刻の流狼第四部 カリスアル編【完】
「須臾とハーパーが戻ってから考える。……須臾の言う通り、攻撃に関しては確率は半々だし、向こうの出方が私にははっきりしないなら、こうして休む事も必要だろう」
「そうですわね」
「でもさぁ、どうして有ったり無かったりするんだろうな? 俺ならこんなちまちま攻撃しないぞ」
「口に物を入れたまま話さないで戴けますか、お行儀の悪い。――ま、お馬鹿さんでもそれ位は考えていらっしゃるのは、お褒めして上げても良いでしょうけど」
「ムゥ!」
どうしても喧嘩を売らなければ気が済まないミルナリスに、ソルティーは気落ちして肩を落とした。
――だから嫌なんだこの組み合わせは。
どちらかを庇えばもう一人が目に見える落ち込み方をするのだ、幾ら自分が抑もの原因だと判っていても、気が休まる状態では決してない。
既にミルナリスの目的が決してそれだけではないと知れている。喩え彼女の自分への気持ちに偽りはなくても、お互いに利用しあった仲であり、第一彼女が自分と恒河沙が離れる事を良しとしなかった。
この状況で未だ恋敵の役を演じているのは、悪戯にしか感じられない。
ただそれを窘めた所で彼女が役を降りるはずもなく、ソルティーに出来るのは普通の会話を演じる事だけだった。
「攻撃が散漫なのは、未だに向こうの統制が取れていないと言う事だろう。きちんとした命令系統があるのではなく、餌をぶら下げてそれに食いついた者達がそれぞれに動いている感じがする。それに、そう言う性質を持てないのも原因かも知れない」
ソルティーがテーブルの端を指で叩く。何をどう考えた所で、全てが憶測の答えになるのが、彼なりに苛ついている証拠だろう。
そして一端話を切った彼の後を継いで、ミルナリスが口を開く。
「妖魔は人では在りませんわ。勿論精霊でもない、己のみの存在。己の内なる欲求に正直であるが故に、仲間意識は微塵も在りません。ですから纏まった攻撃もなく、彼等の総てが私達に徒なす存在でもない」
「向こうにも向こうなりの均衡が存在する。個の性質に関連する事象には働くが、それ以上の踏み込んだ事象には立ち入れない。それは人も精霊も同じだったはずだが、それが変質した事実はあるのか」
「いいえ、干渉は妖魔にまで及びませんでした。彼等は変わりなく在り続けましたわ」
「そうか」
「あ……あの、よーまって……あの、黒いドロドロ目のオッサンだよな……?」
「ああ、彼もその一人だ。人とも精霊とも全く別の種族だ」
「種族と述べるより、寄生種ですわね。私達と彼等が異なるのは、人と共生するか寄生するか。彼等妖魔の餌となる人の存在無くして、存在すら失われる事ですわ。妖魔自体の存在を殆どの者が気付いていないのは、気付かれてしまう事で狩る立場から狩られる立場になるから」
「妖魔全体がそれを危惧しているから、必要以上に人の世界には介入しない、いや、出来ない存在だと言える。だからカミオラの時の様に、姿を現さずに攻撃できる者以外が、そうそう頻繁に姿を現してまで攻撃をして来られない」
一通りの説明をミルナリスと交互に話し終える頃には、恒河沙は俯いていた。
二人とも恒河沙に理解出来る様に成る可く簡単に話をしたのだが、途中で彼の頭を一杯にしてしまった。
知能不足による自己嫌悪。
どう頑張ってもミルナリスに負けている。せめて須庚くらいにソルティーと話が出来れば良いのにと思っても、出来たのは腹の虫で二人の話を止めるくらいだった。
それが悔しくて情けなくて、最後の方の話なんて聞こえても居なかった。
「恒河沙?」
心配してソルティーが恒河沙の肩に添えても、悔しくて唇を噛んだ顔を上げられない。
「放って置いても宜しいわよ。どうせこれ位の事も、理解出来ずにその耳かき一掬い分も無い頭で悩んでいらっしゃるのでしょうから」
「う〜〜〜〜〜〜」
半分当たって半分外れたミルナリスの図星に、言い返す言葉が無い代わりに、うるうるした瞳で懸命に睨み返す。
――頭良くなりたい……。
何時でも自分なりの精一杯をしているのに、どうしても追い付く事が出来ない。ソルティーが自分に何を求めているのかが判らないから、此処にいる自分に自信が持てない。
頭が良くなったからと言って、何が変わるかも判らない。
こんなに必死で考えているのに、ミルナリスは判る自分をひけらかす。
「理解出来ずとも宜しいのではなくて? 今更貴方が明晰な頭脳をお持ちになったとしても、ソルティーや私の足下にも及ばないのですから」
もとより人の知識を凌駕する精霊と、今の世界の者ではないソルティーに、今の人の持つ知識は稚拙な位だ。
ミルナリスの言う言葉の真意など、恒河沙に理解出来る筈がないのを知りながら、彼女は見下す様に辛辣に言い放った。
「役立たずは引っ込んでいて欲しいものですわ」
「ミルナリス!」
「……らいだ、お前なんか大っ嫌いだっ!」
恒河沙の大声が店中に響きわたり、他の客が何事かと振り向いた時には、恒河沙の体は椅子を倒しながら出口に向かっていた。
「恒河沙っ!」
「いってらっしゃいませ。精算は私が済ませておきますわ」
「何を考えてるんだ」
ミルナリスからすれば、恒河沙が何も知らずに考えずに居る方が御しやすい筈が、どう見てもただの嫌味ではなく、態と怒らせる台詞を選んでいた。ソルティーとしては今更何故と感じずには居られず、立ち上がりながらも彼女の答えを待った。
「私は彼が嫌いです。それだけですわ。それに、少しくらい嫉妬しても良いではありませんか」
そう語ってからミルナリスは目を瞑り、これ以上は何も語るつもりのない姿勢を見せた。
ソルティーは一瞬表情を変えてから、ポケットの金貨をテーブルに叩き付けて、恒河沙の後を追って店を飛び出した。
忌々しい。
ソルティーからの突き刺さる程の視線はそんな意味を含んでいた。
彼の気配が遠くに消えるのを待ってから、ミルナリスは唇を噛み締めた。
――仕方ないでは、ありませんか……。
自分達が何の制約もない本来の姿であったなら、もっと正々堂々と勝負をするだろう。
しかしもしそうだとすれば、自分達が決して出会う事はなかった。
――考えて戴きたいの。どうして貴方がソルティーと出会ったのか。どうして此処に存在するのかを。今から考えても遅い程だから、せめて私が居る間に僅かでも答えを出して。
方法は間違っていると思う。
それでもこのまま何も気付かないままで居るよりは、遙かにましだ。
ミルナリスはその思いが正しい事を信じながら、残っていた純水を口に含んだ。
「――ったく! どうしてこうなるんだっ!」
ソルティーが店を出て周りを見渡すと、坂下に人にぶつかりながら走る恒河沙の後ろ姿が見えた。
「恒河沙っ、待ちなさいっ!」
ソルティーの声に一瞬恒河沙の肩が震えたが、止まってはくれなかった。
見失わない様に恒河沙の後を追い掛け、何度か言葉を投げ掛けたが、意地になっているのか速度は増すばかりだ。
――逃げるな。
恒河沙との距離を縮める為に、制止の言葉は止めた。
少しずつ近くなった背中が、急に向きを変えて左の路地に入る。
作品名:刻の流狼第四部 カリスアル編【完】 作家名:へぐい