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刻の流狼第四部 カリスアル編【完】

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 知りもしない街の脇道に入るのは危険だ。その予感は、ソルティーがその路地に入った時に現実になった。
「あの馬鹿……」
 細く曲がりくねった道の先には、既に恒河沙の姿はない。
 路地には人影はなく、一度足を止めて形跡になる様な物を捜したが、それらしい物が在る筈も無かった。
 細い路地にはもっと細い道が幾つも繋がり、薄い暗がりの口を居たる所に作っている。その中の大通りから六本目の下へ向かう道に、ソルティーは足を向けた。
 路地には幾つかの箱やゴミが置かれていたが、それが散乱しているのが其処だけだった。あくまでもソルティーの推測だったが、中身の詰まった重そうな箱を、路地を塒にしている犬猫が、無理矢理倒して歩くとも思えない。他に手がかりがないなら、可能性の高い順に消去していく方法が最良だろう。
――恒河沙、お前はどんな言葉が欲しいんだ。
 一時はミルナリスに責任を押し付けようとしたが、やはり根源は自分にあると感じる。
 出来れば事実しか言いたくない。言えない事実なら隠した方が、嘘で塗り固めるよりもましだった。それでなくとも叶えられない嘘を重ねてきたのだ、これ以上何かを語るのはソルティー自身が辛かった。



 一方恒河沙は、ソルティーの制止を振り払って逃げだものの、何度も曲がり続けた路地の先は行き止まりになっていた。
「あう〜……、ソルティー怒っちゃったよぉ〜〜」
 自分が腹を立てたのはミルナリスの筈だったのに、どうしてソルティーの制止を無視したのか自分でも判らない。上手く表せない不安の方が大きくなって、処理出来ずに逃げる事しか浮かばなかった。
 呆然と行く手を塞ぐ壁を見つめて、どうするか考えて後ろを振り返ると、どう考えても何処から自分が来たのか判らなかった。
 これでは何の為に須臾達が別行動をとったのか。
「もしかして……迷子……?」
 もしかしなくても迷子だ。
 やっと現状を認識できた分、脱力感が沸き上がった。
――どうしよう〜〜〜。
 それが思い浮かばず、恒河沙はその場に蹲った。
『良いか恒河沙、道が判らなくなったら、慌てずに少しの間その場に居るんだ。その内誰かが来るかも知れない。それでも誰も来なかったら、大声で叫ぶんだ』
 昔、村の近くにあった林に入る時に、須臾が教えてくれた事が頭に浮かぶ。その後本当に実践して、見事に須庚が捜し出してくれた。
 しかし此処は林ではない。近くには住居の窓も扉もある。叩いて呼べば簡単に助けて貰えるだろう。そんな簡単な事が出来ないのは、
「ソルティ……来てくれるかな」
 なんとなくだが、絶対に来てくれる気がした。
 どんなに呆れても、怒っていても、来てくれると思えた。
「……でも、来たらどうしよう」
 色々な状況を想定してみたが、どうも結果は同じで蹲ったまま何度も唸る。
「ソルティー……」
 安心したくて、首に下げていたソルティーに貰った紫色の石を、服の下から取り出して両手で握り締めた。
 ミルナリスではなく自分が一番だという証として貰った物だ。これがあると安心できると思っていたのに、それなのに全部が全部上手くは進まない。もっともっとソルティーの事が判ると思っていたのに、全く理解出来ない。
「ソルティ……ソルティ…」
 せめて須臾位に頭が良ければ、もっとソルティーの手助けが出来ると思う。
 なのに彼はそれを望んではいない。『嫌われたくないから隠す』と言った事は、今でも忠実に守られていた。
 何故彼の事を知ったからと言って、彼を嫌わなければならないのか。きっと驚く位はすると思うが、絶対に嫌いになる事はないと確信がある。
 それでも二度と彼に辛い思いをさせたくないから、知りたいと思っても聞かないようにしてきた。傷付いて欲しくないから何も言わなかった。
――知りたいのに、一杯ソルティーの事知りたいのに。
 少なくともミルナリスが知っている事の半分は知りたい。勿論それは彼女に負けたくない思いからだが、それを声を出していってしまえば、忽ち自分の負けになってしまう様な気がして出来ない。
 恒河沙なりに一生懸命考えた結論は、やはり何も聞かず何も言わずに、ソルティーから打ち明けてくれるのを待つしか無かった。
「あぅ〜〜〜〜〜〜〜〜」
「――ったく、お前はどうしてそう前を見ずに走るんだ」
 不意に溜息混じりのソルティーの声が聞こえ、慌てて後ろを振り返ると、道の真ん中に転がっている木のゴミ箱を、足で壁へと押しやっている彼の姿が目に入った。
「来た……」
「来たって……、来て欲しくなかったのか?」
 恒河沙はありったけの力で頭を振った。
「でも、どうして?」
 此処が判ったのか。此処に来てからあまり時間は経っていない。手当たり次第に探し回ったにしてはソルティーが来るのは早すぎた。
 相変わらず目先の疑問にしか目の向かない相手に、ソルティーは苦笑を交えて彼に近付くと、立ち上がらずに首を傾げてる彼の前にしゃがみ込む。
「これ。お前が何処に居ても教えてくれるよ」
 恒河沙が握り締めた紫の石を指差して、ソルティーは彼に微笑む。
「ほんと?」
「ああ」
 ソルティーはまた嘘を言った。瑞姫達の真名が刻まれたローダーと違い、これにそんな力はない。ソルティーが道標にしたのは最初から最後まで、恒河沙が荒らしていった路地の惨憺たる光景だ。
 ただそれを言うと少なからず恒河沙が落ち込むから嘘を言い、彼の表情を見る限りすっかり信じ切っている様子だった。
「で、どうして逃げた? ミルナリスの言葉に腹が立っても、私が止めるのも聞かずに此処までどうして逃げた?」
「………から…」
「ん?」
「頭、良くないから。みんなみたいに、ソルティーの事分かって上げらんない。頭良かったら、もっとちゃんとソルティーと話出来るのに、俺……」
 そう言いながらもソルティーから視線を逸らしていったのは、どこかで言ってはならない事だと知っているからだろう。
 ただあまりにもミルナリスの台詞が大きく尾を引いて、落ち込んでいる気分そのままに徐々に小さくなっていく声で言ってしまった。
「須臾みたいに頭良かったら、俺だってソルティーの事――」
「それでも私はお前と居る時が一番楽だよ」
「ソルティ?」
 てっきり怒られるか愛想を尽かされるかと思っていたのに、意外とソルティーは落ち着いた声で告げてきた。
「私の事を何も判らないと言う恒河沙と二人で居る時が、私が私で居られる一番楽な時間だ」
 恒河沙の頭に手を乗せて、彼が自分の方を向いてくれる様に微笑み続ける。
「だけど、おかしいよ」
「何が?」
「だって、ソルティーは俺に、その、知られたくないんだろ。それなのに、俺と居るのが楽なんて変だ」
 自分自身に苛立つ言葉が、そのままソルティーにぶつけられる。
 判りたいけど理解出来ない自分が腹立たしいのに、理解しなくて良いと言い切る彼に、どうしようもない苛立ちを向けてしまう。
――こんなの、八つ当たりだ……。
 言ってしまった事が、余計に惨めな自分を煽ってギュッと目を瞑った。
「それでもお前が良い」
 ソルティーは髪を撫でていた手を後ろに廻し、そっと小さな頭を片腕で包み込んだ。
「訳知り顔のお前より、私を知ろうとしてくれるお前が良いんだ」