禍が起こらない限り、橋が落ちる事はまず考えられない。勿論、災禍が起きればツォレンだけではなく、周囲の国丸ごと一瞬で荒らされる筈だ。
 考えられるのは橋の耐久年数だが、崖の両端にぶら下がった橋の残骸を見れば、そうとも思えない。
「僕の予感が正しいと思う人、手を挙げて」