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刻の流狼第四部 カリスアル編【完】

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 怒りと悲しみが同時にソルティーの中には存在し、一切の答えを神は与えないまま消え失せた。
「どうしてなんだ……どうして……」
 ソルティーは湖に向けて開かれた手を握り締め、須臾に支えられながら地面に崩れ落ちた。
「ソルティー……」
 須臾にはソルティーの普通ではない怒りが判らなかった。
 彼の疑問も、彼の苛立ちも理解の範疇を越えていた。判っているのは彼が自分の知らない事実を既に知っている事だけで、それを聞く事が恐ろしいと言う事だ。
 力無く俯いたソルティーを見下ろしながら、須臾は言い知れぬ恐怖を抱え込んだ。





 予め数日分の料理を用意して出掛けてくれたリタに感謝しながら、恒河沙は開けたままの窓から外を眺めて、本日二度目の朝食に舌鼓を打っていた。
 一応ソルティーが出掛ける前に地図で説明してくれた、ソートヴァレリ湖への距離を思い浮かべ、もうそろそろかなと時折扉に目をやる。
 当たり前だが昨夜は眠っていない。その変わりに、ソルティー達が居る時に眠りっぱなしだった。
――ソルティー怒るだろうなぁ……。
 扉から部屋の方へ視線を彷徨わせると、散乱した品々。
 ミルナリスと一晩明かした結果がこれだ。怒られると判っていながら喧嘩をしてしまうのは、矢張り根っから相性が悪いのだと思う。
 一応今朝は証拠隠滅でもしようかと片付けを試みたのだが、何故か余計に散らかってしまう事に気付き、途中で諦めた。
 掃除を押し付けようと思っていたミルナリスは、明け方から姿を消している。
『グリークが安定しておりませんので』
 これが理由だった。
 恒河沙は内心「逃げたな」と毒気尽く。
「早く帰ってこないかなぁ」
 誰か居ないとどうしても食事の美味しさが半減するし、もうそろそろ用意して貰っていた料理が底を見そうだ。
 床に着かない足をぶらぶらさせて、恒河沙はまた窓の外を見た。
「ソルティーなら、もう一刻程で着きますわ」
 突然目の前に現れたミルナリスに、恒河沙は露骨に嫌そうな顔をした。
「ずるっこ、急に出てくるなよ」
 先日の一件で、ミルナリスの名称は「婆」から「ずる」になった。ミルナリスにはどうでも良い事だが。
「失礼。ですがご心配なく、もう現れませんわ」
 ミルナリスは静かに床に両足を降ろし、恒河沙を見ずに語る。
 それがどういう意味なのか、いまいち理解出来ない恒河沙は首を傾げ、ミルナリスにはそれが気に障った。
 選ばれなかったのは判っている。選ばれなかった理由ですら理解している。納得出来ないのは、恒河沙がそれを気付こうともしない事だ。今ある事実しか見ようともせず、当たり前に居る事の出来る彼の存在だ。
「私、もう二度と貴方達の前には現れませんわ。どうです? これからはソルティーを独占出来るのですわ、さぞかし嬉しいでしょうね?」
 精一杯の皮肉を込めるのは、決して言いたくなかった台詞を口にしている自分自身が、堪らなく惨めに思えたからだ。
 出来る事なら最後まで共に居たい。しかしソルティーが総てを知ってしまっては、自分が此処に存在する意味が失われた。
 本心では、これ以上苦しむ彼を見たくない。――だったが。
 ミルナリスが恒河沙の側に居る役目は、当の昔に失われていた。
 抑も阿河沙がオレアディスと出逢った時から、それは意味の無かった事だった。それを知ったアスタートの森からは、己の意思で行動を始めた。
 本気でソルティーを愛していたからだ。
 ただそれだけの理由だったのに、自分の存在意義がそれを許さない。
「嬉しいって……」
 突然の話しに戸惑う恒河沙に、ミルナリスは顔を上げ、口元だけに笑みを浮かべた。
「賭は初めから私の負けでしたものね。どんなに私があの方の事を想っても、貴方には勝つ事が出来ないのですから。何もしていないくせに、ただ存在しているだけであの方の気持ちを奪えて、さぞ気分が良いでしょうね」
「そんな俺は」
「どんな事でも、どんな姿でも、私はあの方の為ならどんな苦しい事にでも耐えて与えてあげられる。貴方になんか負けないっ。あの方を愛する気持ちも、貴方よりもずっとあの方を想っているわっ! なのにたった一つだけ私に無い物を持っているからと、それだけで貴方があの方に選ばれる。たったそれだけで、私は貴方に負けなければならなかったっ!」
 たった一つだけ恒河沙が勝っているのは、自分達が昔に失った可能性だけ。
 仮初めの、命とは言えない契約だけで動く事を許された者には、到底持つ事の出来ない輝きだ。
 当たり前に生きている恒河沙には判る筈のない、二人には羨ましい普通の生と言う力。
 ミルナリスの憎しみに圧されて戸惑うだけの恒河沙に、彼女は今まで抑え込んでいた感情の総てを言葉にしてぶつけていく。
「ただ持っているだけであの方の気持ちを独占出来るなんて、卑怯よっ!」
「俺が何持ってんだよ」
「ッ!」
 漠然とした恒河沙の疑問に、ミルナリスは両手を握り締めて俯いた。
「貴方には判らないっ。私の苦しみも、あの方の悲しみも、貴方には判る筈がないっ!!」
 床に一度だけ滴が落ちた。
 ミルナリスは手を握り締めたまま顔に当て、無様にも泣いてしまった自分を恥じた。その後はまた侮蔑的な笑みを浮かべ、恒河沙者から視線を逸らさないように力を入れた。
「笑えばいいでしょ。貴方には何の事だか判らない、そんなどうでも良い事よ。私には決して持つ事の許されない事」
「わかんねぇじゃねぁか、そんな事聞いてみなくちゃ!」
 椅子を蹴倒しながら恒河沙は立ち上がった。
 ミルナリスの事は好きになれないのは同じだが、それでも勝手に勝ち負けを決められるのは性に合わない。しかもそれが最初から決まっていたなどと言われたら、これまで悩んでいたのは何だったのか。
 ただ、最も彼を苛立たせるのは、彼女が勝手に負けて終わりにしようとしているのに、気が付いてしまったからだった。
 ここにソルティーが居る時ならまだ良い。そうでない彼女の逃げは、それこそ卑怯に思えて仕方ないのだ。
「持つとか持たないとか、分かってんなら持ってるのとおんなじだろ。分かんない俺が持ってんなら、ミルナリスも持てるだろ?」
「持てません」
 恒河沙の必死の言葉にミルナリスは即答し、泣かないように我慢する為か、眼差しが更に強さを増す。
「私、一度死んでいますから」
「……へ?」
「過去に私の命は失われていますわ。その後主の力によって、私の記憶を持つ私が、私の体を使って創られました。成長もしなければ、死という概念ですら当てはまらない消失だけがこの身には在りますわ。ですから、今生きていらっしゃる貴方には、決して私は勝てません。生が存在する、たったそれだけ。しかしそのたったそれだけの事が、私には決して手に入れられないソルティーに愛される条件」
「え…でも……、ミルナリス此処に居るじゃん。ほら、体だって暖かいのに」
 恒河沙はミルナリスの肩を掴んで、彼女の生を確かめようとする。
 自分の目の前の彼女が、彼女の言う様な存在には見えなかったし、信じられなかった。
「私の姿は千年も昔からこのままですわ。この温もりも消せます。私は、狭間の者にもなれなかった……貴方のお嫌いなお化けですわ」