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刻の流狼第四部 カリスアル編【完】

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 針の筵のような視線をハーパーとミルナリスに送られながらも、やっとの思いで羞恥心を押さえ付けて語られた一言だったが、須臾には到底気に入らない部分であった。
「胸はどうなのかな」
「…………あまり大きくはない方が…」
「見て楽しい?」
「……………楽しい」
 ソルティーが何かを言う度に、頬を膨らませたミルナリスが右耳を容赦なく引っ張る。ハーパーの視線もかなり痛い。
 ただ聞くことを聞いたら用はないと、須庚はさっさと後ろに戻り、再度恒河沙の説得を再開した。
「恒河沙、ソルティーも女の子見るの楽しいって! いや〜〜流石ソルティー、ちゃんと見る所は見てるね。やっぱり男として産まれたからには、女の子の胸には夢と希望が詰まってると思わないと駄目だって事だよ」
 後ろから声高に尾ひれを付け足されて語られる台詞など聞きたくないとばかりに、ソルティーの足は更に速度を速めた。
 恐らくまた後でハーパーに小言を言われるだろう。同じ事がミルナリスにも予想される。
 しかしそれ以上に、背中に感じる恒河沙からの視線の方が恐くて、後ろを振り返る勇気は湧いてこなかった。
 そんなありありとした、そしてどこか平凡な感じがする旅の再開を、須庚だけが心軽く楽しい気持ちで感じていた。



 ただその気持ちは、数日後にはまた変化する事となった。





 カミオラから西には暫く大きな街はない。
 五人は点在する村の位置を確かめながらツォレンまでの道のりを、ゆっくりと進んでいた。
 ツォレンとの国境付近に在った村の宿屋に恒河沙とミルナリスを残し、その宿屋の入り口横にはハーパーを置いて、ソルティーと須臾は近くにあった場末の酒場で向かい合って座っていた。
 テーブルに広げた地図を見下ろしながら進路を決めるのは、この二人の役割に固定されるようになってから、もうかなり経っている。原因はミルナリスだった。
 無論ソルティーの行動その物に彼女が口を挟む事はしないが、恒河沙が質問を始めれば否定的な物言いをするのでは、すぐに騒がしくなってまともに話をする事さえも出来ない。
 よって二人を置いて場所を移動するしかなく、ついでとばかりに酒の席を設けようとする二人を、今度はハーパーが呆れて見送るのが常となったからである。
 そうしてソルティーと須庚には心地の良い酒場の雑音に包まれながら、指先と視線で次の道程を考えていた。
「ツォレンって、ハバリにしては随分小さい国だよね」
 須臾の言った通りツォレンの国土面積は、小国と謳われるウィルパニルの大凡半分。リグスハバリでは最小の国だと言える。
「ああ、詳しくは知らないが、唐轍と同じ様な国らしい」
「唐轍? って言う事は、この位置じゃあジギトール?」
「そうらしいが、一番大きな条約を結んでいるだけで、他とも色々有るらしい」
「成る程。でもそれが同盟結ぶのには最適だね。でも、そんな所に行っても大丈夫なのかな?」
 先のレス・フィラムスの事を考えれば、須臾の疑問は的を得ている。
 しかしソルティーは口元に笑みを湛え、
「今まで手配書が出回っていないんだ、安心しても良いんじゃないか?」
「……国外へのだろ。変だよ、おかしい。ソルティー、ほんとは絶対に手配されないって判ってるだろ」
 そうでなければ、此処まで呑気に構えていられる筈がない。
 須臾に突き付けられた指を眺め、ソルティーは戯けるように肩を竦めて見せた。それが肯定の印と言う事だろう。
「はぁ……、もうこの男は。いい加減さあ、秘密主義は止めろよ。良い? 話したくはないのは判るけど、教えて貰わないと話が進まない事もあるだろ?」
 聞きもしない事を話されるのは嫌いだが、必要だから聞く事をはぐらかされるのは癪に障る。何時も試されている様な気持ちにさせられれば、須庚でも馬鹿にするなと言う気持ちになってしまうのはしかたない。
 特にソルティーは人の事も自分の事も口にしない。それが結局は信用されていないのではないかと、浅はかな疑惑へも繋がった。
「それはそうなんだが、多分言っても信じて貰えない事の方が多いと思う」
 須庚の性格は知っている。試すような気持ちも、今はもう無かった。
 それこそ彼になら全てを打ち明けても構わない程の、信頼をソルティーは既に感じていた。
 しかしそれでは彼にもハーパーと同様の重荷を背負わせてしまうと思えば、余計に重くなく口もあると言うものだ。
 ただそう言われても、やはりはぐらかされているようにしか感じられない須庚は、不満げな表情でテーブルに肘を着いた。
「あのねぇ、これまでの事だって、もう充分信じられない話の連続だった訳。不可侵のアストアに入った事だって、妖魔に襲われている事だって、レス・フィラムスの事だってそうだよ。今更信じられない話が、一つや二つ出されたって、驚く気力もないよ」
 自分の勘が正しければ、神殿の地下で突然現れた男が、追っ手が掛からなかった理由を握っているのだと思う。恐らくそれは間違いなく、その事実を語る事が男とソルティーの関係を問い質さなくてはならない事へとなり、それが彼の隠そうとしている何かへのきっかけになってしまうとも。
――判ってる。聞いちゃいけない。だけど、もう良いだろ。
 傭兵として聞かなければならないのか、それとも彼の友として聞いてあげたいのか。
 今の須庚はその狭間にいた。
 どちらとして言葉を選んで良いのか判らないまま、迷いを抱いて放たれる言葉には、普段の彼らしい強さは無く、言い終わった後には助けを求めるように今夜六杯目の酒を空け、女性の店員に追加を注文する。
「第一、僕にしてみれば、あんたが王子様って言うのが、一番冗談みたいだよ。それに恒河沙の事も在るし。あ〜あ、もう信じられない事だらけだって」
 両掌を肩の辺りで上に向け、しらじらしい仕種で天を仰ぐ。
 聞きたい、しかし追い詰めてはならない、そしてここで終わらせてはならない。――そんな意地を含めた気持ちで話を繋いだ。
「酷い言われようだな」
 決して話を重くしない須臾の気遣いが伝わってくる。どうやっても自分には真似できない事で、だからこそ素直に笑えた。
『僕が友達になってあげましょう』
 初めて出会った時に、まさかあんな台詞が聞かされるようになるとは思っていなかった。微塵も望んでいなかった話だ。想像さえも許されないと思っていた。
 もしも恒河沙とだけ出会っていたなら、きっとそれこそミルナリスの言う予定調和だと感じていただろう。しかしそうではないと、須庚の変化や葛藤が教えてくれた。
――私は助けられてばかりだな。
 そう自然と思い浮かべられるようになった事さえも、まるで夢のように感じ、そしてそれは決して悪くなかった。
「須臾…、誓ってこの事は誰にも、いや、恒河沙に言わないでくれるか?」
 ソルティーは一つの決心をし、ズボンのポケットに手を入れた。
「僕がそんな奴に見えるなら、言わないで良いよ」
 須臾がいつもよりは真面目な顔を作ってそう応えると、テーブルの上に煙草用の火の封呪石が置かれた。
「これがなんだか判るな?」
「あのねぇ、怒るよ本気でさ」