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刻の流狼第四部 カリスアル編【完】

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「恒河沙にだけは、私の狂った姿を見られたくない。あの子の近くにいるだけで、これまで忘れていた事や捨ててきた事を、取り戻せるような気がする。それが私に正気を与えてくれている理由だ。あの子が居てくれたからこそ、私は此処に存在出来る、私が私で居られる」
 間違いなく、それが幸せな事だと思えるようになれた。
 過去を思い出す事で苦しみを感じていただけの頃とは違い、今は過去を過去として受け止められるのだから。
 だが、だからこそだろう、ソルティーは自分を責め立てるような声音を吐き出す事になったのは。
「判っているんだ、嘘の言葉であの子を巻き込んでいる事は。それがどれだけ残酷な事かも。目的の場所に辿り着けばそこで死ぬ事も、そこにあの子を連れて行けない事も判っていながら、私は、何も知らないあの子を引き留めようとしているんだ」
 語りながら、須庚に信じて貰えるかどうかなど、もうどうでも良くなっていった。
 ただ自分の抱く事実を有りの儘に告げ、少しでも楽になりたいと願い、同時にもしこの話を事実だと受け止めて貰えたなら、その時はこの弱さを罵って欲しいと願う。
 もっとも、ソルティーのそんな願いはいつも、恒河沙にも須庚にも通じない。
「だったら……だったら止めればいいだろ。そんな所行かずに、そのあんたに契約した奴等だけにさせればいいじゃない! 彼奴だってそう言うに決まってる、あんただけがしんどい思いする事はないってっ!」
 無論須庚は、ソルティーの話を総て信じられはしない。彼の話はあまりにも須臾の常識から離れていて、どうしても信じ切るには無理があった。
 それでも彼に真正面から向き合い、声を荒立ててしまったのは、もしも真実だった時に、此処で何も言わなかったら後悔すると感じたからだ。
 どんな事にしても、何もかも一人で背負う必要な無いのだと、そう言いたかったからだ。
 そんな風に必死に勇気づけようとする瞳の中に、ソルティーの今にも壊れてしまいそうな小さな笑みが浮かぶ。
「もう、時間が…ないんだ……」
「ソルティー……」
 今須臾の目の前にいるのは、「友達になってやる」なんて一言で泣いてしまう、独りぼっちだった子供だ。
 本当の彼自身の姿だった。
「この体は、元々の私の体だ。死んだ体なんだ。動かしているのは私の命じゃなく、与えられた契約の力で、そしてこの力は、人の身には大きすぎる。制御し切れていないんだ」
「………」
「今ここで胸を剣で刺し貫いても、痛みさえも感じない。五感なんてもう殆ど残ってなくて、人としての感覚が失われて、私と言う精神と体が離れていっている。そうなれば矢張り私は、この体を押さえ付ける事が出来なくなる」
 恒河沙が傍に居てソルティーが正気を保っていたとしても、薄れ行く感覚を止められないのは、それだけ彼の体を構成する力と呪詛が強いと言う事だ。
「私だって逃げたい。あの子と交わした約束を守れるならそうしたい。しかし、私が私で居られる時間が限られているのなら、その時間であの子がこれから先、平和で暮らせる世界にしたいんだっ!!」
 ソルティーは地面に拳を叩き付け、激しい口調で訴えた。
 ずっと、それこそこの世界に舞い戻ってから、ずっと考え続けての結果だ。復讐から恒河沙の為へと理由は変わったが、其処から導き出される結論は同じだった。
 その経過で恒河沙自身の事が明るみに出たが、それでもソルティーの出した答えは、彼を護りたいという、たった一つの想いだった。
――賭けよう。瑞姫が言った言葉を信じよう。
 ミルナリスの言った危険な賭だ。
 冥神が何を持ってシルヴァステルを抑えられるのか判らないなら、わざわざ恒河沙を差し出す気にはなれない。少なくとも今の恒河沙は、冥神の手の中にあるとは言い切れない状態である。
 これから先を誰にも予想出来ないのなら、今を壊したくはない。どう取り繕っても聖人になれないなら、自分の信じられる選択をする。
 その為にもソルティーは逃げ出さない誓いを、今一度胸に浮かべた。
「私が其処に行かなければ、彼女達は其処へ辿り着けない。元凶を倒せなければ、何れこの世界は失われる。それだけは避けたい」
 話しを進める毎に重くなっていく事実に、須臾は頭を抱えた。
 一度死んだ者が生きて此処に居る話も、世界が失われる話も、ソルティーを疑う前に鵜呑みには出来ない。――いや、したくない。
「普通さぁ、子供用の冒険話でも、もっとらしい造りじゃない? ほら、大地震が起きるとか、どこかのお姫様が浚われるとか、そんな予兆とか用意されてるじゃん」
 場を和ませるとかそんな気は起きないが、他に言葉は見当たらなかった。
「酔っぱらいでも、もっとましな話すると思う」
 だから余計に真実味がある。
 自分の大義を掲げるなら、他にも幾らでも話は思いつく。
 何もこんな大層な話を創らなくても、今なら大抵のよた話が「ソルティーだから」と言うだけの理由で、何も考えずに信じられる筈だ。
 それなのに彼は、忘れかけていた話を思い出させる。
「予兆なら在った。杜牧の事、覚えているだろう?」
「杜牧って、あの砂綬の村。……まさか、あの村が消えた原因を知ってたの?」
 驚く須臾にしっかりと頷き、更に驚かせる言葉を重ねる。
「結果として杜牧を消したのは、私と契約した者達だ。しかし消そうとしたのは、私の国を滅ぼした者だ。消される前に村を移動させ、その地を封印した。他にも各地で同様の事は起きているが、村が巻き込まれたのは今の所其処だけだが」
「ちょぉっとぉ待ってよぉ! じゃあ何、ソルティーはそれを知ってて黙ってた訳? って言うか、そこら中ぼこぼことそいつら消してんの?」
「黙っていて悪かった。ただ私も知ったのは後だ。――他に手だてが在れば良いが、出現を許せばもうどうする事も出来ない。相手は地中を通って現れる、突然にだ。私の国の時もそうだった。一度、私が産まれるもっと古の時代に封印されたそれは、時間を掛けて封印を食い荒らし、地上へと這い出てきた。それがリーリアンだった。其処へもう一度封印したが、それも破られようとしてい……」
 ここに来て須臾がソルティーの前に手を出し、彼の話を中断させた。
 中断させはしたものの、直ぐには言葉は出なかった。
 一度大きく深呼吸してから、成る可く慎重に口を開く。
「問題。もしそれが本当の話だとして、ソルティーの言うソルティーの体を造った奴等がその封印をしたなら、どうしてソルティーが鍵になるの? それって一寸だけ、いやかなりの矛盾だよ」
 封印を施した者が誰だろうと構わない。ただ、封印を施した者自身が、それをどうにか出来ない筈はない。
 やっと話の綻びを捜し出したと須臾は思ったが、ソルティーはその言葉を自然に受け止めた。
「封印の上に封印をした結果だ」
「はい?」
「封印と結界の基本だろ? 単純に同程度の封印を二重にすれば、上よりも下が力を発揮するのは。悔しいが此方側よりも、向こうの方が力が上なんだ。一度目の封印は食い荒らされ、別の封印へと姿を変えられた」
「変えるって簡単に言うけど、おかしくない? 初歩の魔法の仕組みを今更並べるのはどうかと思うけど、一度組上がった理を変えるのは――」