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刻の流狼第四部 カリスアル編【完】

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 僅かに離れた間隔でさえも寂しくて堪らない。追い縋ってもっと踵を上げれば、腰に腕が回され爪先が地面を掠めるだけになった。
――……あ、なんか……なんだろ……。
 息苦しさはこれまでと変わりなく、なのに体に感じる何かが違う。
 口腔を擽られる度に、舌を絡め合う度に体の奥に疼くような熱さが生じ、同時に心地よい何かに満たされていくようだった。にもかかわらず、こんなにも近くにいるのに、もっと近くに行きたいとも感じ、互いの鎧も服も邪魔に思えた。
 ただ焦れったい感覚や疼く熱は大きくなるのに、思考は徐々に霞んで体の力は抜けていく。
 真っ白になっていく中で与えられる感覚だけを感じてどれだけ経ったのか、不意に頬に触れた髪の感触から、いつの間にキスが終わっていたのを知った。
 熱くなった体を冷まさせる為の吐息を吐き出しながら目を開けると、覗き込むように自分を見つめる瞳が直ぐ近くに見えた。
「ソルティの目……」
「ん?」
「また、色変わってる」
 前に見た時のように黒色にまではなっていないが、空の色が夜の色に変わろうとしている様だった。
「ああ……そうか」
 カミオラでの一件で、力の干渉が行われやすくなってしまったのかも知れない。
 あまり望ましいとは言えない状況ではあるが、ソルティーは苦笑を浮かべるに止めた。
「気持ち悪いか?」
「ううん、なんか格好いい」
 瞳の色が変わっても、それで彼が変わる事はない。
 それを今ではちゃんと理解しているから、恒河沙は楽しそうに笑ってソルティーを見つめ返すだけだ。
「良かった。――と、おい」
 恒河沙の返事に安心しながら彼の腰に回していた腕を放そうとした瞬間、恒河沙はがくっと膝から崩れ落ちていく。慌ててもう一度腕に力を入れて支えるが、倒れそうになったのには、彼自身が驚いていた。
「どうした?」
「あぅ……なんか力入んない」
 どうやら恒河沙にはまだ激しすぎるキスだったらしく、腰が抜けてしまったようだ。
 もっともやはりどうしてなのか判らない恒河沙は驚くだけで、その何とも可愛い姿にソルティーは意味深な笑みを浮かべると、両腕でしっかりと支えなおした。
「抱えて行ってやりたいが、お前の剣までは無理だからな」
「……うん」
 少し残念には思うが、まだ二人きりで居られるのは嬉しい。
 須庚と二人で暮らしていた頃には、他の誰かにこんな気持ちになれるなんて思ってもいなかった。それが今では当たり前のように、ソルティーとだけ一緒に居たいと素直に感じられた。
 いつ来るか判らない旅の終わりが来ても、その後もこうしていられる事を願いながら、今ひとたびの温もりに恒河沙は嬉しそうに笑みを浮かべ続けた。





 ソルティー達が彫像の前に戻った時には、予想通り既に須臾とハーパーの姿があった。
「宿は手配してきたよ。街の事は道々説明するから、先に其処に行かない?」
 手にした地図で肩を叩きながらの須臾に頷き、坂を下って左の地区にある宿屋まで案内された。
 須臾達の見聞きしてきた説明は、実際ソルティーが痛感してきた、この街の入り組んだ造りから始まった。
「最近、と言っても此処数年の単位だけど、北から人が流れてるらしいんだ。災禍の難民がさ。それで上はまだしも、下の方は区画整備も行き届かないままに建築に次ぐ建築。下西地区の端なんて貧民窟になって、治安もかなり悪いらしいよ。この地図を買ったは良いけど、ここの住民も迷う位にまで無茶しちゃってるらしいから、下調べがどこまで通用するか」
「判った。長居するつもりは無いが、極力一人になるのは避けた方が良いな。無闇に出歩きさえしなければ、何とかなるだろ」
 ソルティーに視線を送られて恒河沙は神妙に俯いた。
 しかしそれだけでは満足出来なかったのか、ハーパーが慎重な言葉を重ねた。
「貧富の差が著しく垣間見られた故に、貧困に心を歪めた者達に出会すかも知れぬ。成る可く気を抜かぬ様。特に恒河沙」
「えっ、俺?」
「うむ。お主は何かと粗忽で困る。……粗忽とは、注意力が無いと言う事だ」
「あう〜〜」
 まだ誰にも迷子になった事は言ってないものの、元から注意力散漫な恒河沙では、信用してくれと言う方が無理がある。わざわざ注釈まで付けて釘を刺すハーパーは、本当にそれだけが心配だと何度も口にして、言われる度に落ち込む恒河沙の姿には、周りは笑いを堪えるだけだった。


「では我は」
 宿の前でハーパーの言葉にソルティーが頷くと、彼は来た道を戻り始めた。
 場所を優先的に選んだ結果、この宿にはハーパーの入る場所はなく、密集した建造物の隙間に彼の休める場所もなかった。
 結局ハーパーだけ、一端街の外へ出て休む事になった。
「先刻予約したんだけど」
 須臾がカウンター越しに、退屈を持て余している男に話をし、渡された鍵二つを片手に戻ってきた。その内一つをソルティーに渡しながら、少しだけ顔を近付ける。
「あのさあ、後で酒でも飲みに行かない? 此処って魚だけじゃなくて、酒も良いのが在るって聞いたんだ」
 ただ酒を飲むだけにしては向けられた視線は楽しさが垣間見えず、別の理由を臭わせていた。
 ソルティーは一瞬だけ悩む振りをしてから頷くと、やはり何か話があるのだろう、須庚はホッとしたような表情で借りた部屋へと向かった。

 夜になって夕食を宿の隣の店で済ませたソルティー達は、恒河沙とミルナリスを宿に戻してから、少し離れた酒場に消えていった。
「何だよ……、連れてってくれても良いじゃんかぁ」
 恒河沙としてはミルナリスと残されたのも気に食わないが、最近ソルティーが須臾と話す機会が多いのも気に入らない。
 昼間の心地よさを台無しにされて、ふて腐れた顔でベッドに背中を預けて床に座っていると、もっと最悪な気分にさせられる声が飛んできた。
「子供が大人の話に口を挟むのは、あまり良いとは言えませんわ」
「うっさい婆、お前だって置いて行かれたくせに。それに子供じゃねえ」
「あらそうですか。でしたら、大人がお留守番一つで拗ねるなんて、本当に大人げないですわね。と、言う事では如何でしょう?」
「う……」
「ま、お好きに仰って戴いて結構ですわ、結果は同じ事ですし。私にはソルが居ますもの」
 ぬいぐるみを抱き締め、これ見よがしにミルナリスはそれに頬ずりをする。
 内心を言えば「誰が子供のお守りなんてしたいものですか」だが、ソルティーが出掛ける際に「呉々も」と念押しされれば我慢するしかない。
――仕方在りませんわね、もう私に出来る事など……。
 元々は阿河沙の失踪をきっかけにした恒河沙の監視と、来るべき日の覚醒に備えるのが役割だった。
 そこに予てより動向を窺っていた者達の鍵であるソルティーを見つけ、ミルナリスにとってはそこで全てが予定から外れてしまった。もし計画通りであれば、彼の傍らに立つのは冥神の仮体である阿河沙の筈だった。思惑の違いはあれど、そうであるならソルティーが悩む事はなく、真っ直ぐにシルヴァステルの元へと行けただろう。
 ぬいぐるみを抱き締めながら視界の端に映した子供。
 未だ自分が何なのかを知らず、ソルティーの嘘を信じ続け、哀れな結末に向かう不憫な器。
 けれどこの子供だからこそ、彼は闇に赴かずに済んだ。