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刻の流狼第四部 カリスアル編【完】

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「まあ、お前がそう言うなら、それを信じるが……」
 もしも須臾の経歴に何らかの不備や偽証が在るなら幕巌が面倒を見る筈はなく、須臾自身がそれを許さないだろう。少なくともソルティーはそう信じている。
「あんがと、だからソルティーって好きだ」
「お前にそう言われるのは、妙に薄気味悪い」
「酷い」
 それからまた互いに同じ酒を注文し、それが運ばれると今度はソルティーから話を切りだした。
「――で、話は別にあるんだろ?」
 ソルティーは背もたれに腕を置き、成る可く真正面から須臾を見ない様に斜めに座る。そうした方が彼が話しやすくなるだろうと感じたからで、実際に少しだけ彼は嬉しそうに笑った。
 しかし直ぐに真剣な表情になり、ソルティーが予想していなかった話を切り出した。
「僕さ、ソートヴァレリに行きたいんだけど」
「ソートヴァレリ……恒河沙が言っていた湖か?」
「そう。此処から南に一日位かな? ああ、でも行くのは僕一人で良いんだ、本当はソルティーにも来て欲しいけど、そうすると彼奴まで来るから」
「何があるんだ?」
 多少表情の険しくなるソルティーに、須臾は俯いて小さく溜息を吐いた。
「色々確かめたい事が在るんだ。それが判ったらソルティーに全部話すから、許可してくれないかな?」
 グラスの縁を指先でなぞり、視線だけをソルティーに送る。
 ソルティーは須臾の視線を受けながら煙草を口に銜え、彼がわざわざこの街に来た真意を考えた。
 成る可くなら明日にでもこの街を出たい。しかしこの事が恒河沙に関係するなら、途端に簡単な話ではなくなってしまう。
――私の知る事と関係するのか?
 考えを巡らせても、過去の須庚の言動から彼が阿河沙を普通の男だと思っているのは間違いない。
 ただ一度しか恒河沙が記憶を失う前の話をしない事が、何かを知っている事を臭わせているようにも感じられる。それに“これ位の事”で終わる話なら、何も恒河沙を抜きにして話をするまでもないだろう。
 つい先程までの友人としての話は終わり、今は傭兵として何も言わずに答えを待つ須臾に、ソルティーは溜息を吐き出し、
「判った。許可する」
 彼が確かめたい事が一体何なのか。
 今すぐにも問い質したい気持ちを抑え、彼がそれをもたらすのを待つ事にした。
「良かったぁ。ソルティーありがとう」
 安堵から来る気の抜けた須臾の言葉に、それだけ彼が緊張して許可が下りるのを待っていたのが判る。普段の彼なら絶対にこんな状態にはならないのだ。
――重複していれば良いんだが。
 テーブルに伏せた須臾に視線を送り、この状態で浮かぶ限りの楽観的な考えを捜す。幾ら考えを巡らせても、元が元なだけにそれは不可能に近かった。


 二人が真剣な話から気分を一転させる様に、またろくでもないよた話に戻った頃、店の出入り口でどよめきが湧き起こった。
 何事が起きたと、二人が同時にそちらを向いたが、数人の男達が集まっているのしか見えなかった。
 初めは喧嘩かと思ったが、疲れ切った空気が漂う店が一転して歓喜に湧いた状態だった。
「久しぶりじゃないか、どうしたんだよ近頃顔を見せなかったのに」
 誰かと再会を喜ぶ男の声がやっと二人の所まで聞こえ、一度だけ後ろを向いて確認したソルティーは直ぐに体を戻した。――が、須臾の目はそちらに釘付けだった。しかも、男達の輪が奥へと進む事に、須臾の顔も少しずつ動く。
 もう一度ソルティーが須臾の視線の先に顔を向け、彼の目的を確認すると、至極納得のいく答えを得られた。
 男達の顔の隙間から垣間見えたのは女性だった。それもとびっきりの美人だ。
 歳の頃は二十後半から三十前半。種族は特定できそうにはないが、純粋な獣族とは思えない柔らかさがある。薄い水色の髪は腰まで伸ばされ、赤い口紅は大人の女性の色気を感じさせた。
 須臾好みの年上の女と言うわけだ。
「見付けた……」
 女性を見つめたままの須臾から、うっとりと熱の籠もった言葉が吐き出された。
「は?」
「とうとう見付けたよ、僕のお嫁さん……」
 感動と驚嘆を混ぜ合わせた様な須臾の言葉に、ソルティーは自分の耳を疑った。
 須臾と女性を交互に見比べ、夢現に彼女を見つめる彼の口走ったそれこそ夢の様な言葉が本当の事だと知る。
 女が絡むと何も見聞き出来なくなる須庚の悪癖は、全く出会った頃と変わりない。だがここまで彼が熱に浮かされている様な事は、これまでに一度もなかった。
 ソルティーがこの状況をどうすればいいのか悩んでいる内に、彼女は店の一番奥にあるテーブルに腰掛けると、カウンターの男が弦楽器のバウロンを奥から取り出して、人伝に彼女に渡した。
 彼女は足を組んでバウロンを乗せると、軽い仕草で何度か弦を弾く。調律の音が鳴り出すと、店のざわめきが静かに納まっていく。
「詩謡か……」
 大きな酒場であれば必ずと言って良い程、客の気を引く為に音楽が流れている。場末の酒場を渡り歩く者も多く、彼女もその一人なのだろう。
 完全に人の声も、動きも無くなったのを見計らって、彼女の指がゆっくりと音を奏で始め、そこに美しい女性の声が物語を紡ぎ出した。

 それはまるで神が人の男に愛を捧げる様な内容だった。
 深く大きな愛情で神は男に全てを見せ、聞かせ、そして語りかける。しかし力ある神の見せる世界は男には傲慢に見え、それでも神はちっぽけな男に向かって至上の愛を語り聞かせる。
 そんな詩と呼ぶには静かすぎ、言葉と呼ぶには激しすぎるその詩を、彼女は自らが奏でる音色に併せて高らかに歌い上げた。
 但し、この詩の意味をどれ程の者が理解出来ているのかは不明だ。
 彼女の詩は古い言葉だった。ソルティーですら断片的にしか聞き取れなかった。
 ただあまりにも彼女の歌声が素晴らしく、心に染みわたる心地よい声だった為に、それを疑問に思う者は少ないだろう。
 誰もが彼女の詩が終わっても、目を閉じて何かを感じた心に浸る。
 少しずつ店にざわめきが出始めた頃には、彼女はバウロンをカウンターの男に返していた。
「今日は謳う為に来た訳じゃないから、ごめんなさい」
 静かな店に彼女の良く通る声が響き、客達は挙って残念がった。無理に謳わせようとしないのは、彼女に嫌われたくないからだろう。
「綺麗だなぁ」
 うっとりした表情で彼女から視線を外せない須臾に、彼女の詩が聞こえていたかどうかは甚だ疑問である。
 完全に違う世界の住人と化している彼の視線を遮る様に、ソルティーが目の前で何度か手を振って見せても何の反応も示さないのだから。
――どうしたものか……。
 恐らく今は何を言っても須臾には通じない。無理矢理引きずって帰れそうにもない状況に、ソルティーは頬杖をついて暫く彼の状況を酒を飲みながら観察する事に決めた。





「お帰り〜〜〜」
「お帰りなさいませ」
 部屋に入った途端恒河沙とミルナリスに体当たりを喰らって、ソルティーはもう少しで後ろに倒れそうになった。
 序でに部屋の惨憺たる有様にも目眩を覚えた。
 荷物という荷物が部屋の四方に飛び散り、枕もシーツも本来在るべき場所に一つも置かれていない。一目見ただけで何があったかは、大凡の察しが付くというものだ。
「喧嘩はするなと言っただろ」