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刻の流狼第四部 カリスアル編【完】

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 嫌いでも好きになれないと決まった訳じゃない。
 確かに居た彼女の記憶は胸にある。それがこれから失われるのが、凄く痛かった。
「何だよ……居るじゃんか……」
 一度死んでいようがどうだろうが、存在していればそれで良いのに、どうして自分と彼女の考えは違うのだろう。
 どんなに考えても、みんなで一緒にずっと居られる方が良いとしか思えなかった。
「居ろよぉ……」
 埋められない初めての空虚感に、恒河沙は立ち尽くしたまま動けなかった。
 壁の隅にはミルナリスの残した兎のぬいぐるみが、泣き出した彼を黙って見つめていた。





 ソルティー達のソートヴァレリ湖からの帰路は、行きよりも順調に行われていた。
 何度か須臾が後ろを走るソルティーに目配せをしながら、彼の状態を確かめ無言で頷くのを確認すると、また前を見るのを繰り返しながら。


 夕べオレアディスをソルティーに紹介し、その後に彼が見せた普通ではない行動と言葉。
 それは彼が神を初めて前にした訳ではないと思うのと同時に、彼にとって神は神ではない事を感じさせた。
 須臾がオレアディスに聞きたかったのは、当然、恒河沙と阿河沙の事だった。
 しかしそれを先に口にしたソルティー。しかも彼の口にした言葉の重みは、自分の考えていた言葉よりも重かった。
 何かを知っていると思いながらも、須臾は蹲ったまま動こうとしないソルティーを前にして、彼に語りかける事すら躊躇われていた。
 酷く憔悴しきった面持ちのソルティーの横に腰を下ろし、ただ時間が過ぎるのを待ったが、それでも彼が口を開く事はなかった。
 このままどうするのか考えて、埒の明かない現状をどうにかしたくて、仕方なく須臾から話をし始めた。
「僕の家はさぁ、随分昔に凄い魔術師が居たらしいんだよね」
 どうでも良い話だったが、他に思いつかなかった。
 聞きたい事を口にするよりは、その方が良いと思ったのだ。
「血の契約とでも言うのかな。そう言うのをしたらしくてさ、僕達の血は精霊契約がしやすいらしい。契約しなくてもさ、弱い精霊なら直ぐに捕まえる事が出来た。だから、濃い血を残す為に、近親者同士を無理矢理結婚させて、出来た子供の中から一番血の濃い奴を代々の跡継ぎにしてた」
 自分の話に一切反応を示さないソルティーに溜息を吐き、次の言葉を口にした。
「あのさあ、僕は実の兄妹の子供なんだよ」
 あっさりと禁忌を口にした時に、やっとソルティーは顔を上げ、須臾は笑みを見せた。
「勿論、表向きはそうじゃないけどね。血が薄くなってたんだよ、幾ら近親者と言ってもね、従兄弟やそれ以上ともなると、どうしても。父親とそのお嫁さんの子供、僕の姉さんは力が弱かった。……だから婆が一族の中でもまだ濃い方の、僕の父親と妹を……まあ、そう言う事」
 須臾が異常に禁忌の話しを持ち出し、夢のような普通の家庭を口にするのは、これが原因だ。
 自分が禁忌によって産まれたからこそ、全力でそれを否定する。
 とても軽々しく聞かせられる話ではなく、彼の言葉自体は普段の彼だが、語るその瞳は真剣だった。
「それで産まれたのが、僕。産まれながらに七代目殲術師(せんじゅつし)の道が用意されて、反抗も出来なかった。だから家出した。だって、あのままじゃ僕は、好きでもない女の子と結婚させられていたか、悪ければ子供を作るだけの道具になっていた。そんなのは嫌だった。結婚するなら、やっぱり好きになった人と恋愛した結果じゃない?」
「……そうだな」
 やっと返事をしたソルティーに、須臾は表情を変えずに内心ホッとした。
「でしょ? まあそんな訳で、恒河沙を連れて家出したんだけど、彼奴には他にも訳があった。それがオレアディスの事だよ」
 自分の話から恒河沙の話へ移行すると同時に、ソルティーの表情は険しくなる。
 巧く乗せられた感は否めず、然りとて隠しておきたい過去を出しにしてまでも話をしようとしてきた須庚の気持ちは、判らないではない。
 だからといって自分から語り出せないソルティーを前に、須臾は今の機会を失う事が出来ずに、彼の感情は気付かない事にした。
「オレアディスと約束したのは二つ。一つは彼奴を護る事。もう一つは、以前の恒河沙に戻す事」
「戻す……?」
 須庚が考えていたよりも早くにソルティーは反応を見せた。
「彼女がそう言ったのか?」
「そうだよ。どういう理由かは判らなかったけど、僕も出来れば昔の彼奴に戻って欲しかった。オレアディスが僕を選んだのは、多分僕のこの血だと思うけど、それは僕にはどうだって良い事だけどね」
「……そうか、彼女が」
「ソルティー?」
 また俯いて何かを考えるソルティーに須臾は首を傾げた。
 ソルティーの脳裏には、自分が責め立てた時に垣間見た、オレアディスの悲しみに歪んだ顔が浮かんでいた。
 オレアディスがどうして自分では動かずに、力が在るとは言え、人でしかない須臾に任せているのかは判らない。しかし冥神の様に恒河沙を操ろうとしている訳ではないのかも知れない。

 冥神オロマティスのこの世界での肉体と成る筈だったのは、アガシャだった。その彼が消えた事によって恒河沙にその役割が回ったとミルナリスは安易に言っていたが、果たして父と子の繋がりだけのけの問題だろうか。
 オロマティスと仮体とを繋ぐ因子なり呪界なりがまた別に存在し、それが覚醒するきっかけが幾つか用意されていたなら。
――シルヴァステルか……。
 カミオラでの一件で、ミルナリスはアガシャが死んでいると確信した。
 十年前までは少なくともアガシャはこの世界に存在し、恒河沙は記憶を失う前。
――アガシャはその後でシルヴァステルに会い、殺された。だからあの子に仮体の役割が移った。記憶を失ったのもそれが原因か。
 しかし彼女はこうも言った。
『恒河沙が恒河沙で在る今を、彼自身に心の底から望ませる事。主の予定調和を退けられる力を彼に持たせる事』
 それは未だに、恒河沙の保有する冥神の因子に、確実な覚醒が及んでいない証拠なのではないだろうか。
――そうすると今の恒河沙は、オレアディスとオロマティスの丁度狭間。これがミルナリスの言っていた事なのか。
 冥神の予定調和を覆したのは、阿河沙の自我が発生した事から始まり、そこにオレアディスの意思が加わった。
 自分達とは異なる存在だとするミルナリスの言葉が真実だとするならば、今の恒河沙を繋ぎ止めるのは、真実今の彼の意思に他ならない。それを神の力が強く及ばないようにするには、人の力だけでは不可能だろう。
 恒河沙の心を芯で支えているのがオレアディスの力だと考えれば、あまりにも綺麗に彼が彼であり続けられる源が見えてくる様だ。
――くそ、私はなんて言葉を彼女に……。
 予測が全て結末へ通じるとは限らない。しかしオレアディスの悲痛な表情が、彼女が冥神に与している可能性を完璧に否定していた。
「須臾、次ぎに機会が在れば、オレアディスに私の代わりに謝って欲しい」
 ソルティーは俯いたまま須臾にそう言った。
「はぁ? 何を?」