刻の流狼第四部 カリスアル編【完】
――友達なんて一言でこんなに喜ぶなんて、安上がりな奴。
「女の子だったら僕の胸は無料開放なんだけどなぁ」
「あの……ごめん、こんな醜態を晒すつもりは……なかった…」
気分を落ち着かすつもりの軽口も、今のソルティーには逆効果だった。下に下に何処まで下がるのかと思う頭は、一応限界の膝の辺りまで近付き、其処で漸く止まった。
――しょうがないなぁ。
嬉し泣き程、慰めの言葉に困るものはない。
仕方なく須臾は、相手をほんの小さな子供だと思う事にして、ソルティーの髪を優しく撫でた。
「僕なんかでそこまで喜んでくれるのは嬉しい限り。醜態なんかじゃないし、泣き止むまで待つのって、友達なら苦じゃないよ」
「須臾……」
「まあ、僕の胸はお姉さんと恒河沙限定品だから貸さないけど、喜んで此処に居てあげましょう。どうだ、嬉しいだろう」
「あ……ありがとう……」
――ったく、彼奴には見せられないよな。
此処まで長く付き合って、様々な面を見せても見せられても来たのだから、ずっと前から友達と言えなくもない。けれどそれは、そう言う関係を知っているからこそそう思える関係だ。
ソルティーは知らなかった。だから此処まで当たり前の事を喜べる。
そして須臾は、この長い付き合いの中で、友達だから言える事を彼に言いたくなった。
――線を引いていたのは、僕も一緒なんだ。
なかなか顔を上げられないソルティーを見下ろし、自分が居る事で少しでも彼の重荷がなくなる事を願わずにはいられない。
そしてこの一歩が、彼のこれからにとって良い形になる事を祈らずにいられない。
これから先にどんな事が起き、どんな真実がもたらされようと、この気持ちだけは変わらない確信を感じつつ、須庚はただ黙ってソルティーが顔を上げるのを待ち続けた。
恒河沙の鎧が出来上がったのは、カミオラを訪れてから二十三日目。ほぼ一月はこの街に居た事になる。
その間に、ディンクの宿は建て直しの作業が順調に行われた。
本来なら代わりの宿を探すのだが、他にハーパーが泊まれる宿が無かったのとケトカの好意に押し切られ、あの事件以来ずっとソルティー達はケトカの家に寝泊まりしていた。
因みにソルティーに建て直しの請求書は来なかった。
「どうどう?格好いい?」
真新しい鎧を身に着けて、お披露目とばかりにソルティーと須臾の前で恒河沙がはしゃぐ。
グリシーンが最高の出来映えだと豪語するそれは、その言葉に異を唱えられない程に見事な鎧に仕上がっていた。
幾重にも重ねられた鞣し革は軽さと強度を備え、恒河沙の動きを損なう箇所は一つもない。しかも縁取りに使われた白銀の細かさが、質素になりがちの皮鎧を際立った物に引き立てていた。
「最高、格好いいよ。鎧は」
「そうだな、グリシーンは腕が良いから」
「………どういう意味だよ」
「言葉通り。鎧は格好いい。お前は……、それは言わない方が良いでしょう」
須臾は胸当たりの恒河沙の頭を撫で、言ってはいないが、言わなくても良い事を言い、思いっきり恒河沙に蹴飛ばされた。
「お前……一寸は手加減しろよ……」
鉄板を張り付けた爪先で蹴られた臑を抱えて蹲る須臾に、恒河沙は舌を出して挑発した。
「何で僕だけなんだよ、ソルティーだって同じだろ」
「ムッ……ソルティーはどういう意味!」
恒河沙に膨らました頬を向けられ、必ず須臾に変えられると思っていた矛先にソルティーは苦笑した。
「鎧は格好いいけど、お前は可愛いかな」
「………」
――よく恥ずかしげも無く言えるよな。
「………」
――嬉しくないぞ。
恒河沙も須臾もソルティーから目を反らし、失った言葉をどう回復させようか迷う。
二人の様子にソルティーは首を傾げた。
――この場合は適切ではなかったのか?
恒河沙を可愛いと表現するのは須臾の常だ。それをこんな態度をされるとは思っていなかった。
今更ながらに、人を喜ばせるのは難しいと痛感するソルティーだった。
あの襲撃の際にソルティー達が失った物は、恒河沙と須臾の荷物の破壊されない物だけだ。ソルティーの荷物だけは、ハーパーの側に置かれていたのもあって無傷だった。
例によって、これからハーパーは全員の荷物置きにされるだろう。
「運が良いのか悪いのか。……ソルティーは悪運か?」
明後日の旅の再開に向けて、一からの買い出しを行いながら須臾がソルティーに問い掛ける。
「どうせ悪運だと言われるなら、こんなに出費する事にならない方が良い。須臾、それは本当に必要な物か?」
須臾の手には札遊び用の束が、何種類も持たれていた。
「これ? 必要も必要。これがないと退屈で死んじゃう位に必要です」
「一つか二つにしろ。……それと」
狭い雑貨屋の通路で後ろを振り返り、
「恒河沙、そんな大きな物を買ってどうする。後で鞄に入らない様な物は止めろ」
恒河沙が持っていたのは、板の上で小さな球を弾き合う簡単な物だが、両腕が必要な程の大きさだった。
「あう〜〜」
「お前達は此処に玩具を買いに来たのか? それに来る前に言っただろう、今まで持っていなかった物を買うな。必要最低限を遵守してくれ」
自分達の懐は痛くないからと、店に入った途端好き勝手に買い漁る二人を制止するが、どうソルティーが訴えたとしても、言う端から聞いてはくれない。
こんな事なら、自分一人で来れば良かったとまで頭を痛めた。
「恒河沙っ、それも駄目だ」
ただでさえも、此処へ来て直ぐに購入した短剣類も買い直したのだ、出来るならこれ以上無駄な出費は控えたいのが本心だった。
二人の買い物に内容に目を光らせているのは、本当の所、普段のソルティーからは想像出来ない位に懐が寂しいのだ。
普通の生活をするには充分な備えではあるが、この二人に掛かればそれだけでは心許ない。
あの日恒河沙とミルナリスに力を渡した為に、まだ数日は宝玉を造れない。ギリギリの均衡で保たれている体の為に、無理して蓄えられる物でもないのだ。
――恒河沙の様に、食べられる訳でもないし……。
元から必要ではない物を摂取して造られた副産物に、過大な期待をする訳にはいかないだろう。
まだ一件目であるにもかかわらず、既に今までの荷物の倍以上になろうとしている二人の物色に、ソルティーは小さく溜息を吐いた。
「ソルティー」
「……ミルナリス、君もか……」
ミルナリスに呼び掛けられて顔を下へと向ければ、彼女は自分の体の半分位になる兎のぬいぐるみを、しっかりと抱き抱えて立っていた。しかも、「買ってくれなければ今直ぐ泣きます」と瞳で訴えながら。
――どうしてこの店はこんなに玩具が置いてあるんだ?
品揃えで自分が選んだのに、内心の愚痴が店の内容にまで及んでくる。
「それ一つだけ?」
「はい」
「ハァ…判った」
「ありがとうございます」
ミルナリスは子供らしい笑顔を浮かべると、直ぐに店の主人の所へ駆け寄り、其処からソルティーに手招きをする。
「耳にリボンを付けて下さいませんか、リボンを」
余程本気で嬉しいのか、ミルナリスはどう見ても子供にしか見えない。
年老いた店の主人はミルナリスに急かされるまま、贈答用のリボンを兎の耳に結ぶ。
作品名:刻の流狼第四部 カリスアル編【完】 作家名:へぐい