刻の流狼第四部 カリスアル編【完】
何処かで別の誰かが炎を造り出し、グリークがそれをソルティーの前まで空間を繋いでいると言う事だ。
だがそれを正確に行うには、一定以上の距離を取る事は出来ない。
――近くに居る。
「ソルティー、左!」
今度は大人の大きさ程もある氷の塊が空間から這い出る。
ソルティーは後ろに飛び退き、恒河沙もそれを追った。
――属性が違う……?
後ろに着地し次の攻撃に備える前に、上空から炎が降り注ぐ。恒河沙が慌てて大剣を振り上げようとした瞬間、横からの舞い上がった風に吹き飛ばされた。
ソルティーは剣を振りかざし、自分に当たる筈だったものだけを打ち消し、地面に転がった恒河沙に向かって走りだした。
「走れ! 止まると危険だ!」
立ち上がり掛けた恒河沙の腕を掴んで、引きずるように走り始めれば、その後ろを次々と空間から飛び出す氷の礫が、地面に穴を空けていった。
「うひぃ〜〜」
突然前方に現れた地面の隆起。後方からの礫はまだ消えていない。
迫り来る鋭い先端を持つ地面から身を避ける為に、ソルティーは恒河沙を横に突き飛ばして自分は反対方向へと向かった。
ソルティーを追う様に地面は向きを変えた。
――詠唱の間が無さすぎる。矢張り複数居るのか?
一つの属性だけを修得している高位術者なら、呪文の詠唱は省け、呪紋だけ用いる事も可能だ。
しかし複数ともなると、多少の詠唱を必要とするのが普通である。それだけ属性の異なる精霊の力を用いると言う事は、それぞれの精霊の理と言う契約条件を、多く有しなくてはならない筈だ。
「ソルティー!?」
いきなり突き飛ばされて慌てて恒河沙が叫ぶ先には、ソルティーがもう一本のローダーを手にして、隆起する地面と向き合っていた。
一直線に迫り来る隆起に、ソルティーは剣を同時に突き立てた。
「――ック!!」
隆起が勢いを止めずに剣に触れた。
相殺される鬩ぎ合いではなく、ねじ伏せる力のぶつかり合いに大気が揺れた。
「まずっ!」
そう口にしたのは恒河沙だった。
誘導を持つ隆起を消す為に固定されたソルティーに、彼の背後から炎が姿を見せた。
「さっせるかぁっ!!」
恒河沙は駆け出すのと同時に、叫びながら大剣を炎に向けて投げた。
大剣が光を発しながらソルティーの直ぐ脇をかすめ、歪んだ空間ごと炎を突き刺す。その瞬間、周囲に閃光が走り、小さな火花を撒き散らしながら炎は薄れ、大剣に貫かれたままの空間は、異常な歪みを作りだした。
恒河沙が空中に浮かんだままの大剣の元に駆け寄り、柄を握り締めた時、歪みは内側に向けて破裂した。
「アアァァーーーーッ」
遠くの暗がりから苦痛の悲鳴が上がる。
長く尾を引いた悲鳴は、確かにグリークの声。
「彼処だな……」
ソルティーの言葉に恒河沙が頷き、二人の体は同時に走り出した。
須臾が急に目を覚ましたのは、急に沸き上がった、突き動かされる様な不安からだった。
予感に近いあやふやな危険を体が先に感じ、思考は直ぐには追い付いてこなかった。それでも何気なく腕をリタの方に向け、其処に彼女が居ない事を知った時、はっきりと覚醒した。
「……リタ?」
リタの歌声に眠ってしまったが、開けられた窓から見える蒼陽の傾きから、それ程時間が経っていないと知る。
部屋の何処にも彼女の気配はなく、こんな時間に黙って彼女が出掛けるのも変だと感じた時には、服を手にして立ち上がっていた。
――おかしいなぁ……。
特定した事に対する違和感ではなかったが、簡単に拭い去れる感覚でもない。
シャツに袖を通し、窓から身を乗り出す様に外の景色を眺める。見えるのは何時も通りの景色だ。
矢張り気のせいかと思い、外から部屋へと視線を向け直そうとした瞬間、弾かれたように体が更に外へと乗り出した。
「何だよこれぇ」
大気の悲鳴の様な震え。
何処かで何かが起こっている気配。しかもその原因となりそうな者を、一人しか知らない。
須臾は焦りを覚えながら、ズボンの留め金もいい加減に扉へと向かった。
――また僕の居ない時にぃ〜〜。
ソルティーに許可を貰って離れているとは言え、前回も後からハーパーに厳重に叱られた。情けなさ一杯になって、扉を開けようと手を伸ばした時、須臾は本当の異変に気が付いた。
「開かない……」
鍵が掛けられた状態ではない。しかし扉は微動すらしなかった。
「結界……リタ……」
この時になってやっと自分の今を知った。
どうしてリタが自分に声を掛けたのか、どうして応えられないと言いながら今日も自分を呼んだのか。
「嘘だろ……嘘だよね……?」
ソルティーの仲間を減らす為に用意された扉に触れ、須臾はこの結界を敷いた者に問い掛けた。
しかし応えて欲しい声は何時まで経っても耳に届かず、更に大気が震撼する感覚が体を貫く。
「ちくしょーーーーーっ!!」
力一杯に扉を殴り、須臾はまた窓に向かった。
身を乗り出し息を飲む。
リタの部屋は六階にある。壁には一切、体を支える様な足場になる突起は存在していない。封呪石や武器の一切合切は、女性と会うのに戦う道具を持ち込まない主義から持ってきていない。
地上に置かれた物が小さく見え、須臾は一回大きな溜息を吐いた。
「リタの馬鹿」
諦めの呟きを漏らし、須臾は窓枠に手を掛け、しっかりと足を乗せた。
「風よ我が身を支える翼と成れ」
須臾は勢いよく窓枠を蹴り、その身を空中に躍らせた。
グリークの悲鳴に案内されたソルティー達が見たのは、思わず息を詰まらせる異形の姿だった。
蒼陽に照らし出された姿は、人を飲み込んだ蛇そのもの。だが飲み込まれた者は、人の姿でもなかった。
顔の半分を占めそうな程の大きな一つの瞳は濁った青。肩に生えた四本の腕。
「気持ち悪」
恒河沙が小さく呟いたと同時に、蛇の上半身は腕を上げた。
ソルティーの耳には詠唱は重なって聞こえた。
「死ねぇっ!」
バルバラの叫びと共に、空中に二つの、光で描かれた呪紋が浮かび上がり、其処から炎と圧縮した大気の塊が生まれた。
「うわぁ〜」
恒河沙が悲鳴を上げたのは、迫り来る炎ではなく、バルバラの掌に備わっていた口そのものだった。
連続的な呪文の詠唱と、複数の魔法を同時に生じさせられたのは、バルバラの四つの手。そこには一つずつ人の口が動き、それぞれに別の詠唱を続けていた。
良く見ればその口はどれも違い、歯も舌もある。彼女が喰らった術者の口なのかも知れないが、それよりもまずあまりの気持ち悪さに、恒河沙は逃げるより前に大剣を振っていた。
しかし、詠唱の僅かな隙も無いバルバラの攻撃は、闇雲に剣を振るうだけでは、対処が追い付かない。
――ハーパーが居たら……。
ソルティーも恒河沙と同様に、間断なく襲い来る魔法に対して剣を振るうだけに終始している状態なり、つい人を頼りそうになった自分の考えを振り払う。
ハーパーが判るのはソルティーの居場所だけだ。危険かどうかまでは、予感でも沸き上がらない限り届きはしない。
しかもこの爆発を伴う音に、街の様子は一向に変化しない。これ程までの轟音を伴う攻撃も届いていない様子だ。
作品名:刻の流狼第四部 カリスアル編【完】 作家名:へぐい