刻の流狼第四部 カリスアル編【完】
「色々と誤解をしてしまって済まないと。――いや、お前にも済まない事をしたな、オレアディスに用があったのはお前だったのに。……私も同じだ、あの子が絡むと、どうも冷静でいられなくなる」
ソルティーは情けない理由を口にし、髪を掻き上げながら顔を上げた。
「まあ良いけど。……ソルティーは一体何を知ってるのさ」
須臾の心の中には、以前には無かった余裕が、僅かだが出来ていた。
恒河沙の事だけじゃなく他にも疑問があり、今ならそれを聞く心構えが出来ている。――いや、例え余裕が無くとも、何としても聞かなければならなかった。
ソルティーは問い掛けられてから暫く目を瞑った。
はぐらかそうとする間ではなく、どう切り出すかを考えている。そんな彼の様子に、須臾も黙っていた。
そしてやっと目を開けた彼は、徐に胸ポケットから煙草を取り出し、口に銜えた。
「色々だよ。言えない事や言いたくない事。そして言ってはならない事。中には信じられない事や、信じたくない事も在る」
暗くなった周囲に火が一瞬灯り、直ぐに湖からの明かりだけになった。
「須臾、私は何歳に見える?」
突然の質問に須臾は呆けた。
「何歳って…えっと、会った時に確か二十七って言ってたよね? そう言えば誕生日って聞いた事なかったよね。だから二十八か九でしょ。まあ老けてるとは言わないけど、若くも見えないよ」
慰めているのか貶しているのか判らない答えに、ソルティーは一度声を出して笑うと、直ぐに溜息に変えた。
夜目にも映し出される煙を眺め、深く息を吸った。
「私が産まれたのは2577年だ。そして、私が死んだのが2595年、今からならそうだな、559年前になる」
「…………はぁ〜〜?」
須臾は目を丸くして素っ頓狂な声を上げ、ソルティーの真剣な横顔を凝視した。
「死んでいるんだ、一度。私の国が滅びたのもその時だ」
「ちょちょちょ、一寸待って! いきなり死んでるとかどうとか、何を言い出すわけ?!」
信じる信じないの問題ではない。
確かにソルティーに関わってから、これまでに何度も信じがたい事に直面してきた。しかし流石にこればかりは、信じろと言うのが無謀な冗談だ。
まさかソルティーの頭に、本当に恒河沙の馬鹿が感染したかと心配になった。
「冗談言うのは、もう少し時と場所を考えてくれない? 幾らなんでもソルティーが死体にも見えなければ、お化けにも見えないよ? 死にかけて生き返ったとかなら、まだ話は判るけどさ」
ソルティーの肩を叩きながら呆れ返ったと言葉にするが、彼は一向に嘘だと言ってくれなかった。
それどころか、真剣に「本当だ」と口にした。
「これから何年経とうと、私の体は変化しない。……それどころか、もうすぐ無くなる」
次に彼の口から溢れたのは、自嘲による笑いだった。
まるで彼自身が自分の話を信じていないような、信じたくないような、そんな自分自身に向けた憐れみが声となって響いていく。
「リーリアンが滅ぼされた時、私だけが逃がされた。それは本当だ。城内の術者全てを私を逃がす為だけに使って……。それでも強い結界を無理に破ろうとした跳躍は、私をこの世界から隔絶された無の世界に送り込んだ。それが私のこの世界での、事実上の死だ。……十八だったよ」
短くなった煙草をつま先で消し、新しい煙草に火を灯す。
話の内容があまりにも物語じみていた所為か、もう須庚には返事や突っ込みを入れる気持ちはなくなり、少しずつ苦しそうな表情へと変わっていくだけだった。
「それでもその空間に囚われた私は、この体の歳まで生き続けた。まあ殆ど記憶にはないが」
欠片として残った断片的な記憶が、煙草を持つ指先を震えさせた。
「……狂ったんだ。時間すらない闇だけの空間で、死ぬ事も生きる事も出来ない場所だったから、いつの間にか此処がおかしくなっていたらしい」
そう言ってソルティーは自分の頭を指差した。
発狂しても体は生き続け、それが今のソルティーの素体となった。どうして何もない世界でそうなったかを知るのは、後に慧獅から知識を与えられてからだ。
ソルティーの囚われた空間は、理の力だけしかない空間だった。それを慧獅は亜空間と言い、時間の概念も通用しない様な場所らしい。其処では生きる為に必要な要素が充満していた。よってソルティーは其処に存在するだけで、肉体の生を得られていた。
但し、それが精神にまで及ぶとは限らない。
誰も存在しない闇だけの世界で、人が正気を保つ事は難しい。ソルティーはそれを身をもって体験した。
「正確に何時かは判らない。気狂い状態だったからな。私と契約を交わそうとする者達が来た」
「契約ってどんな?」
須臾はいつの間にかソルティーの信じられない話に、真剣に耳を傾けていた。
「鍵の契約だ。リーリアンを滅ぼした元凶をその者達が滅ぼす代わりに、私がその元凶までの道を創り出す事だ。私を今形作っているのは、その契約の力でしかない。だからそれが終われば、私の役目は終わる。要するにそれが私の二度目の死だ」
左耳の飾りを弄りながら、ソルティーは事もなく言い放つ。
変えようのない事実を受け止め、それを行使する。たったそれだけの事を決意するのに、時間を掛け答えを出した。
「……ハーパーは知ってるの?」
「私は人間だよ? 500年以上も経って、それも知っている自分の体でもなかった。勿論、ハーパーにしてもそうだった。なのに彼は、この世界に戻ったばかりの私を迎えに来た。私と契約した者達が彼を呼んだんだ、私の精神に狂いが生じたら、私を殺す為に」
「殺す為って……。何でそんな事! ソルティーの話が本当だったとしても、そんな事をあんなに忠誠心丸出しの奴に頼むなんて、そんなのおかしいだろ?!」
優しさ故に手を広げて強く訴える須臾に、ソルティーは首を振った。
「そうじゃない、殺してくれと頼んだのは私だ」
「ソルティー……」
「私が正気ではいられなくなったら、この体を創っている力の暴走が始まる。亜空間での私は、言いたくないが呪詛の塊だった。この世界総てを呪う言葉を吐き続け存在していた。一度狂気に支配されたら、私は誰を傷付け殺すか判らない。――現に今の世界に舞い戻った時も、正気で居る時間の方が少なかった。ハーパーが居ても私はそれを止められず、この手で私は多くの罪の無い者達を殺めた。……お前達と旅をしている間もだ」
ソルティーは右手を握り締めて自分の額に擦り付けた。
「剣を教えてくれたのはハーパーだ。私の癖も弱点も知り尽くしている。だから彼に頼むしか無かった」
以前ハーパーが言っていた、ソルティーの中に植え付けられている呪詛とは、彼自身が長い年月で創り出した呪い。その身に染み込ませたこの世界への憎しみ。
それを打ち消す事が出来ないのは、今でもソルティーの中には、同じ思いが何処かに存在しているからだろう。
けれどその狂いへと身を投じたい気持ちを抑え込むだけだったのが、いつの間にかそれさえも忘れる時間が増えたのは、間違いなく恒河沙達とここまで来た旅の中だった。
作品名:刻の流狼第四部 カリスアル編【完】 作家名:へぐい