刻の流狼第四部 カリスアル編【完】
「そうだな、普通は出来ない。しかし、それは人の持つ常識でしかない。例えば下級の水の精霊が生み出した滴を、オレアディスが大河に変えるのは不可能だと思うか?」
「それって……」
「そう言う事だ。相手は普通の常識が通用しない。此方側を拒絶する為の結界とでも言うか、そう言う質の物に封印を変えられ、逆にそれを利用された」
ソルティーの脳裏に灰色に変えられていったリーリアンが過ぎる。
一つ所にシルヴァステルが出現していたなら、国の全土を覆い尽くす結界は現れなかっただろう。
「二度目の封印はそれもろともに、より強力な封印が施された。それが最近…と言っても須臾が生まれるよりも前だが、それさえも食い荒らされてきた。だから私と言う鍵が必要になった」
「………」
「拒絶を受ける者が封印を通り抜ける事は出来ない。だから私がその役割となった。一度この世界と言う枠から出た存在だが、本来私はリーリアンの中で死ぬ筈だった。その理が今でも残っている。それに私個人の私怨も在った。彼の者達には私以上に鍵となるのに打って付けの物は、無かっただろうな。一度死んでいるし」
ソルティーの話を須臾は「どうして」と思いながら聞いていた。
どうしてそんなに簡単に自分を死者だと言い放てるのか。どうして一人で背負い込む決断が出来たのか。
自分では絶対に出来ない。
これからの世界の事よりも、今の自分の方が可愛い。誰が傷付いても、自分と自分の好きな人さえ幸せなら、他はどうでも良いと言い張れる自信がある。
彼にも自分と同じ気持ちが必ず有る筈なのに、それを大人の潔さだけで抑え込んで、しかしそれは褒められない潔さだった。
「じゃあさあ、恒河沙はどうするんだよ」
須臾の一言にソルティーは表情を曇らせた。
「どうせソルティーの事だから、そのリーリアンって国に着く前に、僕達を帰すつもりだろうけど、絶対に彼奴は納得しない。何が何でもあんたに着いていく」
「……判っている。しかし、駄目だよ。私一人しかあの場所に入る事が出来ない。それが鍵である私に科せられた契約だ」
そう思ってもソルティーには不安があった。
恒河沙なら入れるのではないかと感じるのは、阿河沙が其処に居ると言う事だ。
今の所は瑞姫達の処置の早さから、シルヴァステルは現れていない。ならば阿河沙自身も、確実に彼の地へ赴いたと考えるのが妥当だろう。
根本的には冥神の取った方法も、瑞姫達とは大差ない。彼女達の後ろに控える者達にとっての、この世界の体はすでに瑞姫達が成っている。だからこそソルティーが必要になったが、冥神はそうではない。
おそらく冥神は、彼の地に赴く為だけに鍵となる阿河沙を作り出し、計画通りとはならなかったが、鍵としての目的は果たされている。ならば恒河沙にも、半分はその可能性が残っていると言えるだろう。
希望が残されているならば、やはりこの事においてもオレアディスの力が、どこまで冥神の謀を抑え込めるかだったが。
「二人が着いてきても、入れない。どうする事も出来ない」
そうなって欲しいと心から願う。
淡々と見もしない現実を語るソルティーに、須臾は奥歯を噛み締めて立ち上がった。
「だったらっ!」
ソルティーは急な須臾の行動に驚いて彼を見上げる。
「だったら、入れる方法を探せっ!」
「須臾……」
「どんな方法でも良いから、どんな事をしてでも探せよっ! どうして試してもないのに最初から投げ出すんだよっ、もっともっと、最後まで考えろよ。あんたを鍵にした奴等に頼むなりしてでも、僕達も其処に連れて行けよっ!」
須臾は肩で息をしながら手を振り上げて大声で頼んだ。
ソルティーの話総てを矢張り信じられなくても、それでもそれが現実となるのなら、連れていって欲しい。
「第一彼奴はどうするんだよ。途中で別れて、「はい、ソルティーは死んじゃいました」で納得するとでも思ってるのかよっ! 彼奴の為を思うなら、彼奴の目の前で死ねよっ! 彼奴にあんたが生きてるのか死んでるのか判らないままで、終わらせようとするなよっ!!」
「………」
「それに、僕をどう思ってるんだよ。友達になろうって言ったじゃないか。友達なら最後まで付き合わせろよ! この僕を友達にしておいて、その僕の前で簡単に諦めるなっ!!」
多分、自分なら決して諦めたりしない。
ソルティーの様に、自分一人だけの犠牲で終わらせるのは、関係の無い者達から見れば格好いい姿かも知れない。それこそ勇者か英雄だ。しかし、それはあまりにも可哀想で、無様にも見える。
一人で行って死ぬのなら、みんなで行ってどんなに惨めでも、生きていた方が良いに決まっている。死ぬなら死ぬで、みんなで力の限り戦って死ぬ方が良い。
それでもこんな単純な望みが不可能なら、
「あんたが、ソルティー・グルーナが一生懸命にやって死ぬ姿を、僕達に見せろっ!!」
これを願った。
何をしても結果が同じなら、自分の友達はこれだけ立派だったんだと、誰かに話せる事実を見届けたかった。
判って欲しいのではなく、何としても判らせてやるとする、感情の込められた須臾の言葉に、ソルティーはうっすらと微笑みを浮かべた。
「やっぱり須臾に話して良かった」
心の底から嬉しいと感じた。
何時でも、どんな時でも、須臾も恒河沙も期待していた以上の言葉を、惜しげもなく与えてくれるのだ。
「ソルティー……こんな時に笑うなよ、僕は真剣なんだからな」
「ああ、判ってる。だからこそ、本当に嬉しいんだ。――本当はずっと、誰かに聞いて欲しかった。どんなに堅く決意をしても、事実として自分が死んでいると知っていても、何処かで生きている私が居た。今此処に存在する意味を、誰かに知っていて欲しかったんだ」
ソルティーは胸に手を当てながら、これまで言えずにいた言葉を吐き出していった。
「死ぬのは恐いよ。誰にも気付かれずに、また私は死ぬのかと思うと、恐くて仕方がない。私は確かに此処に居るのに、結局は何も残せずに消えるのかと思っていた」
「何言ってんだよ。今までだって、これからだって、沢山いろんな事をソルティーは残してきていただろ?」
杜牧や擣巓、アストア、ジギトール。他にも様々な国で、良い悪いは関係なくソルティーは其処に生きる者達と関わってきた。
それが生きてきた証だとハッキリと言い切れる。
「それに、言っとくけど僕の頭は恒河沙とは違うよ。あんたみたいにとことん変な奴は、忘れようとしても忘れられない。頼まれたって絶対に忘れてやらない」
また地面に腰を落ち着かせながら、微笑んだままのソルティーに目を向ける。
こんな時なのに不思議と合点がいったのは、時折感じたソルティーの内面と外見のちぐはぐさ。
彼が十八から中身が変わっていないなら、しかも純粋培養な世間知らずのままで今に至るなら、知識優先方の思考はしょうがないのかなと思えた。
生きる為の知識が無かった彼は、そのまま生そのものに希薄だったと言う事だ。
それが彼は知ろうとし始めている。これから先の死を受け入れながらも、今の生を考えている。――だから、自分がもっと彼の知らない事を教えてやろうと、教えてやれると思った。
作品名:刻の流狼第四部 カリスアル編【完】 作家名:へぐい